ガンディーは、非暴力思想に興味があって、時々、読む。よく考えると、評伝とか、研究書は読んでいなくて、基本、本人が書いたものを読んでいる。
「ガンディーは聖人といわれるが、実はこういう問題もあった」みたいな本はあまり興味がない。ガンジーも自分の人間的な悩みを持っていながらも、真実を探究し続け、活動し
...続きを読む続けたということに彼の偉大さがあると思っているからかな?
また、彼の著書でも、自分の悩みを書いているし、基本、真実の彼がどうかというより、彼の書いたものということから、何を読み取れるかという方が、大事だと思っているのかな?
なので、「ガンジーの真実」というタイトルから、本当はガンジーってこういう人だったみたいな暴露本的な要素を含む本かと思って、どうしようかと思ったのだけど、最新の研究結果を踏まえての本のようなので、試しに読んでみた。
「ガンジーの真実」の「真実」は、「実は彼は・・・」みたいな話ではなくて、ガンジーの活動全般であるサティヤーグラハ(真理の把持)で言われている「真実」とはなんだったのか、ということなんですね。
で、その「真理の把持」へのガンジーの探究を食、衣服、性、宗教、家族と分けて議論し、最後に真実と非暴力ということで総括してある。
それぞれのテーマについて、ガンジーのエピソードや思想的な影響関係と発展のプロセス、そして現代的な意義と限界点などをとてもクリアに整理していると思う。
最初の食と衣装のあたりまでは、本人の著作などから概ね理解できていたところだと思ったが、性、宗教、家族というテーマについては、本人もあまり本で言及していないところあったり、私生活においてさまざまな問題があったりしたところで、かなり学びになるところが多かった。
個人的、家族との関係では問題を含みつつ、社会的には国父として尊敬をされ、インドをイギリスの植民地支配から解放するわけだが、彼の身の周りにいた人たちは、ガンジーの思想が発展し、ある意味、現世的なものからすると過激化していく中で、一体どう思っていたんだろうと想像すると、つくづく大変だったんだろうな〜と思った。
ガンジーは、何をやるにしても自分自身の魂のあり方が、変化を生むという考えで、実際、まさに彼の在り方によって、非暴力運動が成立したという面は多いと思う。が、あまりにも個人の魂の在り方にこだわりすぎてもいて、社会なり、家族がうまくいかないのは、自分の魂の状態がまだまだであるからだと結論する、そして、さらに自分の内面を見つめるという方向に頑張ってしまうというのも、なんだか変だと思った。
つまり、ある種の唯我論的なものになっていて、社会の問題の解決と自分の魂の救済が直結しすぎて、結果的に自分の魂の救済が優先されてしまう自己中心性になっているのではという著者の指摘はちょっと痛かったが、なるほど感は高い。
ガンジーは、最後にヒンズー教徒の過激派?的な人に暗殺されるわけだが、それはガンジーが宗教を超えたインドの統一を目指していたことが、結果的にヒンズー教徒をちゃんとケアしないことが原因になっていたとのこと。つまり、ある意味、自業自得な側面もあるこということですね。
納得性は高かった。