相澤康隆の作品一覧
「相澤康隆」の「ソクラテスの思い出」「弁論術」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「相澤康隆」の「ソクラテスの思い出」「弁論術」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
二千年にわたり読み継がれる驚異の古典。最新訳で読んでみた。
『弁論術』といえば、説得の三要素。
エトス(ethos) 話し手そのものの信頼性。
パトス(pathos) 聞き手の感情。
ロゴス(logos) 論理や論証。
三巻による構成。
第1巻が「何を論じるか」、第2巻が「人はどう感じ、判断するか」、第3巻が「それをどう語るか」を論じる。
第1巻では、弁論を「審議的」「法廷的」「演示的」の三種類に分け、それぞれについて、どのような論点を使って説得するのかを整理していく。政治なら利益、裁判なら正義、演説なら徳や名誉、といった具合。さらに「トポス」と呼ばれる、議論を生み出すためのさまざまな型が細かく列挙される。
ここはかなり体系的だが、読んでいると「本当に客観的な分類なのか?」「抜け漏れがないと言えるのか?」という疑問も浮かんでくる。完全な分類表というより、議論の材料を見つけるための思考の道具として読むべきなのだろう。すべてを網羅することより、未知の状況でも論点を発見できることに重きが置かれる。
第2巻は、「人はどのように感じ、判断するのか」が論点になる。第1章ではエトスが扱われ、その後、怒り、恐れ、恥、愛情、憐れみ、義憤、妬み、競争心など、人間の感情が徹底的に分析される。そして最後に、例証や格言、説得推論など、ロゴスに関わる論証の仕組みの論説で締めくくられる。
第3巻は、「どう語るか」。表現、比喩、文体、リズム、弁論の構成などが論じられる。明瞭な表現を重視し、詩的すぎたり、技巧を凝らしていることが露呈したりすると説得力を失うとされるあたりが、いかにもアリストテレスらしい「技巧を使うなら、技巧を使っていることを感じさせるな」という思想。
やはり第2巻が一番面白い。
特に印象に残るのは、アリストテレスの、人間の感情に対する観察の細かさ。
まず第1章で、話し手が信頼されるための条件を「思慮・徳・好意」の三つに整理する。能力があり、誠実で、しかも自分たちのことを考えてくれている。この三つが揃って初めて、人は「この人の言うことなら信じよう」と思う。エトスという一見抽象的な概念が、鮮やかにシンプルに分解される。
そして、怒り。怒りは単なる不快感ではなく、「軽視された」「侮辱された」と感じることから生じる。そして、聴衆を怒らせるには、話し手自身が怒っていることを示すのではなく、「あなたたちが軽視されている」と感じさせることが重要だと語る。現代における政治的な演説やSNS上の炎上にも通じる、普遍で身近な心理。
恐れについては、危険そのものではなく、「不幸が差し迫っている」という認識が重要だと説く。遠い未来の危険には恐れを感じにくい。また、強大な人でさえ不幸に遭った、自分と同じような人が思いもよらない不幸に遭った、といった事実を示すことで恐れを喚起できる。エビデンスのある統計よりも具体的な事例に心を動かされる現代人の心理をも思わせる。
恥の分析も鋭い。恥ずかしさとは、悪事そのものへの苦痛ではなく、悪評につながるようなことへの苦痛だという。そして人が評価を気にするのは、悪評によって何かを失うからというより、悪評そのものが苦痛だからだとする。人間が「他人の目」をどれほど意識して生きているかを、非常に明快に捉えている。
愛情については、「相手のために良いことを望み、それが実現するよう力を尽くすこと」と定義する。そして、自分がもっとも認めてほしい部分を認めてくれる人を好きになりやすいという。人は、自分が大切にしている自己像を理解してくれる人に惹かれる。
興味深いのが、義憤・妬み・競争心の区別。不当な成功に対する苦痛が義憤、他人が成功していること自体への苦痛が妬み、そして「自分もそれを手に入れたい」という苦痛が競争心だという。同じ「他人の成功」に対する反応でも、心の向かう方向によって別の感情として分類している。特に、競争心は相手を引きずり下ろすのではなく自分を高めようとするものだから、立派な感情だとするところは意表を衝かれる。
第2巻後半では、ロゴスに関わる論証の技術が登場する。「今にも起ころうとしていたなら、それは起こったと言える」という趣旨の論法は、さすがにちょっと無理があるのではと思ってしまったが、厳密な証明というより、弁論において「ほとんど起こったも同然」という蓋然性を利用するための論法なのだろう。
そしてコラクスの弁論術では、被告が犯人らしくないなら「私がそんなことをするはずがない」、逆に犯人らしく見えるなら「そんなに疑われることが分かっているのだから、私がそんなことをするはずがない」と、どちらの場合でも無罪を主張できるという議論が紹介される。ここには、「説得力があること」と「論理的に正しいこと」は別物であるという、『弁論術』の興味深いテーマが表れている。
例証については、過去の実例だけでなく寓話のように創作することもできるとし、寓話を作る能力の核心を「類似を見出す能力」に求めているところも印象的。説得推論の後に一つの事例を添えるなら十分だが、事例から結論を導こうとするなら、多くの事例が必要になるという。現代のプレゼンテーションにも、そのまま通じる考え方である。
『弁論術』は単なる話し方の本ではない。
エトス――誰が言うのか。
パトス――相手はどう感じるのか。
ロゴス――何を根拠に判断するのか。
三要素を組み合わせながら、人間がどのように説得され、判断を下すのかが考え抜かれている。
二千年以上前の本なのに、現代のさまざまな場面に通じることが驚異だ。
Posted by ブクログ
クセノフォンの知る、ソクラテスがいろいろな人と話した思い出を集めた本。プラトンの書く、一見非常識的なことを言い、真理の探究と「魂の配慮」を求めるソクラテスとはだいぶ違い、世俗的なことのアドバイスが多く、かなり常識的なソクラテスになっている。善や美、知恵などの徳についての問答をしていても、アポリアに陥るという様子もなくあっという間に結論に達する。ふざけて「犬にかけて」とか言ったりせず、ちゃんと「ゼウスにかけて」「ヘラにかけて」って言うし(笑)。
クセノフォンのソクラテスは人間が追及するもののなかで最上のものは成功(何かを学習しかつ練習することによってうまく成し遂げること)と言い切り、生まれつき徳に恵まれた者(しかも徳の内容は学習能力、人と付き合う能力のこと)を求めるというのだから、徳に対するプラトンとクセノフォンの捉え方の違いが鮮明だ。
「ソクラテスの告発」に対する反論という面があるにしても、著作での二人の反論の仕方というかソクラテスの性格も大きく違う。ソクラテスが実際に死刑になっているということは民衆に好かれてはいなかっただろうから、プラトンの書くような非常識な面がソクラテスにはあったと思うのだが、実際どういう人だったのだろうなあ。
Posted by ブクログ
本書オビに“プラトン対話篇とは一味違う”とあるように、確かに、本書を読んで抱いたソクラテス像は、プラトンを読んでのソクラテスの印象とは随分違ったものだった。
プラトン対話篇に登場するソクラテスは、正に、智を愛し、真理を探究する哲学者であるが、本書のソクラテスは、生き方を教える人というイメージが強い。
著作を残さなかったソクラテスの思想や人物像を、彼について語った証言、文章から再構成することはできるのか、それを「ソクラテス問題」というらしいが(本書解説で知った)、一般読者としては、プラトンやクセノフォンが師ソクラテスを、どのように見、著作に表したのかを楽しみながら読めば良いのではないだろうか。