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「山崎福之」の「万葉集」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
順番通りとはいかないまでも、慣れない文法や表現、価値観に苦しみながらその中に面白さを見出し、つまづきながら一冊一冊なんとか読み進め、とうとう『万葉集』四冊目に突入した。全五冊からなる岩波文庫の『万葉集』であるが、四冊目となるといよいよ大詰め、和歌の通し番号は三千を超えて四千に届こうという勢いだ。我ながらよくぞここまで読むことができたなと思う。これも古代人達の文学レベルの高さ故だ。古代の「貴族・役人」達というべきであろうか。
さて、本書には巻十三から巻十七が収録されている。記憶が正しければ巻十一から十三より前と後では編纂態度が異なっていたはずだ。ただし私の曖昧な記憶で語ってしまっているからズレがあるかもしれない。気になる方は角川選書『万葉集の基礎知識』を読んで頂ければと思う。日本最古の和歌集を読むにあたって大いに役立つ知識が詰め込まれており、初心者から中級者まで活用していける良著なので、ぜひ読んでみて頂きたい。
閑話休題。巻十三は八割がた長歌で占められており、柿本人麻呂作歌の異伝や、ここまでに取り上げられることのなかった特異な形式の歌も隈なく納められている。巻一を読み、長歌の壮大で優美な世界に魅せられた人にはありがたい巻と言えるであろう。
巻十四は東歌を多く収録している。畿内の貴族たちが天離る東の人々の言葉遣いを揶揄して詠んだという説もある東歌だが、その実畿内とはかなり言葉遣いが違うため読みにくい。校注者が意義未詳として訳文に原文ママで載せた単語もかなり多く、専門家の手すら煩わせている実情がありありと見える。また、意を理解しても、あまりに内容が素朴なために失望してしまうことも多々発生する。内容というよりは、東の風俗とことばの響きを楽しむために見ると割り切って読んだ方がよいかもしれない。しかし、やはりどんなところにも秀歌というものはあるものだ。
小山田の 池の堤にさす柳 成りも成らずも 汝と二人はも(三四五二)
この寂しく素朴な歌い上げとは裏腹な愛の深さはなんだろうか。成就するもしないも、やはり二人でいたいと願うこの歌には、思わず声を失った。こういった和歌が見たくて期待しながら東歌の章を読んでいたのだが、この歌以外に目ぼしい歌はなかった。
巻十五は、遣新羅使の一連の流れに沿って詠まれた和歌を時系列順に並べたものとなっており、一首ごとの歌の良さもさることながら、「いったいいつまで波を待てばよいのか。いついつ帰ると約束した妻のことばかり気にかかる。」、「私のやつれた姿を誰かが見たら、海人と間違えるだろうな。」、「海上で夜を明かしてしまった。髪の毛に霜が降りているなあ。」といった当時の海上交通の過酷さを伝える歌が豊富に含まれており、万葉全巻中でも屈指の時代解像度を誇る出来栄えとなっている。私のお気に入りの巻だ。
以後十六巻から十七巻は大伴家持の歌日記といえる内容となっているため、感想は最終巻の批評をする時にまとめて載せようと思う。一首一首を鑑賞するのもよいが、せっかく「集」として読んでいるのだから、全体を見通して評価を下したい。
今回も素晴らしく身のある旅であった。次はいよいよ最終巻、気合をいれて挑みたいと思う。まあ、まずは手に入れることからだ。
Posted by ブクログ
古代人の食事事情についての研究成果をまとめた興味深い本がある。三船隆之『古代人の食事と健康』という本だ。奈良時代の人々がどんな食生活を送っていたかを、『延喜式』にて確認できる食品の納入記録、荷札として使われていた木簡、平城京跡のトイレ遺構などを調べて明らかにした世にも珍しき書籍で、詩歌や政治の面に注視しがちな奈良時代の解像度を高めてくれる資料として非常に価値が高い。
