気候変動について入門したいと思って読んでみた。環境のためには牛肉を食べない方が良いなど、どこかで見たような話が体系的に展開されており、とりあえず読んでおいて損はない内容だが、やはり本の性質上浅く広くとなっている。参考文献リストが非常に充実しているので、この点はありがたかった。
木野佳音氏のコラム1.5で「人新世」という用語が、「2024年3月,第四紀層序学小委員会が人新世作業部会の提案書を否決し,人新世が正式な地球科学の擁護となることは立ち消えた.」(39頁より引用)という状態になっていたことを本書で初めて知った。
個人的に本書で一番印象に残ったのは、第6章第1節の成田大樹氏による、気候や大気には所有権を設定するのが困難であるため、市場を通じて解決することができない(186-187、188頁)という主張だった。
“ まず議論の出発点として,社会に存在する多くの財やサービスについては,市場メカニズムの働きにより,とくに政策介入なしに適切な資源配分が実現されていることを思い起してみたい.たとえば,生鮮食料品(トマトなど)のような通常の商品については,生産者と消費者の間で自由に価格決定がなされることで,生産者による供給と消費者の需要が調整され,双方にとっての利益の最大化をもたらす状況が自発的に創り出される.しかしながら,このような人々の間の市場取引を通じて気候変動問題が自発的に解決されるということはない.気候変動が社会問題となってしまう理由の最も根底にあるのは,温室効果ガス(GHG: Greenhouse Gas)の排出主体と被害者の間で「好ましい気候」を直接売買することができないという,「市場の不在」の問題があるからということができる.これは言い換えると,気候や大気中のGHGについて,所有権の設定が困難であるということである.
では,なぜ「気候」や「大気中のGHG」について所有権を設定することが困難なのだろうか.その主要な要因としては,気候変動問題が持つ「外部性」という特質と,気候システムが「公共財」であるという性格が挙げられる.
「外部性(技術的外部性)」とは,ある個人や企業の生産や消費が市場を介さずに他者の利益や費用に影響を与えることを言う.気候変動問題においては,GHGの排出主体が引き起こす気候変動に関して,その被害者に直接対価を支払う仕組みが存在しないので,負の外部性(外部不経済)があると考えることができる.なお,外部性を有する環境問題の解決には公共政策が常に必要になるのかというそういうわけではない.たとえば公害調停のように,地域の特定の環境問題について規制当局の関与なしに当事者間の交渉によって問題を解決する方法は存在する.しかしながら気候変動に関しては,現在および将来に地球上に存在するあらゆる人々が当事者となる問題であり,司法的手段を用いて当事者間での直接交渉や取引を実現することは不可能である。”
(成田大樹「6.1 なぜ政策が必要か」東京大学 気候と社会連携研究機構〔編〕『気候変動と社会――基礎から学ぶ地球温暖化問題』東京大学出版会、東京、2024年7月26日初版、186-187頁より引用)
成田氏は不可能であるというが、これは、裏を返せば大気に所有権を設定することができれば、市場を通じて解決することも可能だということである。大気に所有権を設定することが果たして可能なのか、あるいは望ましいことなのか、他に国家の政策以外での解決策があるのかについては何とも言えないが、21世紀半ばのアナーキストやリバタリアンにとっての最大の課題の一つとなるのはここだと感じる。
他に、運動論ないし戦術論になるが、企業の株式を買って株主総会に参加するという形での気候変動との関わり方が挙げられている。
“ また,個人として預金の預け先を選んだり(気候変動対策が不十分な銀行に対して批判の意味で預金を引き揚げれば「ダイベストメント」になる),株式を購入する手もある.実際に,2020年に気候変動問題に関心を持つ大学生がある銀行の株式を購入して,株主総会で気候変動対策について質問したことがある.このように,株主や顧客として企業に関与して質問したり意見を言う「エンゲージメント」は個人でもその気になればできる.”
(江守正多「7 わたしたちに何ができるか?」東京大学 気候と社会連携研究機構〔編〕『気候変動と社会――基礎から学ぶ地球温暖化問題』東京大学出版会、東京、2024年7月26日初版、230頁より引用)
日本の総会屋は21世紀初頭に消滅した。それは総会屋と今でいう反社会的勢力との繋がりを思うにそうなるべくしてそうなったのであろうが、「株主総会に参加して会社の所有者として経営陣に物申す」という行動様式自体には、多くの問題があった総会屋から批判的に学ぶべきものがあったのだと感じた。