日本は米国とどう付き合えばよいのか
日本はこの揺れ動く米国とどのように付き合えばよいのか。
まず、2024年の選挙でトランプ前大統領が当選し、米国が再度パリ協定から脱退しても、当面は静観していればよいだろう。その次の選挙で民主党政権になれば再び復帰することに加え、IRAが撤回されない限り、パリ協定から抜けても、米国の温室効果ガス排出量は2035年に2005年比で45%減に向かうペースで減少する見込みであるためだ。この状況であれば、2017年の脱退表明時がそうであったように、パリ協定の体制が瓦解することはない。日本は、IRAが覆らないかどうかを注視しつつ、それに見合う範囲で自らの脱炭素政策を粛々と進めていけばよい。
NDCとは
パリ協定は、2020年以降の気候変動対策を定める国際条約であり、温室効果ガスの排出削減、温暖化がもたらす影響への適応、途上国への支援、各国の取り組みに対する透明性の強化などを包括的に扱う。これらのなかで最も重要なのは、当然のことながら、排出削減である。温室効果ガスの排出が地球温暖化の根本原因であるためだ。
そして、パリ協定の全ての締約国は、排出削減目標を5年ごとに提出する義務を負っている。協定の条文では、目標は「国が決定する貢献 (nationally determined contribution)」と表現されており、略称はNDCである。これがパリ協定の骨格をなす。 朝練目標と呼ばずに、NDCという遠回しな呼称をわざわざ用いているのは、パリ協定の前身となる「京都議定書」の削減目標とは異なることを表すためである。1997年に採択された京都議定書は、先進国に対して、2008年から2012年までの「定量的な排出削減約束」を課した。「定量的な約束」は数値目標と同じ意味合いであり、京都議定書には、 その目標が国別に記載されている。数値目標は国際交渉を通じて合意されたもので、199 0年の排出量に対して、日本は6%分、米国は7%分、EUは8%分の削減が求められた。
これに対して、パリ協定のNDCにおける「国が決定する」という言葉遣いには、各国は自らの裁量で目標を決定し、それを他国と交渉する必要はないとの意味合いが込められており、京都議定書方式からの転換を読み取れる。各国のNDCは協定には記載されず、国連が管理するオンラインの登録簿に各国が関連文書をアップロードする形態をとる。さらに、目標ではなく、より曖昧に「貢献」と呼ぶことで、京都議定書との違いが一層際立っている。 パリ協定のNDCと京都議定書の削減目標には、もう一つの大きな違いがある。
第一に、対象国の範囲である。京都議定書では、目標は先進国に対してのみ設定され、途上国には設定されなかった。他方、パリ協定では、先進国・途上国の区別を問わず、全ての国がNDCを掲げなければならない。
第二に、目標の法的な位置づけである。京都議定書では、削減目標の達成が法的に義務付けられている一方で、パリ協定では、NDCの達成は義務ではなく、未達成でも国際法違反しんちょくとはならない。その代わりに、パリ協定は各締約国に対して、NDCの進捗状況を2年ごとに国連に報告し、その報告に対する評価を受けることを義務付けている。加えて、NDC の目標年が到来した後には、NDCを達成したかどうかも、報告・評価の対象となる。パリ協定は法的な義務で縛るのではなく、説明責任を強化することによって、各国をNDC達成に誘導するとの考え方をとっている。
また、「グローバルストックテイク」と呼ばれる評価プロセスを通じて、各国のNDCと次項で説明する温度目標 (2℃と1・5℃)を間接的に結びつけた。
実は、パリ協定は、NDCと世界全体の温度目標を直接的には関連付けていない。その代わりに、NDCの策定に先立って、グローバルストックテイクを実施し、世界全体での排出削減の進捗が、温度目標の達成に向けて十分であるのかを評価することになった。この評価は世界全体を対象とするもので、国別の進捗度は評価せず、さらに、その評価結果は、各国のNDC策定に対して情報を与えるもの(英語ではinform)との弱い位置づけに留められている。つまり、どう活用するかは各国次第であり、温度目標とNDCの間に、各国の判断が介在する形となっている。それでも、NDCと温度目標が、グローバルストックテイクを介して間接的には関連付けられており、各国は温度目標を全く無視してNDCを策定することが難しくなった。
炭素漏出のリスク
