現代の奴隷
~身近にひそむ人身取引ビジネスの真実と私たちにできること
著者:モニーク・ヴィラ
訳者:山岡万里子
発行:2022年12月20日
英治出版
現代社会における「奴隷」について、強い関心があった(ある)。この本を読むと、認識が間違っていたことがはっきりする。我々がよく口にする「奴隷」は、奴隷ではない。比喩的に使う「まるで奴隷だ」ではあるが、奴隷ではない。そして、恐ろしいことに真の奴隷がこの現代社会に存在し、ILOの推計で世界に5000万人もいるという(2022年9月更新)。
以前、江戸文化研究者の田中優子さん(法政大名誉教授)が書いたものを読んでいると、遊郭は身を売られて拘束され、強制労働させられるが、借金を返せばいつでも解放されるので奴隷ではない、と書いてあった。その時は、まだ少し意味が分かっていなかった。テレビドラマ「ルーツ」では、クンタ・キンテの孫にあたるチキン・ジョージが、お金を払って自由を得たではないか?とも思っていた。女郎とどこが違う?と。
この本によると、奴隷は、働いても報酬が得られないどころか、自由を得るために支払うべき負債が増えていくシステムだという。つまり、働けば働くほど、借金が大きくなるのが奴隷制度のようだ。おそらくチキン・ジョージは最初にアフリカから連れてこられた奴隷を「主人」が投資して購入した初代クンタ・キンテと違い、すでに3代にわたる労働で〝償却〟しているから自由を得ることができたのではないだろうか。
オーストラリアの団体「ウォークフリー」の推定値では、5年前の時点で日本には3万7000人の奴隷がいたという。世界ではこの5年で4000万人→5000万人に増えたことを考えると、今はもっと多いかもしれない。
ILOは、奴隷制での年商は1500億ドルとしている。しかし、多くの専門家はおそらく1兆ドルに迫るのではないかとみている。
こうしたことを「酷い」と思い、非難する我々自身も、その利益を享受している可能性があることを忘れてはいけない。安売り店で買ったアジア製造の衣料品は、幼い子供が1日22時間も床に座らされて作業したものかもしれない。タイ産の冷凍エビは奴隷労働の手が入っている可能性がかなりある。コートジボワールのカカオを使ったチョコレートはお馴染みだ。iPhoneだって、奴隷労働による部品が使われていた。Appleの努力により、今はかなり解消されたがゼロとは言い切れないらしい。
この本では、正真正銘の「現代の奴隷」から生還した3人のサバイバーを中心に、その実体がリポートされている。1人はコロンビア人女性だが、奴隷になった舞台は東京、ヤクザに人身取引された例だ。
奴隷にさせられた方法は、3人とも違う。
「グルーミング」、「債務奴隷」、「家族を人質にした債務奴隷」。
◇ ◇ ◇
1.ジェニファー・ケンプトン(グルーミング被害者、アメリカ人女性)
ジェニファーは赤ん坊のときに性的ないたずらをされ、子供時代に虐待され、12歳で強姦された。25歳から始まった人身取引の芽は、ここからあったと本人は考える。トロイという恋人との間に2人の娘がいた。トロイはとても暴力的で彼女をストリッパーとして働かせた。彼女は逃げて保育所で働きたかった。
トロイが収監され、そこにセイレムという男が入り込んできた。「愛している」「君こそすべて」「ずっと一緒にいたい」などと言葉をかけ続け、9ヶ月から1年ぐらい「グルーミング」は続いた。彼女はコカインとマリファナはしていたが、セイレムは彼女を強い薬物であるヘロイン漬けにした。
ある日、「君をすごく愛している。俺たちは全てを失いかけている。家が取り上げられそうなんだ。俺たちのために稼いでくれないか」と言い出した。彼女は子供を母に預け、2人分の薬物と寝泊まりするホテル代を稼いだ。稼げないと自分だけ段ボールにくるまって外で寝た。彼女は、セイレムの気持ちが遠のくこと、薬物が与えられなくなることを恐れた。
売春行為はエスカレートしていった。彼女は妊娠して娘を産んだ。さらに稼ぐため、セイレムは彼女をギャング組織に売った。男女の家に住めることになった彼女だが、トイレやシャワーを使うにも大金を要求された。借金は増える一方だった。逃げ出したかったが、娘を人質にとられているので脅されて売春を続けた。シャワーも浴びられず、お金ももらえず、下着を盗み、つかまった。
彼女は、閉じ込められた地下室で首を吊って自殺を図るが、ロープが確り固定されておらずに失敗。外で体を売ると行って外出し、自殺防止センターに駆け込むと、そこで解放の足がかりをつかんだ。
6年にも及んだ監禁、殴打、強姦、肌を焼く煙草の火、身体に彫られた奴隷所有者の名前・・・解放された後も、シャワーを浴びるたび目に入る加害者の名前が彫られた刺青。下着を盗んだ前科がつきまとって就職もままならない。自分と同じような人間を救出する活動を始めるが、薬物にも手が出る。そして、飲み過ぎて(事故)夭逝。
