あらすじ
《そうだ、大槌だけの新聞をつくろう!》
町民の、町民による、町民のための小さな「大槌新聞」10年の奮闘記
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自分が生まれ育った町に何の関心も持たず、文章もろくに書いたことがない引っ込み思案な「わたし」。
震災を機に踏み出した、町と自身の再生への道のり……。
被災地復興の光と影、真のメディアとジャーナリズムのあり方を忖度なくあぶり出した、自伝的ノンフィクション。
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「町のため」と思って創刊しましたが、結局は「自分のため」でした。
子どもがいない私にとって、大槌新聞の1号1号が子どもです。
好きでやっている。それでいいんだと思いました。(「おわりに」より)
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【目次】
■はじめに
第1章……生きる意義を見失っていた震災前
■私が生まれ育った町、大槌
■大病続きの人生
第2章……大槌町の新聞を作りたい
■津波が襲った日
■素人が「大槌新聞」を創刊
第3章……地域メディアミックスに挑む
■人口1万人の町だからこそ
■選挙で状況が一変する
第4章……中断された震災検証
■調査不足だった初回の検証
■二度目の検証をしたけれど
■記録誌は「検証」ではない
■誇れる民間のアーカイブ
第5章……解体された大槌町旧役場庁舎
■保存から一転、解体へ
■解体に熟慮を求めた住民
■訴訟にまで発展した末に
第6章……本当の復興はこれから
■課題はいろいろ
・縮むまちづくり
・官民連携の難しさ
・地域情報はコミュニティの基礎
■地方自治の現実と可能性
・町役場で相次ぐ不祥事
・議会好きだからこそ言いたい
■復興とは何なのか
・税金の無駄にならないために
・古くて新しい、お祭りの力
第7章……創造的メディアをめざして
■大槌新聞とマスコミとの違い
■いつか絶対良くなる
■おわりに
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Posted by ブクログ
▼ノンフィクションです。筆者さん(菊池由貴子さん)が、実際に岩手県大槌町で、10年だったか、「ひとり新聞社」をやってきた、という記録です。大変に面白かったです。さすが亜紀書房さん。パチパチ。
▼菊池さんは同地のご出身で、雑に言うと若い頃から多病でなかなか社会人としていわゆる自立ができなかった。そして大人になったころに大槌町に戻っていて、東日本大震災があった。不勉強で知りませんでしたが同町は多くの方が亡くなったし、被災された。直後の混乱と喪失感の中で「情報が足らない」と痛感して、ひとり新聞をはじめられた。
▼若い頃の多病多難をまず赤裸々に語られていて、それだけでもちょっと瞠目なんです。そして、被災後に「ひとり新聞」にやりがいを感じられる。そこに情熱を傾ける。そんな思いが良く伝わります。そして日本中の他の地方行政もそうでしょうが、<気持ちや理想>と<目先の経済>の間で葛藤する町の表情が浮かび上がるような本でもありました。
▼東京中心に考えがちですが、地方は大変ですよね。そこに特派員で東京から来る分には、お手柄立てて帰京すれば思い出話です。
でもそこでずっと暮らすという覚悟だからできることと、できないことがあります。そして地域目線では予算は常に足らず、不可解な既得権益ゲームに溢れ、人間関係は男尊女卑カルチャーの残滓多々です。
ただそれが、21世紀になって、令和になって、昭和システムの崩壊と、男女の役割変化と、デジタルの普及とで、これまたきしみつつ変わっているんでしょうね。
そんなことが行間から感じられる、こりこりしたオモシロイ1冊でした。
なんというか、震災、そして復興ということがはじめて手触りで伝わってきました。
Posted by ブクログ
著者は自称「負け組」。獣医を目指していたが、大学在学中に難病になり入院。さらに入院中に、劇症型心筋炎を併発し2度の心停止を経験するも生還。結局大学は中退し、故郷の岩手県大槌町へ戻る。東日本大震災の前に縁あって結婚するも数年で離婚する。
大槌町といえば、震災で町長以下幹部職員ふくめ40名ほどが津波に呑まれ、町民の死者数 は751 人、行方不明者 505 人、計 1,256 人となっており、町の人口の8%近くが被害にあった。
著者は震災後、地元の大槌町の情報が入ってこないことに困惑する。大槌町民が必要とする情報を発信すべく文章など書いたことがないにも関わらず、「大槌新聞」をほぼ一人で立ち上げる。その後再婚するも離婚する。
著者は本書において二つことを伝えたいと述べている。一つは震災後に「大槌新聞」を立ち上げ書き続けた理由、そして故郷大槌町の復興のあり方。二つ目は著者の人生そのものを。