長屋王宅のトイレ遺構に残されていた排泄物の残滓から寄生虫の卵の痕跡を見出し、奈良時代の人々が淡水魚や猪を生で食べていたと結論づけたこと、冷蔵庫のない時代のためおかずになる食品はほぼすべて塩漬けで塩辛いものであったこと、経典の書写を担当していた役人たちが給料がわりに大量に米を食べていたこと、それがもとで病気になった人々が非常に多かったことなど、枚挙に暇がない程に面白い記事に満ち溢れているのだが、なかでも山上憶良が「肥満体型」だったんじゃないかと結論づけた章は特に驚かされた。死を目前とした憶良の病の症状や、彼と同じ冠位の貴族の食生活を参考にそう断言しているのだが、十分に説得力のある論術で、大いに考えさせられるものであった。もう読んでから1年近く経つと思うが、未だにあの記事の内容が鮮明に頭に残っている。
なぜ『万葉集』について批評すべき場で無関係と思われる本を持ち出したのかと思われるかもしれないが、これがまったく無関係ではない。岩波文庫『万葉集 2』は巻5から巻8までの歌が取り上げれており、巻5はほぼ大伴旅人と山上憶良で占められている。上述の書籍を考慮に入れた上で、巻5に納められた「貧窮問答歌」について考えてみたい。
憶良の代表作といっても過言ではない長歌のうちのひとつで、彼の旅人に勝るとも劣らぬ豊富な漢籍の素養に裏打ちされた傑作だが、ここでちょっと考えてみてほしい。肥満体型の憶良がこれを詠んでいたとしたら、と。
「寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて」
塩をちびちびと舐めて、湯にといた酒粕を飲んでいるうちに肥満体型になるのだろうか。もしや体内でカロリーを生み出しているのではないか。
「かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて」
いやいや絶対お前米炊いて食ってるだろ。甑で蒸した堅い米食っているだろ。
という悪ふざけはここまでにしておこう。直木孝次郎『万葉集と古代史』にて言及されていることだが、憶良には地方郡司だった時代があるらしい。下級役人であれば上述したような生活を送っていた可能性は十分考えられるので、この時代を振り返って詠んだと考えれば矛盾しない。『トイレの神様』みたいに、絶対にお前トイレ掃除したことないやろ!ってかんじの人が作った、みたいなことにはならないのでご安心ください。ちょっと角度を変えてくれる本があるだけで、リソースと言える書籍も一気に読みが深まることを伝えたかった。
ただ、今までと同じように「貧窮問答歌」を見れなくなってしまったことは否めない。巻5は漢籍からの影響が濃く、小さくまとめられた『懐風藻』という印象が強いため、全体的に精神性の浅さが目立つ。また、名歌と言えるような作品はちらほら見えるが、随所に挿入されるいやに雅な漢詩が和歌の品格を落としてしまっている。四六駢儷体の体裁の良さが、それぞれの和歌を浮ついたものに見せているからかもしれない。
以上の理由から「貧窮問答歌」は中身のない空虚な歌に仕立てあげられてしまっているのである。ここに憶良自身の栄養状態の情報も加われば、もはや名歌ということは不可能になるであろう。ほとんどの歌が、この雅という毒牙にかかってしまっているのだ。
しかし、この鼻につく「雅」の文の中で極めて異彩を放っていたのが「沈痾自哀文」である。
「朝夕に山野に佃食する者すら 猶し災害なくして世を渡ることを得。昼夜に河海に釣魚する者すら 尚し慶福有りて 俗を経ることを全くす」
仏教的な思想で言えば、獣や魚を殺し、それを食べる者は大罪を負うはずだ。しかしそんな人々でも寿命を全うするのに、自らは四肢が動かなくなる難病に苦しめられている、なぜだ、と強く何者かに訴えかける気迫、賢者であろうと、仙人であろうと、やはり皆求めるのは健康と長寿、つまり生きることなのだ、と命の尊さを論じ、生に執着しようとする心、全てが凄まじい。本人の病状と反比例するように昂る精神、畳み掛けるように言葉を並べ立て生を求める貪欲さ、これをなんといったらよいのだろうか。虚飾にまみれた巻5の中で、この歌だけが真実に満ちている。嫉妬、怒り、諦め、執着、そう、人間の強さが、人間の汚らしいまでの強靭さの爆発がこの歌にはあるのだ。正直私にとって『万葉集 2』はこの歌で終わった。これ以上は望めないと思った。だからこそ、長々と時間を使ってまでこの歌を論じたいと思い、ここまで記すこととなった。もはやこれ以上、何も言うまい。