貿易と気候変動を巡るもう一つの争点は、国境炭素調整(border carbon adjustment : BCA)である。第2章で述べたように、気候変動対策を巡る国際協調が揺らぐ一方で、一部の国は自国の排出削減政策を強化しており、国家間で政策強度の差が広がっている。特に、近年、排出量取引や炭素税といった「カーボンブライシング」と呼ばれる政策を採用し、炭素鋳出に対して政策的にコストを乗せている国が増えており、こうした国々では、カーボンブライシングによって、企業のエネルギーコストが増えて、エネルギーを大量に使用する製造業の国際競争力に悪影響が及ぶことが懸念されている。
カーボンプライシングを課せられている自国製品が、課せられていない他国製品よりも不利になれば、 自国での生産が減り、他国での生産が増え、それにともない炭素排出も他国に流出する。この現象は 「カーボンリーケージ(炭素漏出)」と呼ばれており、 他国の炭素強度(生産量あたりの排出量)が自国よりも大きければ、自国の排出は減っても、他国でそれを上回る排出増加となり、世界全体でも排出が増えてしまう。これでは、本末転倒である。
こうした事態を防ぐために、経済学の一分野である環境経済学では、輸入品に自国と同等の炭素コストを課し、輸出品に国内で課した炭素コスト相当額を還付するBCAの仕組みが長年、研究されてきた。BCAを行うことで、国内市場では、国産品と輸入品の両方に同等の炭素コストが課せられ、 海外には、炭素コストが乗らない形で自国製品が輸出されるようになる (3-3)。これが実現すれば、他国へのカーボンリーケージを懸念することなく、自国のカーボンプライシングを強化できる。さらには、他国に対しても、輸出先でカーボンプライシングを徴収されるくらいなら、自国でカーボンプライシングを導入しようとの誘因が働く。つまり、世界全体で対策を進めるきっかけにもなる。
ところが、実際には、BCAを導入する国はなかなか現れなかった。炭素排出に応じて輸入課税や輸出還付を行うことがWTOの自由貿易のルールに反するおそれがあることや、輸入課税を課せられた国が課した国の重要な産品に対抗関税を課すという報復合戦のリスクがあるためである。
EUのCBAM
2022年12月、EUはこれらのリスクを振り切って、BCAの導入を決定した。EUはその制度のことを「炭素国境調整メカニズム (CBAM)」と呼んでいる。BCAのEU版がCBAMである。 CBAMは、EUのカーボンブライシング政策である排出量取引制度(通称EUETS)を2026年以降に強化するのにあわせて導入される。EUETSは、電力、鉄鋼、化学、 セメントなどエネルギー消費量が大きい業種を対象とし、企業に自社工場の排出量と同量の 「排出枠」を一定期日までに納付する義務を課す制度である。政府は排出枠を発行し、企業は政府による有償オークションを通じて排出枠を調達する。ただし、鉄鋼、化学、セメントといった排出量が大きく、輸出入で国際競争に晒されている業種については、企業に対して、 一定量の排出枠を無償で割り当てる。政府による有償オークションや民間企業間の市場での売買によって排出枠の価格が形成され、対象企業が負担する炭素コストとなる。
EUは、2030年に1990年比で5%減とのNDC(第2章参照)を達成するために、 2021年夏から2022年末にかけて、EUETSの制度改革を検討した。その結果、政府が発行する排出枠の量を、NDCと整合するように絞り込み、企業に無償で割り当てていた排出枠を段階的に削減していくことを決めた。
しかし、無償枠を削るだけでは、企業の国際競争力に悪影響が及ぶ。そこで、CBAMも同時に導入することになった。2026年以降、無償割当を段階的に削減しながら、削減された分だけ、輸入品に炭素コストを乗せていく。8年後の2034年には、無償割当はゼロになり、輸入品への炭素コスト賦課が完全な形となる。
輸入者は、輸入品の製造時に生じた排出量に応じて、「CBAM証書」をEUの加盟国政府から購入し、一定期日までに納付する。その際、加盟国政府は、CBAM証書をEUET Sの排出枠と同じ価格で販売する。これは、輸入品を域内産の製品よりも不利な扱いとしないためである。仮に不利な扱いとすれば、WTOの原則の一つである内外無差別に反することになってしまう。
