菊池由貴子の作品一覧
「菊池由貴子」の「わたしは「ひとり新聞社」――岩手県大槌町で生き、考え、伝える」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「菊池由貴子」の「わたしは「ひとり新聞社」――岩手県大槌町で生き、考え、伝える」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
▼ノンフィクションです。筆者さん(菊池由貴子さん)が、実際に岩手県大槌町で、10年だったか、「ひとり新聞社」をやってきた、という記録です。大変に面白かったです。さすが亜紀書房さん。パチパチ。
▼菊池さんは同地のご出身で、雑に言うと若い頃から多病でなかなか社会人としていわゆる自立ができなかった。そして大人になったころに大槌町に戻っていて、東日本大震災があった。不勉強で知りませんでしたが同町は多くの方が亡くなったし、被災された。直後の混乱と喪失感の中で「情報が足らない」と痛感して、ひとり新聞をはじめられた。
▼若い頃の多病多難をまず赤裸々に語られていて、それだけでもちょっと瞠目なんです。そして
Posted by ブクログ
著者は自称「負け組」。獣医を目指していたが、大学在学中に難病になり入院。さらに入院中に、劇症型心筋炎を併発し2度の心停止を経験するも生還。結局大学は中退し、故郷の岩手県大槌町へ戻る。東日本大震災の前に縁あって結婚するも数年で離婚する。
大槌町といえば、震災で町長以下幹部職員ふくめ40名ほどが津波に呑まれ、町民の死者数 は751 人、行方不明者 505 人、計 1,256 人となっており、町の人口の8%近くが被害にあった。
著者は震災後、地元の大槌町の情報が入ってこないことに困惑する。大槌町民が必要とする情報を発信すべく文章など書いたことがないにも関わらず、「大槌新聞」をほぼ一人で立ち
Posted by ブクログ
3.11の津波で町民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町。この地で、約9年間1人で『大槌新聞』を発行し、記事を書き続けた菊池由貴子さん。彼女の想いや原動力に関心をもち、読んでみました。
菊池さんは、新聞づくりのきっかけを「町民目線に立った情報の深刻で圧倒的な不足」と記していました。確かにその切実な想いがスタートだったのだと思いましたが、なぜ困難を乗り越えて続けられたかを考えると、背景に彼女の大病があるように思いました。強い覚悟さえ感じます。
菊池さんは、高2で網膜剥離、大学入学後の潰瘍性大腸炎、心筋炎による2度の心停止、7回の入退院と、壮絶な経験をし奇跡的に助かったのでした。
2度目
Posted by ブクログ
昨今、出版関係でも「ひとり○○」というのはブームなのだろうか?
だって、「ひとり出版社」とか「ひとり書店」というのは、今や特別な存在ではない。
それが今度は「ひとり新聞社」ときた。「とうとうここまで来たか」という思いで本書を手に取った。
ハンドメイドの新聞づくりのあれこれの話が読めるのかな?と思っていたら、第1章でいきなり「あれっ」と思った。だって、新聞づくりとは直接関係がないような、自分が重い病気にかかり二度の心停止にまで至った話がしばらく続くから。
「おーい、いつになったら表紙のイラストのような取材記者の話になるの?」と怪訝な思いが湧きあがったが、最後まで読み通して、ようやくすべてが理解
Posted by ブクログ
東日本大震災で大きな被害を受けた大槌町において、住民視点で必要な情報を町民に届けるために「大槌新聞」を創刊し、一人で企画、取材、編集、広告、事務等すべてを行い、9年間毎週住民に無料配布し続けた菊池由貴子さん。彼女の人生と、大槌新聞の発行を通して彼女が感じた大槌町の課題、さらに、より良い地域および日本のまちをつくるための示唆を私たちに投げかけている。
菊池さんの発行する「大槌新聞」は私が認識する「新聞」とは大きく違い、読み終わった直後は「これは新聞なのか…?」という疑問が頭を占めた。
本書には最初に発行された第1号大槌新聞が掲載されているが、第1号に関しては住民目線で、震災後の大槌のまち