本書というか、著者の菊池さん自身がスゴイです。時には町長とも対立もしながら、震災からの復興の表と裏をまったく忖度なしであぶりだしています。メディアの役割、特に大槌町民に必要とされる情報とは何か。真のジャーナリズムとは何かをズバリ突いています。ご本人は言うには。「私はジャーナリストとしてではなく、一町民として取材しているのだ」と。
Posted by ブクログ
3.11の津波で町民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町。この地で、約9年間1人で『大槌新聞』を発行し、記事を書き続けた菊池由貴子さん。彼女の想いや原動力に関心をもち、読んでみました。
菊池さんは、新聞づくりのきっかけを「町民目線に立った情報の深刻で圧倒的な不足」と記していました。確かにその切実な想いがスタートだったのだと思いましたが、なぜ困難を乗り越えて続けられたかを考えると、背景に彼女の大病があるように思いました。強い覚悟さえ感じます。
菊池さんは、高2で網膜剥離、大学入学後の潰瘍性大腸炎、心筋炎による2度の心停止、7回の入退院と、壮絶な経験をし奇跡的に助かったのでした。
2度目の結婚をし、相手から「なぜそこまでやるのか」と問われた菊池さん。獣医師になる夢は潰えましたが、いや、だからこそ自分が見つけた"打ち込める事""人の役に立てる事"を手放す選択肢はなかったのでしょう。
『大槌新聞』は、2012.6.30に創刊し2021.3に第385号で終了するまで、週刊新聞(A4表裏)で希望者から始まり、月刊新聞(タブロイド判8ページ)で町内全戸約5100世帯へ無料配布を貫きました。この取組は、数多くの受賞歴をもつこととなります。
取材に最も心血を注いだのが、震災検証と旧役場庁舎保存・解体問題のようですが、厳しい内容に心が痛みます。
菊池さんは町外へ目線が広がり、新聞休刊後は語り部活動やオンライン勉強会の開催、雑誌への寄稿などに取り組んでいるようです。
本書で自虐的に述べている「負け組の人生」「勝手な使命感」は、無関心でいる私たちへの優しくも衝撃度の強い叱咤激励と受け止めました。
能登半島地震の被災者の方々へ、必要な情報と支援はしっかり届いているのでしょうか?
Posted by ブクログ
昨今、出版関係でも「ひとり○○」というのはブームなのだろうか?
だって、「ひとり出版社」とか「ひとり書店」というのは、今や特別な存在ではない。
それが今度は「ひとり新聞社」ときた。「とうとうここまで来たか」という思いで本書を手に取った。
ハンドメイドの新聞づくりのあれこれの話が読めるのかな?と思っていたら、第1章でいきなり「あれっ」と思った。だって、新聞づくりとは直接関係がないような、自分が重い病気にかかり二度の心停止にまで至った話がしばらく続くから。
「おーい、いつになったら表紙のイラストのような取材記者の話になるの?」と怪訝な思いが湧きあがったが、最後まで読み通して、ようやくすべてが理解できた。
つまり著者にとって大槌町で新聞を発行することと、自分が瀕死状態から脱して生き続けていることとは、切り離せない関連性があったのだ。
私が思いついたのは、ぎりぎりの所で命をつないだ著者が、大槌町が大震災で受けた壊滅的な被害から再生しようとする姿とを重ね合わせているのではということ。だから病気のことは当然書かれるべきだったのだ。
それともう1つ気づいたことを書きたい。
本書に大槌新聞第1号の第1面が載っている(P62)。これを読めば、大槌新聞を一般的な「新聞」というくくりで捉えてもいいの?という疑問が生じるだろう。かと言って、いわゆるタウン紙でもない。
このような紙面づくりは岩手日報や読売、朝日といった、私たちが知る所の新聞とは違う。では何なのか?確かに彼女は紙面で「大槌は絶対にいい町になります」と言い続けたように、ある人から見れば稚拙なやり方かもしれない。
だけど私はここで大きな声で言いたい。大槌新聞は、一般的な新聞という概念をひらりと飛び越えて、新しい地域メディアの概念を創生したのだ、と。
だから他の新聞と比較して「こんなの新聞じゃない」とか「記者はそんなこと書かないよ」と言うこと自体がナンセンス。たぶん著者はそんな言説に多くさらされて来たのだろうけれど、自分は野球から見たソフトボールのようにいわば違うスポーツで勝負を競っているのだと無視すればいい。
そしてそんな著者の活動をスパッと正確に理解していた人がいたことを証明する記述が本書にはちゃんとある。
著者は、秋田県で長く地域的なジャーナリスト活動をしていた「むのたけじ」さんと会っている。その際、むのさんは著者に「頑張ってくださいね。ちゃんと見ていてくれる人はいますから」と声をかけた。
ここで改めて考えてみる――ジャーナリズムって、いったい何?