「気候変動は、時間軸の悲劇(the Tragedy of the Horizon)である。気候変動の破局的な影響は、ほとんどの主体の通常の時間軸を超える。(中略)金融政策の時間軸は2~3年である。 金融の安定の時間軸は、信用サイクルに合わせて、通常、約10年である。言い換えれば、気候変動が金融安定の決定的な課題となったときには、もう手遅れかもしれない」
2015年9月、英国の中央銀行であるイングランド銀行のマーク・カーニー総裁は、同年12月に予定されていたCOP2に向けた演説のなかで、こう主張した。
中央銀行の役割は物価と金融の安定であって、気候変動に関して直接的な対策を取ることではない。ところが、カーニー総裁は「時間軸の悲劇」を持ち出すことで、気候変動を金融の安定に結びつけた。金融当局の通常の視野である数年~10年では、気候変動の長期的なリスクを捉えきれず、それが金融の安定を揺るがすことに気付いたときには、もはや手遅れになっているかもしれないと問題提起したのだ。そのうえで、金融当局の時間軸を延ばすための取り組みが必要であり、具体策として、後述する企業の気候情報開示と、金融機関に対する気候ストレステストを提案した。その後、これらを実装するための国際イニシアティブが立ち上げられ、ルールメイキングや分析ツールの整備が進められている。
他方、民間の金融業界も、投融資先の企業の排出量(「投融資排出量」という)を減らす国際イニシアティブを立ち上げて、2030年や2050年といった中長期の削減目標を掲げるようになった。これは投融資を受ける企業にとっては、排出削減が資金調達に影響することを意味し、座視できない重大な変化である。短期的な利益を追い求める印象が強い金融業界も、長期的な気候変動問題に取り組むようになっているのだ。
金融と気候変動を巡る国際的な動きは「多中心的(polycentric)」である。パリ協定のような単一の中心的な国際条約が存在して、それを軸に国際協調を進めるのではなく、様々なイニシアティブが上下関係を持たずに並立しながら、規範やルールが形成されている。イニシアティブには、各国の当局間で進めるものもあれば、民間主体のものもある。扱われるトピックも、金融当局の関心事である金融の安定から、民間金融機関による投融資排出量の削減まで幅広い。さらには「サステナブルファイナンス」を主導するEUの政策、特に「EUタクソノミー」が他国に及ぼす波及影響もある。これらは個別に進行し、相互に調整されることはない。それでも、齟齬をきたさずに、全体としては取り組みが前に進んでいく。 短期的な時間軸で動いていた金融当局と金融業界が、長期的な気候変動問題に取り組むようになったのはなぜか。以下では、気候変動と金融安定、②投融資排出量の削減、③EUタクソノミーの波及影響を取り上げて、金融と気候変動がどう結びついてきたのかを概観し、全体として見たときに、「多中心的ガバナンス」と呼べる状況となっている様を描く。そのうえで、日本が主導する移行金融の動きを見ていく。
投融資先を排出量ゼロに
2021年4月、イングランド銀行の総裁を退任したカーニー氏は、第1章で取り上げた米国バイデン大統領主催の気候首脳サミットに合わせて、「グラスゴー金融同盟」(GFAN Z)の創設を発表した。カーニー氏は総裁退任後、国連の気候特使を務めており、同年1月に英国のグラスゴーで開催されるCOP260に向けて、議長国である英国と連携しつつ、GFANZを立ち上げた。
GFANZの目的は、2050年ネットゼロ排出にコミットする金融機関を増やし、その実現に向けた課題に対応することである。ここで金融機関とは、銀行や保険会社だけではなく、年金基金などのアセットオーナーや、アセットオーナーなどから資産運用を委託されているアセットマネージャーを含む、金融業界のプレーヤーの総体を表す。
金融機関のネットゼロ排出とは、各機関の運営から生じる排出量、たとえばオフィスで使用する電気に付随する排出量をネットゼロにするだけではなく、「投融資排出量」(financed emissions)もネットゼロとすることを指す。投融資排出量とは、投融資先の各企業の排出量を、持分比率や融資残高比率に応じて各金融機関に按分したうえで、その排出量を金融機関ごとに積算して計算される間接的な排出量である。当然のことながら、オフィスの排出量などよりもはるかに大きく、金融機関の脱炭素化は、実質的には投融資排出量をネットゼロにすることを意味する。
