作品一覧

  • 法廷のピエロ 京都ALS嘱託殺人事件大久保被告の告白
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    2019年に起こった「京都ALS嘱託殺人事件」は、日本中で大きな話題となった。 難病を抱えた女性患者、林優里さんがSMSを通じて知り合った医師に自らの殺害を依頼したのだ。 林さんは生前、「生きていることの辛さ」「安楽死への切望」をSNSにつづっていた。 本件によって、大久保愉一と山本直樹という2名の医師が逮捕された。 2020年、大久保被告は安楽死を望む別の患者に対し偽名の診断書を書いたことによる有印公文書偽造罪で京都地検に追起訴され、さらに2021年には、10年前に山本被告の父親を殺害した罪で、大久保と山本、さらに山本の母を、京都地裁が起訴した。 山本の父の殺害について、大久保被告は一部の容疑を否認しているものの、2024年3月に京都地裁で開かれた裁判で川上宏裁判長は大久保被告に懲役18年(求刑懲役23年)を言い渡した。 世間は大久保被告の罪を「人助け」とは捉えず、「残忍な殺人者」として捉えた。 しかしたった一人、大久保被告の真意を伝えたいと願う人がいる。自身も難病により安楽死を切望し、大久保被告の手を借りた“くらんけ”という女性だ。 本書は、獄中にいる大久保愉一被告と、 くらんけ氏との往復書簡をまとめた記録である。 2019年9月、なけなしの尊厳を握りしめて、魂の叫びを世界に発信した女性がいた。 彼女の名前は林優里さん。1986年生まれ。京都在住。2011年に「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を患って8年になる患者だった。 林さんの死後、取材や法廷で彼女の主治医はこう言った。「十分な支援者に囲まれており、精神的なケアが必要とは思わなかった」。 さらに同じ病を患っているというだけで、彼女が所属していたわけでもないALS協会までもが記者会見で、こんなことを意見する。「この事件は差別で塗り固められた殺人です」。 おかしい。どう考えてもおかしい。付き合いが長くなるほど、深くなればなるほど、「死なないでほしい」と思うのはよくわかる。だからといって、これほどまでに本人の気持ちは理解されないものなのか。 そして、後に下される国の判決もまるで論点がズレていた。「生命軽視の姿勢は顕著」「社会的相当性はない」。 大久保愉一先生の真意はおろか、思いやりや優しさもまったく信じない。そればかりか、林さんの人権すら国は守らないというのだ。私は決めた。この先どういう展開になっても、事実を伝えていこう。愚直に闘病してきた彼女が遺した言葉の重みを曲解せずに受け止めよう。私だけは味方でいよう。 これは大久保先生が私にダイレクトメールで漏らしてくれた願いでもある。なにより彼を支えることが、天国の林優里さんへの手向けになると信じた。 (本文「はじめに」より抜粋) 【目次】 事件はどう報道されたか はじめに 第一章 季節はずれのハマナスの花 死と隣り合わせだった子ども/音も、会話も、人間も怖い 灰になった千羽鶴/祖母に預けられる 大人の言うことを信じると詰む/逃げなければいい顔になる 祖母の病名を探して/守ってあげたい 寿命というのは、負けるが勝ち/祖母が行かせてくれた修学旅行 ハマナスの花/きっとできるから 第二章 法廷のピエロ ~2024年1月 京都地裁 公判1日目~ ~2011年 大学の解剖室~ くらんけ ⇔ 大久保 往復書簡 【著者プロフィール】 大久保愉一(おおくぼよしかず) 1978年5月、北海道釧路市生まれ。 弘前大学医学部を卒業、研修医を経て、厚生労働省の医系技官として6年勤務。ただ生かすだけの医療に違和感を覚えながら、臨床医生活を送る。2019年11月、患者の願いをかなえるためにALS患者の属託殺人を実行、2024年3月に京都地裁で懲役18年の判決。この事件によって患者の自己決定権の限界が問われ、日本中に「人生の終わり方」という大きな問題提起がなされている。 くらんけ 1991年、青森県生まれ。 6歳のときにCIPD(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という難病を発症し、長い闘病生活に入る。治療に限界を感じ、2019年10月に「死ぬ権利」を手に入れスイスに渡るも、気持ちの整理がつかずに帰国。現在は自分の選択と再び向き合いつつ、X上で安楽死・介助自殺についての情報や死ぬ権利を持った生活の発信を行っている。著書に『私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年』(彩図社)
  • 私の夢はスイスで安楽死
    3.9
    末梢神経が徐々に麻痺していってしまうという難病「CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)」。幼い頃からこの難病と闘ってきた著者が「死」に救いを見出し、スイスで安楽死を試みるまでの物語を綴ったノンフィクション。 医療トラブル、学校でのイジメ、そして両親との衝突……。様々な苦難を乗り越え、死の直前までたどり着いた彼女がそこで感じたこととは――。 上出遼平氏(ハイパーハードボイルドグルメリポート)大推薦! 「不自由な手で紙面に叩きつけられた血だらけの言葉たち。『それでも生きてほしい』そう思う自分の罪を知った」

