ファンタジーノベル大賞2023 受賞作ということで、期待をもって読んだ。確かに面白かった。読み安さもあって、読み始めたら止まらず一気に読み終わってしまった。
この小説の面白さは、主人公ではないが主人公以上に重要な登場人物である、楽嘉村の守り人衆の1人、童樊とやはり同じ楽嘉村の1番の祭踊姫、景との恋愛の行方と二人の生き様の鮮やかさだと思う。事実この小説は二人の恋愛が、同時に起こっている東国の旻と二人の国の耀との間の戦争と微妙に絡み合って進んでいく。ただ、ここに言う鮮やかさとは、正だけでなく負の場合の鮮やかさも言っている。つまり美しさだけではなく、愚かさ、醜さ、浅ましさなども鮮やかなのだ。
童樊という男は、惚れた女と添い遂げるためには何でもする。その結果、英雄にも梟雄にもなる。恩に報いもするが、裏切りもする。幼馴染みであろうと邪魔する者は殺す。ただただ景だけを求め、景とだけの愛欲に浸り、景とだけの幸せを望む。そこまで1人の女に惚れたなら、それはそれで大した生き様だとも思える。
そして景も、「必ず迎えに来る」と言う男を信じ待つ。「迎えに来る」ことがどんなに困難なことかを知っているが、それをどうやって乗り越えて来たかは関係ない!来た男を全身全霊で受け入れる。男が犯した非道の罪と、それに伴う罰も受け入れる。
良い悪いは別として、こういう愛の形もまた見事で鮮やかな生き方だと思う。但し小説の中だけなら。
この小説には、絶対的正義が無い。登場人物の殆んどが無辜の民を殺すか、或いはその殺しに何かしらの関わりを持つ。では、それらの登場人物の全てが悪か?と問われれば、100%の悪はいない、この小説の登場人物の中には。淫乱で残虐な旻の女王、枢智蓮娥でさえ、権力を握り、耀を押さえた後なら、無駄な殺生はしない。全ての人の悪の中に、僅かな正義がある。が、じゃあ、主人公は?正か悪か?
主人公縹は何もしない、ただ見ているだけ。彼は夢に出てきた風景、その意味を調べるため神官となり、そのために旅に出るが、結局は人々の愚行の場面に出会し、ただ嘆き、そして見ているだけ。
彼の正体は、読んでいる途中から大体予想がつくが、はっきり分かるのは最後の方。ほかの登場人物たちが、正にしろ悪にしろ色輝いているのに、何故かこの主人公だけが色褪せ、登場人物の背景にしか見えなかった。