というのは少しおおげさで、実際はこれ以外にもたくさん秀歌が納められている名著です。季節の歌を納めた巻8は、巻11や巻12と違い、名のある歌人によって詠みあげられたものが多いので、優雅で個性的なものたくさんあります。色々書きましたが、是非読んで頂けたらと、そう思う次第にございます。
Posted by ブクログ
評価を5以上つけることはできないのだろうか。
万葉集やそれ以降の歌集については、角川ソフィア文庫など、初学者向けに秀歌を抜粋して解説してくれているありがたい書籍が各社から出版されている。私も一番最初に手に取ったのはビギナーズクラシックのそれだったし、その後岩波新書の『万葉秀歌』を読んで学んだ。しかし和歌というものは、すべての歌を参照し、なぜそれぞれの歌がその巻にその順番で配置されているのかを考えなければ、その真の価値を理解できないのだ。本書を読んでその必要性を痛感した。また、人の鑑賞眼によらず自らの感性に従って歌を評価することの重要性をも改めて感じた。
「紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」
これは天智天皇と深い関係にあった額田王に向けて大海人皇子が詠んだ歌で、時の天皇の恋人との関係を匂わす危険な歌として昔は評価されていたが、現在は酒宴で戯れに詠まれた歌だと評価されている。私が読んだ本では「当時は酒宴の席ではすべてのことが無礼講として許されていた。」との説明があったが、それ以上特に解説もなかったので、今一信憑性にかける情報としか思えなかった。しかし本書にてこの歌の配置されている場所を見れば一目瞭然、恋についての歌を集めた相聞の部ではなく、祭祀や酒宴の席で詠まれた歌を集めた「雑歌」の部に配置されているではないか。これを知り、歌に付された解説を読んでやっと合点がいった。専門家の人々からは何を今更と言われるかもしれないが、永年初学者の私にとって、天皇の思い人との関係をにおわすことが酒宴の席で許されるという事実は受け入れ難いものだったのだ。
笠女郎が大伴家持に向けて詠んだ多くの歌、これもやはり一つ一つ抜粋して載せてしまっては味気ない。「人を恋すると死んでしまうというのであれば、私は何度でも死んでしまっていることでしょう」などと、命をかけて家持に恋しその想いを打ち明けた29首、それが数ページにわたって展開されるのを目の当たりにした人は驚き、胸打たれ、涙を流すことだろう。強い想いを抱きながらも、時に戸惑い、諦めそうになり、それでも深く恋し続ける、その心の変容を表した一連の歌はまるで散文のようで、『源氏物語』の心理描写に勝るとも劣らない。むしろ激情を表し切ったという点から言えば紫式部を遥かに凌駕するであろう。
万葉集を評し書籍に残すのは、皆ことさら優れた文人の方々だ。しかし無数に存在する人間のことだ、その趣向が全員一致しているわけがない。
「北山にたなびく雲の青雲の星離れ行く月を離れて」
これは天武天皇崩御の時、持統天皇が詠んだ歌であるが、多くの書籍で相手にされておらず、本書の解説でも意味不明な歌として扱われている。しかし、私はこの歌に強く惹かれた。山に寄り添いたなびいていた雲が離れてゆく、「星の親父」とも言える月を離れ、星は彼方へと消えていく、その趣きに名状し難い儚さを感ぜずにはおれない。現代的な感性を持つからこそ私はこの歌に惹かれるのかもしれない。
時代によって評価が変わるということは芸術家や作家にしても同じことだ。先行研究は間違いなく重要だが、1億2000万分の1のものの見方で作品を見ることも大事にしなくてはならない。もっとも万葉集を読んでいる国は日本だけではないのだが...。
