発達障害の中でもASD、その中でも「感覚過敏」という特性に焦点を当てて論じられていた。
簡単に言えば感覚過敏は認知能力の過不足によって引き起こされる。その機序をMRIやMRSを用いて証明している点が他書には無い特筆すべき点だろう。
私の偏食や塗り薬を昔から毛嫌いしてるところは多少なりとも感覚過敏の特性の現れなのかもしれない。
ただ、感覚過敏と感覚鈍麻は共存することがあり、また、感覚過敏だからといって全ての刺激(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に過敏になるわけではない。
✏2000年代にはfMRIによる研究が活発になり、認知活動や行動に関連する脳内メカニズムを明らかにする手法として盛んに用いられるようになりました。例えば、「被験者の手に振動を与えると、被験者の脳の中で触覚の処理に関連する体性感覚野という部位で、どのような神経活動がどの程度の強さで起こるのか?」といったことが評価できるようになったわけです。
✏感覚過敏について。辞書などによれば「周囲の音や匂い、味覚、触覚など外部からの刺激が過剰に感じられ、激しい苦痛を伴って不快に感じられる状態」とあります。あくまでも相対比較となりますが、定型発達者と比べ、ちょっとした刺激に反応してしまう状態を指しています。
✏「一人の中に感覚過敏と感覚鈍麻が同居する」ということもわかってきました。
✏感覚は入力、知覚、認知、情動・感情の全てに関連します。これらは1つだけを取り上げても学問分野が形成されるような、さまざまな要素を含む概念です。感覚は、それらの概念すべてにまたがる概念なのです。感覚過敏、感覚鈍麻という言葉も、「感覚過敏とは、つまりこういうことですよね」「感覚鈍麻とは、つまりこういうことですよね」とひと言で簡単に定義できるものではなく、多義的で曖昧であり、今後の研究の余地が大いにある言葉なのです。
✏ASD者の目は、周辺情報に惑わされにくいと同時に、「周辺情報を取り入れるのはどうも苦手」という面があるわけです。つまり、ASD者たちが「定型発達者と比べて、周辺情報との関連性を考慮しながら情報処理する」ということがあまり得意ではないということを示しています。
✏錯視とは「物理的な正確性」よりも「脳の効率性」を優先した結果ともいえるわけです。
✏私たちの研究チームは、脳の局所における脳内代謝物の測定を可能にする「磁気共鳴スペクトロスコピー(MRS)」という機器を用いて、ASD者の脳の計測を行いました。
✏このような情報処理を行っている脳の活動を研究していくと、定型発達者とASD者の間に「脳の活動のしかたの違い」が見られることがわかってきました。
✏脳内のある領域におけるGABAの量(少なさ)が大きなカギを握っている
→脳の補足運動野という領域に含まれるGABAが少ないほど、上下肢の協調運動(縄跳びやスキップ、自転車や自動車の運転など、手や足など別々に動く身体部位をまとめて1つにして動かす運動のこと)に難しさを抱えている 。
→脳の運動前野という領域に含まれるGABAが少ないほど、日常的に感覚過敏の症状が強く現れている。
✏残念なことに、GABAは体外から摂取しても脳には直接取り込まれないと基本的には考えられています。
✏なぜ、定型発達者は「いつもと違う道」に不安を感じないのか?敢えてわかりやすい言葉を使うならば、定型発達者は「ぼんやりと情報収集をしているから」です。
✏では、〝リミッター〟をかけずに情報処理を行うASD者にとってはどうでしょうか? 「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」では、道幅も違う、標識も違う、建物も違う。お店から漂ってくる匂いも違うし、耳にする音もまったく違う。皮膚で感じる細かな振動なども当然変わってくる……五感で得られる刺激のなにもかもが違います。つまり、「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」を、まったくの別世界のように感じている可能性があるのです。
✏ASD者は社会不安性障害や強迫性障害を併発しやすい。
✏ASD者は社会的な情報に鈍感なわけではなく、受け取った情報に対する反応の様式が定型発達者と異なることから来る失敗の経験の蓄積により、定型発達者よりも社会的な情報にナーバスになり、強い不安を持っている場合が多いと考えられます。
✏つまり、恐怖や不安の表情を目にすると、ASD者は刺激に対してさらに敏感な状態になるのです。
✏ASD者は世界を「自分中心」で捉えている可能性があります。
✏ですから、ASD者の周りにいる定型発達者の方々が維持すべき基本スタンスは、「その行動はおかしい、他の人に迷惑をかけてしまう」といった理由で直そうとすること ではなく、「その行動をとるのはなぜなのかな?」と観察し、考え、行動の背景に思いをはせること だと私は思っています。
✏研究の手法に関しても、従来のような「特定の脳部位の活動や構造を取り上げて、ひと括りにASD者と定型発達者を比較する」といった形に疑問が投げかけられています。 つまり、「ASD者全員が共通して持つ特徴がある」と仮定するのには無理があるということです。
✏自閉症〝でも〟ではなく、自閉症〝だから〟彼らは科学に貢献できると信じている。
✏効果的な支援を行うためには、一人ひとりのASD者の発達段階や感覚特性に合わせて何が最適なのかを都度判断するスキルが求められます。このような専門スキルを持った人たちと密な連携をとることが、ASD者の個性を認める社会、ASD者の生きやすい世界の構築につながっていくと私は思います。
✏今後、ASD者の方々がなぜコミュニケーションが苦手なのか、その理由がより明らかになるのではないかと考えています。そのカギは、感覚の時間処理の精度、つまり「どの感覚をどのタイミングで処理するか」が握っているのではないかと推測しています。
✏発達障害の研究は、さまざまな関係者と連携をとりながら、より横断的に行われるべきだと私は考えており、自分自身もそのような方向で活動していきたいと思っています。すでにアメリカ、オーストラリアなどでは、1つの大きな研究組織が束ね、基礎研究から臨床、特別支援教育、就労支援といった応用領域の研究を行う──といった形が見受けられます。