2.ディーペンドラ・ジリ(債務奴隷被害者、ネパール人男性)
学歴もあり教職経験もあり、5ケ国語を話す。教員、家庭教師、PC教室の指導員で生活していたが、結婚し2008年に子供が生まれたので、経済的に困り、中東の湾岸諸国での仕事に応募。職業斡旋代理店の広告に、ビザや航空券は会社が支給、手数料はわずか2万ルピー(200ドル)とあった。合格し、生後1月の娘と妻を残してカタールの会社へ。月給は1200カタール・リヤル(330ドル)で、食事と住居も支給。
蓋を開けてみると諸経費、航空券代で1200ドルを要求される。弁護士2人立ち会いの下で低い利息で金を借りたが、その日、もう一度〝裏の契約書〟への署名を迫られ、利息がなんと60%だった。しぶしぶ署名。
カタールは暑く、宿舎は倉庫のような建物で電気も飲み水もなし。後に屋上で寝かせられたことも。月給は330ドル(1200リヤル)の約束だったが実際には275ドル、しかも朝食なし、休みの金曜日には食事なし。話とは違う仕事をさせられ、毎日怒鳴られ、給料はもらえず、小遣い程度の50リヤルのみ。カタールをはじめとする湾岸諸国にはカラファ制度があり、契約満了まで働かなくては出国が出来ない。パスポートを取り戻せても、雇い主から出国許可をもらわないと帰れない。自殺を考える。
彼にとって幸運だったのは、カタール大学の客員教授アンドリュー・ガードナーに出会ったこと。特に色白の白人のため、工業地帯で様子を探り、写真を撮り、人から話を聞くことが困難だったため、ジリに助手として働いて欲しいと言ってきた。その報酬はときに給料よりよく、お陰でノートパソコンが買えた。不当な扱いも彼に聞いてもらえた。
彼は事務職となり、会社にとって重要な書類を扱える立場に。しかし、奴隷の身のため勝手には持ち出せない。運転手たちがストライキをした。給料が払われていないなどの証拠書類をくれと要求された。勝手にできないと躊躇したが、結局、こっそり渡す。会社の課長は警察にとっちめられ、1年分の未払い給与とボーナス、航空券代を渡した。
ジリ本人も2年の契約を満了して、出国することに。しかし、3ヶ月の未払い給料、ボーナス、航空券代が払われない。ジリ自身は1ペニーもお金がない。なんとか出国許可を出させたい。会社側は辞められたら困る、いったん出国し、暫く休んで戻ってくれたらお金は払うと約束した。航空券は会社に用意させ、彼は条件をのんで出国、しかし約束が守られるわけがないと知っていたので、帰らなかった。未払い3ヶ月の給料は「お前にくれてやる」と連絡した。高利貸しへの借金返済義務がまだ残ってはいるが、束縛から解かれた。
訳者あとがきで訳者は、今、アジアの国々から技能実習生が日本に来ているが、ネパール人男性がカタールで被害にあったこの債務奴隷の事例と、その共通点や近さを論じている。
3.マルセーラ・ロアイサ(家族を人質にした債務奴隷被害者、コロンビア人女性)
16歳からシングルマザー。平日はスーパーのレジ打ち、週末はナイトクラブでダンサーとして働く。テーブルダンスやポールダンスではなく、本物のプロダンサー。生活は十分普通にできた。しかし、娘がぜんそくの発作で入院し、2週間の入院期間中、24時間つきそった。職を失った。以前、働かないかと声を掛けてきた男に連絡し、500ドルを借りる。男はすぐに仕事を見つけてくれ、書類を準備した。母親には首都ボゴタに行くと嘘をついて娘を預けた。2000ドルの現金と航空券を渡された。行き先は日本だと言われ、初めて乗る飛行機、お金持ちになれるとの思いから、有頂天になった。21歳の時だった。
成田で2人の男とコロンビア人女性がいた。最初はすごく親切だったが、日本のヤクザに売られたことが分かってくる。あくる日、その女性が「私の金を返しもらわないとね。治療費500ドル、飛行機代やらなんやら」と言ってきた。「安心してください、しっかり働いて返します」と言ったら、お前は5万ドル返さないといけない、と訳の分からないことを言われる。「お前を解放するための値段だよ」。
警察に電話をしますよ、と反論すると、してもいいが、警察の手によって解放されても、あんたの娘の葬式に間に合うかしらね。母親がどこで働いているかも知っている、弟がどこに行っているか、妹がどこの高校に通っているかもね、と脅された。
彼女は1年半、路上、ナイトクラブ、マッサージ店など、ありとあらゆる場所で売春させられた。しかし、借金は減らない。遅刻を理由に借金が増やされる、病気になると病院に連れて行かれ高額な治療費を請求される、ナイトクラブにつれて行かれて1週間働くことになれば、マネージャーに吸い上げられるのとは別にナイトクラブに対してもショバ代を自分自身が払わないといけない、といった具合。