投融資排出量は、金融機関が自ら排出するものではないことから、これを削減するには、 ●投融資先の企業に排出量を減らすように求めるか、②排出量の大きい企業から小さい企業へ投融資を付け替えるしかない。しかし、②の方法の場合、手放す投融資をネットゼロ排出にコミットしない他の金融機関が引き受けてしまえば、見かけ上、自らの投融資排出量は減少するものの、実際の企業の排出量は減らない。したがって、①の方法が基本線となり、G FANZに加わる金融機関には、投融資先企業に対して、脱炭素を実現するように継続的に働きかけ、時には資金供給の面でも支援することが求められる。
GFANZとその連合体
GFANZ(グラスゴー金融同盟、2021年創設)
NZAOA:アセットオーナー
・2019年創設
・UNEP FI と PRI が事務局
・86機関が参加。 運用資産総額は 9.5兆ドル
NZAM:アセットマネージャー
・2020年創設
・PRI等が支援
・315機関以上が参加。運用資産総額は57兆ドル以上
NZBA:銀行
・2021年創設
・UNEP FIが事務局。PRBと関連
・136機関が参加。 資産総額は74.9 兆ドル
NZIA:保険会社
・2021年創設
・UNEP FIのPSI が主導
・11機関が参加。総収入保険料は0.21兆ドル
(※参加機関数と総額はNZAOAは2023年5月時点、それ以外は同年9月時点)
(略称一覧)
GFANZ: Glasgow Financial Alliance for Net Zero
NZAOA: Net-Zero Asset Owner Alliance
NZAM: Net Zero Asset Manager Initiative
NZBA: Net-Zero Banking Alliance
NZIA: Net-Zero Insurance Alliance
UNEP FI: United Nations Environment Programme Finance Initiative
PRI: Principles for Responsible Investments
PRB: Principles for Responsible Banking
PSI: Principles for Sustainable Insurance
EUが定める「グリーン」の基準
金融と気候変動を結びつけるうえで、大きなインパクトがあったのが、「EUタクソノミー」である。タクソノミーは分類基準を意味する言葉であり、EUはサステナブルファイナンスに関する戦略の一環として、「環境的に持続可能な経済活動」の分類基準であるEUタクソノミーを策定した。いわば、グリーンな経済活動と、そうではない活動を仕分ける判断基準である。何を「グリーン」とみなすかは、世界的な脱炭素化の動きのなかで、どの国にとっても、戦略的な課題である。そのため、EUタクソノミーに、他国は敏感に反応し、国際的な波及影響が生じている。その態様を見ていく前に、 その態様を見ていく前に、まず、EUタクソノミーとは何かを概観する。
EUタクソノミーは、気候変動の緩和、気候変動への適応、水・海洋資源、循環経済、汚染の予防・管理、生物多様性という6分野を扱っており、気候変動に関する2分野の基準は 2021年末、それ以外の基準は2023年末に発効した。このうち、脱炭素化に関係するのは気候変動の緩和である。
気がかりなのは、 気候変動への国民の関心である。内閣府の世論調査(2023年実施) によれば、気候変動が引き起こす問題への関心度は、高齢層ほど高くなる。裏を返せば、20代や30代といった若年層の関心は相対的に低い(6-1)。「関心がある」と「ある程度関心がある」の合計は20代以下でも7割に達しており、関心度自体は高い。ただ、「関心がある」だけに絞れば、30代以下と70代以上では、倍の開きがある。環境問題以外の社会的なトピックや外交的なトピックに関する世論調査でも、若年層の関心が低くなる傾向はあるものの、気候変動に関しては、この傾向が顕著である。しかも、これは世界共通の傾向ではなく、 たとえば米国の世論調査では、若年層ほど気候変動への心配度が高くなる傾向がある(612)。設問が異なるため単純には比較できないものの、日米の傾向差は非常に大きい。