震災後、大槌町にも多くのジャーナリストが取材につめかけている。だが著者の指摘で読者が改めて気づくことがある。――多くのジャーナリストが取材するなかで、大槌町の人による、大槌町の視点での取材はないのでは?--と。
自分たちが一番知りたい大槌町のことを、自分たちの手で知り、そして多くの大槌町の人に伝えたい――彼女がこの本で書いた一連の取材活動と、紙面からこぼれた彼女の心の奥に潜む様々な思いは、どこを切り取ってもジャーナリズムの基本中の基本と言え、地域の人が知りたい情報を「新しく聞かせる」という新聞の本旨に照らすと、大槌新聞は「新聞」である。
私が特にそう感じたのは、彼女がよく「取材ネタがなくて困ることはないですか?」と聞かれて、そのときの彼女の答えがこうだからだ――「なんで困るの?だって自分の町だから、書きたいことはいくらでもあるし」。
これには目から鱗が落ちた。言い換えれば、記者がネタに困るのは、取材対象を自分の中心へと十分に近づけず、自分の“帰る場所”を別のところに用意しているからだ。
いや、私が偉そうに言わなくても、御年100歳超えだった大ベテランジャーナリストのむのたけじさんが正確に代弁してくれているし、むのさんの言葉は、冠のついた幾多の賞以上に、彼女の活動を後押ししている。
Posted by ブクログ
東日本大震災で大きな被害を受けた大槌町において、住民視点で必要な情報を町民に届けるために「大槌新聞」を創刊し、一人で企画、取材、編集、広告、事務等すべてを行い、9年間毎週住民に無料配布し続けた菊池由貴子さん。彼女の人生と、大槌新聞の発行を通して彼女が感じた大槌町の課題、さらに、より良い地域および日本のまちをつくるための示唆を私たちに投げかけている。
菊池さんの発行する「大槌新聞」は私が認識する「新聞」とは大きく違い、読み終わった直後は「これは新聞なのか…?」という疑問が頭を占めた。
本書には最初に発行された第1号大槌新聞が掲載されているが、第1号に関しては住民目線で、震災後の大槌のまちづくりが今後どうなるのか、住民が知りたい純粋な「情報」が掲載されていて、個人的にもすごく良い内容だと感心した。
ただ、創刊初期から時間がたって、大槌町について何も知らない住民のひとりだった菊池さんが多くの情報を手にするにつれて、大槌新聞が伝えるものが「情報」だけでなく、「菊池さんが考えるまちづくりに対しての主張」を含む内容に変わっていったように感じた。
この人は現町長が嫌いで前の町長のほうが好きなのかな、旧役場庁舎の解体に反対なんだな等、情報を超えた個人の主義主張が過度に詰め込まれた媒体を「新聞」と呼ぶのだろうか…と本の後半になるにつれ疑問が大きくなった。
ただ、大槌新聞を「新聞」としてではなく、大槌町の一人の住民が書いた「レポート」として理解するならば、彼女の主張はすごく意味のある重要な視点を私たちに伝えてくれていると思う。
特に「震災検証」が充分に行われていないことについては、大きな問題だと思った。苦しくても、責任の所在を明らかにして、次に同じような災害が起きたときに多くの命を守れるよう再発防止に努めることは生き残った人が全うしなくてはならない責務ではないのか。。
小さな町には人材が少なすぎるんだと思う。地元出身の人にこの町のリーダーになってもらいたいという地元の思いは分かるが、この町を良くしていくためには、そういった感情は優先されるべきではないと思った。