ユーザーレビュー

  • 私の夢はスイスで安楽死

    Posted by ブクログ

    スイスでの安楽死(自殺幇助)を直前で辞めた、薬を数滴口に含んだところまでした人の体験談。実際に決行した人にはその最期の瞬間て聞けないわけだから、くらんけさんの安楽死直前までの体験を知れるのは貴重だ。
    欧米諸国と日本との様々な価値観の違い、文化の違いはあれど、やはり日本人が安楽死を考える時、家族に対して申し訳ないというような感情が大きい。自分の命は自分だけのものではないということ。悪い意味で言えば、家族の存在が足を引っ張る、という事。生きることは尊いけど、くらんけさんのようなケースを思うと、死ぬことも尊いのだと思う。
    生きてる間は自分らしくありたいし、それが難しくなってきたら生きる意味がわからな

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    2025年08月18日
  • 私の夢はスイスで安楽死

    Posted by ブクログ

    結果的に生きることを選択され、『読者として』は、よかったとしたい。
    『家族として』は、我が子の自殺を看過できず、いかなるかたちでも生きていてほしいことも理解できる。一方で『本人として』は、死に切れなかったものの病状は改善せずこれからも誰かの介助が必要であるなどの不安が消えたわけではないこと。
    『医師として』(実際、私たちの日常業務を思い起こして)は、治療が仕事であり、従えない患者(客)のことは面倒を見たくないこと。
    正解はなく、かと言って個人の意思100%でもない。理解はできるが当事者になるとどうすべきかを考える契機にはなる本。こう言った題材の書籍はこれまでもたくさんあるかもしれないが、『国民

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    2025年03月09日
  • 私の夢はスイスで安楽死

    Posted by ブクログ

    神経難病でスイスでの安楽死をぎりぎりまで体験された著者。安楽死を考える上で必読の本だと感じた。

    同じく神経難病当事者の私にとって、体験された辛さ、介護を受ける側の辛さが手に取るように分かる。繰り返される辛い状況に、「安楽死という選択肢があるんだ」という事実でかなり気持ちが楽になったのも同じで、くらんけさんの言うように、そのことで「結果的に死ななくて済む」1人かもしれない。

    くらんけさんが今回安楽死を延期したきっかけはご両親の思い。本の最後にはご両親それぞれの思いが書かれ、娘さんの安楽死で大変葛藤されていることが分かる。これらにより、「自分の命は自分だけのものじゃない」という言葉を思い出した

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    2024年07月21日
  • 私の夢はスイスで安楽死

    Posted by ブクログ

    自分がもしも同じ立場ならどうする?と考えながら読んだ。
    6歳からずっと難病に苦しみ、最後にスイスで自死を選んだけど
    今じゃないなという何とも言えない感情。
    もし自分の事だったら?自分の家族だったら?自分の身の回りの人だったら?
    何と声をかけ、一体何が出来るのだろうか。
    結局何も出来ず、そばにいるしか出来ないとか、愚痴の相手をするとか
    そういうことしか出来ないのではないか、と思ってしまった。
    もし、自分が全く同じ立場であったら全てを投げ捨ててスイスで安楽死をと思ったけど
    そんな勇気も行動力もなく、至って何もない1日が過ぎていくのだろう
    正直、なんて残酷なのだとも思う。
    人の尊厳って何なんだろう。

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    2023年06月01日
  • 私の夢はスイスで安楽死

    Posted by ブクログ

    誰のための治療かということを考えさせられた。
    日常のほんの些細なことでもネガティブな気持ちになるのに、安楽死というものは非常にハードルが高いことも分かった。個人的には当事者の意見が慮られるべきだと思った。

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    2025年06月22日

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