万葉集は1000年以上の研究の歴史があるにも関わらず、未だに未訓の歌が存在する。本書の編集に携わった人々は、膨大な先行研究や漢籍、現行の研究成果などありとあらゆる情報を参照して訓を施していながら、それでも至らぬところがあるとして、未訓の歌を原文のまま載せ、将来に託すとしている。形だけでも解明できたことにしない学者の方々の真摯な思いに最大限の賛辞を送りたい。私には到底無理な話だが、これだけの情報量を持った本書だ、必ずや後に続く優秀な学者が残された謎を解き明かすであろう。
万葉集は古墳の研究に近い。どれだけ突き詰めようとも、そこに終着点などありえない。その途方も言えない作業に従事する方々に、心からの敬意を表する。私もまずは、本書を皮切りにして残りの4冊を読まなければいけないなと思った。
Posted by ブクログ
『万葉集』の七夕の歌から『新古今和歌集』の七夕の歌を読むとギャップが面白い。
我が待ちし秋は来たりぬ妹と我れと何事あれそ紐解かずあらむ
(私の待っていた秋はきた。妻と私とは、何があればとて着物の紐を解かないことがあろうか)
しばしばも相見ぬ君を天の川舟出はやせよ夜のふけぬ間に
(たびたびは逢えないあなたなのに。天の川に早く舟出をなさい。夜が更けないうちに)
天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ
(天の川に棚橋渡せ!織姫が渡るための棚橋だ!)
『新古今』入選歌
ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮れ 式子内親王
星合の夕べ涼しき天の川もみぢの橋を渡る秋風 権中納言公経
七夕の天の羽衣うち重ね寝る夜涼しき秋風ぞ吹く 高遠
400年の時を経て滅茶苦茶繊細になってる七夕の歌
というか『万葉集』巻の第十の秋雑歌の七夕歌はかなり量が多い。奈良時代における漢籍からの七夕神話受容の有り方を示す重要な資料らしい(巻頭の概説)。となると、七夕は和歌の題材として好まれ、その後七夕が国家的行事にまで組み込まれたことも鑑みるに、七夕は日本人にかなりうけたと言えるのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
感情を率直に歌い上げるという評価の通り、歌に迫力があります。
但馬皇女の116番の歌や、大伯皇女の105番、106番、大津皇子の107番の歌など緊張と臨場感が伝わってくる。
また大岡信氏が高く評価した笠郎女の歌も、多くがこの岩波文庫版(一)に収録されている。
第4巻に彼女が家持に贈った歌が24首一気に載せてあるが、とんでもない才能だなと。
本文庫の特徴は、学校の教科書に載るぐらい定着していた解読を一部改めたこと。
例えば
柿本人麻呂の「ひむがしの」の歌、炎(かぎろひ→けぶり)
志貴皇子の「さわらび」の歌、石激(いはばしる→いはそそく)
どちらも納得いく改定でした。ここから分かるのは、『万葉集』の解読はまだ完了していないということ。
そして、100%確定することは不可能なのではないか、ということ。どこまで行こうと推測・仮説の域を出ない。
それは本書の解説に、1000年の研究史を経てもなお完全には読み解けていない歌集だと書かれている通り。説が分かれるどころか、解読すらできない歌が中にはある(9番や67番など)
しかし、じゃあ何を言っても正解なのかというと、それも違う。
100%確定することは不可能でも、その正解に一歩ずつ近づいていくことはできます。その努力を放棄することはない。人ごとに遥かに歩み続けなければならない。
もう一つ言いたいのが、なぜこんなに
天皇・皇子・皇女・貴族・官人から名もなき庶民に至るまで作者の階層が広いのか
北は陸奥、南は薩摩まで地名分布が広いのか
数多くの動植物、装束、調度品など詠みこまれる事物が豊富なのか
さらに歌の内容も豊富だし、漢文や漢詩や書簡集まで収録されている
こんなに内容豊かな作品が日本の文学世界に突如として出現した。第二分冊の解説で「空前絶後」と言われてるがその通り。もっと段階を踏んで作品が少しづつ豊かになっていくなら分かるけど。
なにしろ序文が無いので『万葉集』がなぜ生まれたのかについてはどの説も仮説の域を出ることはないでしょうが、想像してみるのも面白いかもしれない。