南川文里の作品一覧
「南川文里」の「アファーマティブ・アクション 平等への切り札か、逆差別か」「自由に生きるための知性とはなにか」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「南川文里」の「アファーマティブ・アクション 平等への切り札か、逆差別か」「自由に生きるための知性とはなにか」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
すべての人間は平等の下、合衆国は奴隷制は維持される中、1865年に奴隷制が廃止、しかしながら黒人と白人が公共施設、学校などで隔離するジム•クロウ制度の為に人種不平等が続いた。ローズヴェルト大統領のニューディール政策下白人への優遇は続き、ジョンソン政権下1964年公民権法制定とともにジム•クロウ制度は解体。ただし人種を理由とした隔離、雇用とサービス提供の拒否の禁止するだけでは今までの不平等は放置されるだけで何も変わらない。これらの不利な立場の中で能力を発揮できない人を支援しようと言う新たな人種正義の実現に向けてアファーマティブ•アクションが生まれる。1970年代に入りマイノリティを優遇する政策が逆にマジョリティから見ると逆差別にあたり、1971年ワシントン大学法科大学院不合格になったユダヤ系の白人学生デフニスの裁判、1974年のカリフォルニア大学医学部不合格のアランバッキ、1995年ミシガン大学学部入試不合格になった白人女性な裁判によるAA批判が続く。第4章以降はなぜ廃止になったのかまで一冊読むとアファーマティブアクションを一通り学ぶことができる。とてもわかりやすく説明されておりオススメの一冊です。
Posted by ブクログ
アメリカにおける差別撤廃とアファーマティブ・アクション(以下、AA)の苦闘の歴史を紹介・解説した本。
面白くて、めちゃくちゃ勉強になります。
いろいろと紹介したい内容も多いのですが、ひとまず二点のみ、私的感想。
①AAは、アメリカでは決定的な事例で違憲とされた判例もありますが、かと言って過去の遺物として全否定できるものでは当然なく、わかりやすく低コストの施策として、今後も条件付きで一定の有効性は認められると思う。
②AAは多様な観点から評価されるべきもので、例えば男女差別といった一面だけをとり上げて実行するのは難しい…というか、基本的にすべきではない。差別や格差もまた多様なので、AA実行の前提として、そのような細やかな分析は欠かせない。そして、分析結果に基づき複合的に実行するにせよ、やはり割を食う人がいることを忘れてはならない。
Posted by ブクログ
自由に生きるための知性
これはいってしまえば=教養なのかなと思った
第一部が特に心に残った
教養を学ぶ意義
教養と社会の関係について整理できた
いま、教養が大事だと改めていわれている理由
→教養から専門知に傾いて
専門家と一般人のコミュニケーション
が上手くいかず、さらには
非対称な垂直な関係になり
専門家と一般人の間の信頼が崩れた
→終身雇用制度が崩壊しており
学び続ける力が必要になってきている
=エンプロイアビリティ
一方で、教養・リベラルアーツとは、
それがある人とない人を隔てる垣根であり
いま社会から求められている教養との間に
ジレンマがある
いま求められている教養とは
他者に対して「開かれ」ていること
新しい自己に出会うこと
その後の章では、差別、好きって何、読書のすすめ、など専門家からの細かな話になるが
「いまの自分の枠からはみたでたものを学ぶ、触れることで、新たな自分を発見する」こと
の重要性が通底しているなと思った
感想
上田先生が言ってたいわゆる量産型の奴隷のような学生だったな自分…
そして色々みているつもりだったけど、自分の好きの中でしか出会えてないかも…
めちゃくちゃ井の中の蛙だな自分…
てか文中の引用がハードすぎて付いていけない…
と落ち込みそうになりました
しかし相手は大学教授たちなので仕方ない
というか、
教養の持つ分断の意味合いにジレンマ感じつつ
インテリたちの共通言語を使いすぎてやしないかい?とツッコミを入れながら読みました
単細胞の私には少々難しい本でしたが
1ヶ月くらいかけてゆっくり理解しました
おすすめの本がたくさん出てきて
読書リストがどんどん伸びる
時間を空けてもう一度読みたい作品
Posted by ブクログ
アファーマティブアクションが、アメリカにおいていかに必要とされ、どのような変遷を経て、2023年違憲判決が出て廃止に追い込まれたか、その歴史とその意義について書かれた本である。
違憲判決が出たのは、白人側からの「逆差別」だという反発があったのは想像できたが、最後の引き金になったのはアジア系アメリカ人、特に中国系エリート移民が信じるメリトクラシーにA.Aが反するということで起こされた裁判であったのは、ちょっとショック。
しかし、AAを取り入れて成功している国もある。カナダである。そこに1つの希望がある。
さらにアファーマティブアクションの考え方に変わり、「インターセクショナルリティ」(特定の属性を特権化せず、複数の要素を考慮する考え方)を提示してくれていることも、不平等がまかり通る世界に闇雲に進んでいくわけでは無いのだなという、ほんの少しの希望も感じる。
とはいえ、日本は、その議論のスタートラインにさえ立っていないと著者は言う。日本は制度的基盤も虚弱であり、「法の下の平等」の理念を実質的な制度に落とし込むための包括的な差別禁止法も成立していない。なので、構造的不平等のパターンを可視化することも難しい。なのに、逆差別だという議論ばかりが先行するのは奇妙だと。
たしかに…。