彼女には常連客がいたが、その一人に誘拐されていることを話した。信じてもらえなかった。お前はナイトクラブでもマッサージ店でも見かけたし、外を歩き回っているではないか、と。必死で説明し、やっと分かってもらえた。あと1週間で5万ドルを返し終わる時期だったが、返し終わったと思ったら、また別のところに売られることを極端に恐れていた。その常連客はウィッグと上着を用意し、変装させてくれた。
脱出に成功し、東京のコロンビア大使館に飛び込んだ。大使館の人に言われ、初めて気づいた。自分は被害者だったんだと。お前は売春しかできないと繰り返し繰り返し言われ、洗脳されていた自分に気づいた。
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ネパールの就職斡旋代理店の95%は、腐敗している。
モーリタニアでは今日でも人口の約17%が奴隷として囚われている。1981年、政府は世界で最も遅く奴隷制を違法としたが、今も続いている。
ハイチは制度としての奴隷労働が存在している。
中国では「労改」(労働改造)強制収容所に囚われている何千人もの政治犯がいて、制度的な奴隷労働に政府が加担している。珍しい例。
4030万人いる奴隷(2017年のILO推計→2022年には5000万人に更新)のうち、70%が強制労働、30%が性的人身取引被害者。
インドには世界中の現代奴隷の3分の1以上がいて、そのうち何百万人もが子供たち。アパルナ・ラワットは、救出された子供奴隷の1人。著者が訪問する3ヶ月前にデリーの縫製工場から救出された。26人の子供たちについて語ってくれた。
「子供たちはとても過敏に。工場長も人身取引業者も冷酷で、金槌で子供たちを殴っていました。何か間違いを犯そうものなら、2時間ずっと立たせておきます。ひとりの子は今8歳ぐらいだけれど、4歳のときに売られ、今なお大きな問題を抱えています。また別の子は歩くことすらできませんでした。ずっと同じ場所に座った姿勢で、22時間連続で働かされ、寝るのも同じ場所。家具や階段など、何かにつかまらなければ歩けませんでした。
他の子たちは体じゅうか傷だらけでした。子供たちは二つの地下室で働かされ、太陽の光を見ることもなく、部屋の外に出ることも、トイレに行くことさえ許されなかった。22時間休みなく働かされて、仮眠を取りたいと思ったら、金槌で殴られた」
<その他のサバイバー>
ナディア・ムラド(イラク)
2014年、ダーエシュ(イスラム国)に誘拐された21歳女性。テロリストたちは、村を襲うと、男性、女性、子供を分け、男性と年配女性をその場で殺害、若い女性と子供を奴隷に。ナディアは最古の宗教のひとつ「ヤジディ」という共同体で暮らしていたが、ダーエシュたちはヤジディを人間として見ていなかった。ナディアはモスルに連れていかれ、カタログに載せられ男たちに買われた。脱出に失敗、失神するまで輪姦された。3ヶ月後、再度の脱出。ある家にかくまわれ、ドイツに難民として送られた。
エヴェリン・チュムボウ(カメルーン)
9歳のときにアメリカのメリーランドへ。家事労働奴隷として売られた。叔父の仕業だった。チャンスの国アメリカでならよい教育が受けられると約束して、それをした。主人はカメルーンから移住して一財産築いた女性。殴られ、ごみのように扱われ、7年もの間、床で寝かせられた。面倒を見ていた主人の子供2人の眼前で裸で殴られ、主人の意に沿わなかったという理由で一晩中立たされ、眠らせてもらえなかった。学校にも行かせてもらえず、仕事は1日たりとも休めず。
18歳の誕生日直前に脱出できた。FBIは当初、彼女がアメリカの永住権が欲しいのだと決めつけた。裁判での争いとなり、女主人は禁錮7年に。無賃労働に対して賠償金10万ドルの支払いも命じられたが、それが支払われることはなかった。
スニータ・ダヌワール(ネパール)
2015年の大地震以来、アフガニスタンを抜いてアジア最貧国になったネパール。そこからさかのぼること20数年。彼女は14歳のときに誘拐され、インドのムンバイにある暗黒の売春外へと売られた。5年間、想像を絶する不潔な売春宿で、毎日30人以上に売られた。1996年、強制捜査。500人の少女を発見、うち200人近くがネパール人だった。インドでは色白で笑顔が美しいため人気がある。ところが、ネパールへの帰国がままならない。ネパール国民である証明が必要だが、売春婦だったことを恥じて父親が娘であることを認めてくれないケースが多い。なかには自分の父親に賄賂を渡さなければならない女性も。