そして、脱炭素化の取り組みに長く関与する若年層の関心が相対的に弱いことは、費用負担への合意形成を困難にする可能性があり、このままでは複合的な立ち位置のマネジメントは難しくなろう。さらに、日米の若年層の関心差も踏まえると、将来的に気候変動を巡って、 同盟国である米国との間で大きな乖離が生じるかもしれない。経済的な負担を議論することは、関心を喚起することにもつながる。由々しき事態に至る前に、世代間の関心のギャップを埋めながら、負担を巡る苦しい議論を乗り越える必要がある。
世界――パリ協定体制の堅持と強化
最後に、世界全体に目を向けよう。第1章から第5章まで、パリ協定時代の国際協調が多面的かつ複雑に揺れているさまを描いてきた。問うべきは、国際社会がこの延長線上で、気候変動問題に対処しきれるのかどうかである。もちろん、難しいと言わざるをえない。本書で見てきたように、問題構造が複雑化するなかで、国家間の合意形成が一層困難になっているためである。
特に、第2章(削減目標)と第5章 (エネルギー)で顕著であったように、2020年代は、 終 新興国・産油国の抵抗が強まっている。2-3に示したように、中国、インド、サウジアラビアなどの新興国・産油国も、ネットゼロ排出目標を設定しており、脱炭素化に背を向けているわけではない。それでも、先進国や脆弱国のように、温度目標を1.5℃だけに絞り込むことには、簡単には同意できない。さらに、西側諸国と中国の間には、経済安全保障を巡る緊張関係があり(第3章)、ロシアによるウクライナ侵略後のエネルギー情勢の混乱も続く(第5章)。これらも脱炭素化を巡る国際協調に影を落とす。
個々の局面での対立構造を脇に置き、結果だけをみれば、各国はNDCを強化し (第2章)、脱炭素化に向けた政府支援やカーボンプライシングを拡大し(第3章)、金融を通じた取り組みにも着手し(第4章)、COPの不文律を越えて化石燃料からの転換への合意を得た(第5章)。政権交代のたびに世界を振り回してきた米国の振れ幅も、IRAの成立で狭まりそうだ(第1章)。
もちろん、温度目標とNDCの乖離の解消(第2章)、自由貿易との両立(第3章)、金融リスク管理手法の開発(第4章)、エネルギーの脱炭素化(第5章)というように、困難な課題は多く残る。米国がパリ協定から再脱退するリスクもある(第1章)。ただ、パリ協定の採択後に、各国が積み重ねてきた前進を続けることで、課題の完全な解決まで至らないとしても、現状のさらなる改善は期待できよう。
したがって、国際社会がとるべき対応としては、パリ協定のNDC方式を継続しつつ、脱炭素化の実現に向けて、貿易・金融・エネルギーなどの側面からも協調を追求することが、今後も基本線となる。その際、国境炭素調整を通じた好循環への誘導(第3章)や、金融の分野で見られたようなグローバルガバナンスの様々な手法(第4章)など、バリ協定を外側から補完する新たなアプローチを積極的に試すべきである。また、脱炭素化の実現に向けた道筋が多様であることを踏まえ、エネルギー技術の選択肢を広げる国際的な努力も、特にアジアでは重要である(第5章)。
ここで注意すべきは、近年、一部の国で脱炭素化への強い反発が生じていることだ。第4 章で取り上げた米国の反ESGは、その典型例である。欧州でも、農業従事者がEUの脱炭素政策や環境規制への反発を強め、2024年2月には、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、ベルギー、ポーランドなど欧州全域で抗議活動を展開した。その際、道絡をトラクターで埋め尽くす手法が取られ、視覚的なインパクトも強かった。気候変動対策が反発を招きやすいものへと変質しているのか、それとも、社会の分断がもともと存在し、 脱炭素化が一方を喜ばせ、もう一方を苛立たせているだけなのか。どちらが現実に近いのかは判別しがたく、両者が混ざり合っているように見える。そして、各国での反発がさらに強まれば、バリ協定下での前進を、これまでのようには続けられないかもしれない。 本書でほぼ扱えなかったのは、気候変動がもたらす悪影響への対応である。第2章で取り上げたロス&ダメージも含め、パリ協定下での取り組みは、排出削減と比べると、深まっているとは言い難い。しかし、時間とともに悪影響は拡大し、対応の必要性は高まる。パリ協定がこの課題に有効に対処できないままに、もし温度上昇が1・5℃を大きく超え、影響が深刻化する事態となれば、パリ協定体制の正統性は揺らぐことになる。その時には、パリ協定に代わる新たな国際条約が必要となるかもしれない。