負けた、と思った。本書の最後に付いていた「解説」を読んだ時だった。
この解説を記したのはシナリオライターの「にゃるら」氏である。にゃるら氏は私が本書を手に取るきっかけとなった人物だ。インディーゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』の作者で、このゲームは本著に多大な影響を受けているとのこ
...続きを読むと。私はゲームをプレイしたことをきっかけに、本作を読んだ。
本作は精神科医が記した詩集である。読み進める中で、はてさて、何をどう捉えたらいいのか、詩も精神医学も素人の私は混乱していくばかりだった。
ようやっと辿り着いた氏の解説で、詩で出てくる人物が不思議なスケールの物言いをすることに対し「このチグハグさのなんと愛しいことか」と記されていた。ここを読んだ時に、負けた、と思った。私は詩の中にいる人物に対して、愛おしさを感じることができなかった。人の好意や、恋をしている人間の解像度が足りていないことを痛感した。
そしてこの氏の解像度の高さが『NEEDY GIRL OVERDOSE』の主人公、超てんちゃんを生み出したのだ、と感動を覚えた。解説に記されている詩の人物像、恋でぐらつく女性というものは、彼女のキャラクターそのものであった。
私は彼女の人として欠陥しているところ、アンバランスさが好きだった。過度に高い承認欲求、薬を飲まないと生きていけない不安定さ、彼(ピ)のご飯を作る健気さ……。その愛おしさの根底には、レインの詩と、そこに魅力を見出したにゃるら氏がいたことが解った。
こうして負けを実感したものの、今回、彼女の源流を知ることができて、嬉しかった。
詩に共感できず、ただ一人置いてかれたような感覚でいた私を救い出してくれたのは、間違いなくにゃるら氏の解説であった。
彼のゲームを、超てんちゃんのことを愛することができる私は、詩のこともいつか愛することができるだろうか。
解説は「(……)本書に登場する数多の素敵な人物たちのように、本質だけで喋ることができるほど、僕らは完成されちゃいない」と締めくくられている。(177頁)
この「僕ら」に私も入れるよう、次はただ共感できるか、という物差しで本書を読むのではなく、人間の本質と愛おしさに目を向けて、再度、読んでいくつもりだ。