2023年上梓。2025年はその頃に吹いていた風は逆風になりつつある。エコは利権が主であり、目的はミコシであること。美辞麗句で先進諸国を弱体化させ、美辞麗句を無視する戦狼国家に利する策であったことが明らかになっている。
本書はその風潮とは無縁の立ち位置を取っているが、完全に無縁ではなく、爪先くらいは乗っけてる。それくらいなら無視して読める。
知ってるつもりでいたプレートテクトニクスへの解像度が一気に上がった。アルフレッド・ウェゲナーのそれとともに。
海洋地図の一種である深海の地図作成は、博物学、地学、海洋学の学際的探求である。
地図がもたらすものは様々で、学究に限っても、生物学、鉱物学、考古学など多岐にわたる展望が期待できる。ナビゲーターという役割に、言葉以上の意味を持つ。深海という、近いようで遠い場所の現実を紹介してくれる。
三章までは著者の我が剥き出しで功名功名また功名というカンジ。筆の冴えを見せつつも我が引っ込んで読みやすくなった。
かと思えば七章で、ジャーナリスト文筆家にわりと見受けられる傾向が出現し、劇的な語りで、サブエピソードを語りだす。唐突に始まるのでわかりにくいし、唐突に始まるので即座には強く興味を惹かれない。ただわかりにくい。筆の冴えの一種。
四章。女性の権利についての主張はしばしば「専用の席を用意しろ」となり首を傾げることになる。本章の主題であるマリー・サープの業績はそのようなものには感じられず、一人の社会人として共感できる不公平さを甘受させられた人物であると思えた。こういう不公平さをなくそうというのがフェミニズムではなかったのか。
宇宙に比べて深海は関心も投資額も低いと著者は嘆く。
地図作成に国家の思惑や利権が絡むのは歴史の証明するところで、機能不全が明らかになった国連はなにも主導することができないどころか、戦狼国家に飼われた犬となっている。ナウルのような小国ですら海洋資源開発に意欲的で、国際機関はその意思を止めることはできない。国際機関はなぜ海洋開発を制限しようとするのか。開発により荒らされた環境は復元に長い時間を要するであろうという主張があるからだ。資本が二の足を踏みやすい素地があるということになる。
宇宙にも深海にも同じくらいロマンがあるが、ロマンだけでは学問はできぬ、というところ。
以下、雑感。
p.84 深海の三層。ミッドナイトゾーン(漸深層)、アビサルゾーンまたはアビス(深海層)、ヘイダルゾーン(超深海層)。
p.101 日本財団と学術会議。どちらも筋が悪いとされる団体だ。後に逮捕された環境活動家が仏に引き渡され、仏は日本への引き渡しを拒絶した。このあたりの動きと連動してるのかもしれない。リベラル的な意味で。
p.106 「吠える四〇度」ロアリング・フォーティーズ。「狂う五〇度」フューリアス・フィフティーズ。「絶叫する六〇度」スクリーミング・シックスティーズ。「コマンダーゼロ」クレイジー・エイティズ。
p.119 アルフレッド・ウェゲナーの解像度が上がった。科学者と言うよりは夢想家、よくて哲学者という印象。本書の言葉を借りればゼネラリストであったという。
p.121 キリスト教と天文学は切り離せない、という。東方の三賢者由来か? ゆえにアメリカにおける科学分野への資金提供は天文学へ多く配分されたという。
p.124 "チャレンジャー号がインド洋で中央海嶺を見つけたとき、イギリスの新聞は、失われた都市アトランティスの発見と称えた。"
p.124 "また、その頃はちょうど、ある別の古代神話が現実のものだという説が世間に広まっていたときでもあった。当時は、ドイツの考古学者兼トレジャーハンターのハインリヒ・シュリーマンが、読み古されたホメーロスの『イーリアス』を片手にトルコの丘陵を歩き回って、失われた都市トロイアを発見したばかりだったのだ。"
p.139 "「未知の地(Terra Incognita)」や「無主の地(Terra Nullius)」"
p.276 最終氷期には陸地が現在よりもっと広かった。その頃の人類は海岸部と内陸部のいずれで繁栄を見ただろうか。内陸部よりも海岸部の資源が生存に有利であっただろう。とすれば、その頃の人類の生活の痕跡が残っているのは今は海中に没してしまったかつての海岸部ではないか。
現実に、ダイバーが海中に遺跡を発見するケースがある。
p.328 『闇の奥』が引用されている。地図上の空白には「なにもない」とする植民地主義を記述する文脈。