日本の道路網は、隅々まで舗装が行き届いた世界屈指の完成度を誇るが、その完璧な網の目の随所に、合理性では説明のつかない「歪み」や「綻び」が潜んでいる。2025年に出版された『日本の仰天道路』を手に取ったのは、かつて47都道府県を巡る男旅を敢行した私にとって、道とは単なる移動の手段ではなく、その土地の歴史や人々の営みが剥き出しになる「境界線」だと感じていたからだ。本書は、そんな私の既視感と未知の好奇心を激しく揺さぶる一冊であった。
本書の核心は、日本の複雑な地形と、時に強引な公共事業の爪痕が作り出した「異常な光景」の記録にある。著者が紹介するのは、軽自動車がようやく通れるほどの極狭の国道、通称「酷道」や、途中でプツリと断絶し、どこにも接続されないまま放置された「未成道」など、地図上では把握しきれない道路の生態系だ。そこには、自然の猛威に屈した跡もあれば、予算や計画の頓挫という極めて人間的な事情が透けて見える場所もある。
特に印象的だったのは、常に水が路面を流れている「洗い越し」の光景や、かつて水門だった場所がそのまま街の一部として機能しているような、インフラの転換点に関する記述だ。私の地元である山梨県のエピソードが登場した際には、知っているはずの風景が「仰天道路」という視点を通すことで、一気に異質な、まるで異界への入り口のような物語性を帯びて見えた。男旅で実際に通過したルートの数々も、当時はただ「走りづらい」と感じていただけだったが、その背後にある地形的制約や工事の背景を知ることで、道自体が意志を持ってそこに存在しているかのような感覚に陥った。
本書を読み進める中で湧き上がったのは、効率化と安全性の名の下に、こうした「無駄」や「歪み」が消え去っていくことへの、名残惜しさに似た感情である。廃墟化した道や、不自然なカーブを描く高架下など、一見すると失敗作のように見える道には、当時の設計者が抱いた執念や、その道が結ぶはずだった未来への期待が結晶化している。
私自身の価値観に照らし合わせれば、道とは人生そのものだ。順風満帆な高速道路のような時期もあれば、本書に登場するような、先が見えず、行き止まりに突き当たる酷道のような日々もある。しかし、たとえ接続されない道路であっても、そこにアスファルトが敷かれたという事実が消えないように、私たちの無駄に思える足跡にも確かな意味があるのではないか。
この本を閉じた後、私は再びあの「知らない世界」へ足を運びたいという強い衝動に駆られた。整然とした都市計画の裏側で、今も静かに朽ちていく道や、川と共存し続ける道。それらは、日本という国の隠れた素顔であり、私たちが忘れ去ろうとしている不自由な豊かさの象徴でもある。
『日本の仰天道路』は、地図をなぞるだけの旅では決して到達できない、日本の地表面に刻まれた「生きた記憶」を掘り起こす、極めて刺激的な一冊であった。道の終点は、決して行き止まりではなく、新たな好奇心の始まりである。