私たちが最初に出会った「すてきなモンスター(自分とは異質で、しかし強く惹きつけ、内面をかき乱し変えてしまうような存在・想像上の友人)」は何時だろうか。恐らくは絵本から出会いが多いだろう。日本において、それは文芸かも知れないし、アニメや特撮、漫画かも知れない。私たちの人格形成において、子どもでも大人になった今でも充分に人生を変える程の大きな影響を及ぼす存在であり友人であることは間違いないだろう。
読んだ数は重要ではない。出会った本が重要なのだ。その想像力が完成を豊かにし、感受性というアンテナを伸ばし成長させることができるであろう。本著では、すてきなモンスターたちを、読者の人生や想像力を深く形づくる、本物の友人・他者と説く。私も同意し共感する。想像力とは時に心身を守り、次のステップやフェーズへ人生の価値観が動く衝動の材料にもなり得ると。覚えてなくても良い。それは脳が必ず覚えているから。その本でも漫画、アニメでも文芸でもドラマでも映画でも、心が震える瞬間が訪れることだろう。私たちがその瞬間に抱いた気持ちというのは、無意識に次の世代への橋渡しとなっているからだ。
さて、時にフィクションと現実が曖昧は危険だと主張する人たちもいる。過ぎたるは猶お及ばざるがごとし(程度を過ぎたものはそれに達していないものと同じで、共に中正をはずれている。どちらも正しい中庸の道ではなく、かたよっているということ)という論語の言葉だ。ひと一人の人生全ての言えることで何事にもそうだが、何事も限度というものがある。だが、それは矯正するものでもないし、もしかしたら、才能が芽吹く材料になるのかも知れない。本著では架空の人物がこれほどまでに心を動かし、生き方に影響を与えるのなら、「現実とフィクションの境界」は単純ではない、という問いが本著の根底に流れている。
人は皆、摂取した情報で思考や行動が出来ている。例えば、情報商材のような劣悪な文字の羅列ばかりを吸収すれば視点が失い盲目になってしまう。何かを楽しむときに文学でもビジネスでも映画でも全てにおいて質の善し悪しを関係無く摂取し、自分の頭で感じ考え気づき思索する行程が必須だ。何が良くて何が悪いのかという単純な物差しでは測れない、感受性というアンテナ成長した結果、美意識や審美眼、慧眼という視点が得られるのだ。何事も遅い早いということもない。若いから良いとか80代だから手遅れとかそんなことはない。年齢世代問わす、コンテンツに触れ、自然を感じ、五感を刺激し、体験し、自分の頭で思索を巡らせ多角的な視点で物事を観察し、共感し、共鳴し、咀嚼し、理解し学び続け、感じ続けることを本著の本質的ところでいえば、想像力は私やあなたを救う人生で大切な存在であるということを優しく示し、提案し、気づきを与えてくれる教養にして示唆に富んだ良書であるといえるだろう。