「理系女子」等、(家父長制社会にとって)「女性らしくない」とされる分野に立つ女性への呼び方が非難されつつある。
でも逆の立場で考えてみると、「スイーツ男子」の類も似たような原理ではないだろうか?
弟(大の甘味好き)がスーツ姿でパフェを食べていたら、同じ店内にいた知らない集団から笑いものにされた…という話を数年前に聞いた。「スイーツ男子」には「男のくせにスイーツが好き」という侮蔑のニュアンスも含んでいないか?
そんな疑問が膨れ上がっていた中での本書。家父長制社会が定める男らしさを男性達は強いられている。本文ではこれを「有害な男らしさ」と呼び、これは苦悩だけでなく差別的な発言や暴力など悪質な問題にも直結しているという。
自分に子どもはいない。
でも著者のご子息みたいに、もしも自分の息子が「有害な男らしさ」の基準から外れることをして、周囲から感性までねじ伏せられてしまったら…。(弟が意に介さず今でもスイーツを食べ続けていることを願う)
「考え直すべきなのは、『真の男』の意味なのだ。『真の男』だって泣くし、必要なら助けを求めるし、家で育児をする男もいる。それはみんな『真の男』なんだ」
これは是非、某次期大統領候補者の反応を見てみたいものだ笑
アメリカの育児書でありながら、自身の失敗を赤裸々に告白した懺悔エッセイにも見て取れる。そう、彼もまた「有害な男らしさ」に囚われていた一人だった。父親経験者には間違いなく響くだろうし、その反動で時々耳が痛くなったりもするだろう。
一方で、彼の助言を説教臭く思い、ツッコみを入れる人も出てくるかもしれない。自分も「男女問わずお互いを思いやるというのであれば、上記のように『真の男』ではなく『真の人間』で良くないか?」と、ジェンダーフリー主義者みたいな疑念を抱いていた。
だがその前に何とかすべきは「有害な男らしさ」、それ一択だ。これこそが諸悪の根源であり、残念ながらそのほとんどが我が国でも日常的に蔓延っている。
「親の第一の仕事は無条件に子どもを愛することだ。あなたの宗教や人生哲学が何であっても関係ない。親は何があっても子どもを愛するべきなんだ」
「(出産前に)新生児の性別を調べない」という突飛とも思える提案からスタートしているが、要は「どちらでも元気に生まれてきてくれたら嬉しい」ということだ。「性とは誕生時にあてがわれる生物学的な特質、ジェンダーとは本人が決める自己表現としてのアイデンティティ」だと著者は語る。
新しい命の誕生を祝福し、その子のジェンダーを尊重しながら、社会が抱えるジェンダー問題を子供たちと話し合う…。3人兄弟のご家庭なので男の子とのやりとりがメインだったが、女の子の場合でも成立する育て方だと思う。
「強さは有用だが、力は有害なことが多い」
後半は政治や社会問題への提起が目立っていたが、それらも全て「有害な男らしさ」に染まっている。
「男なら誰にも頼らない、一人で解決すべきだ」と、家族や親しい人との心の触れ合いすら許さない…。これが家父長制社会、今の社会の正体と言えよう。