自然と一体化する繊細な感受性と、センス・オブ・ワンダーを言葉に変える能力を持った北アイルランドの若き環境活動家が、14歳の日々を綴った記録。
邦題の通り著者のダーラは自閉者で、母と妹も自閉者、父親は定型発達者という家庭。幼いころから世界の見え方や微細な感覚を共有できる人たちと暮らしてきたことで、ナチュラリストとしての才能が潰されずに育まれてきたのだろうなと思わされるところが多くある。
こう言うとマカルナティ家について閉じた印象を与えてしまうかもしれないけど、彼らの心は常に自然に向かって開かれている。ダーラは鳥の専門家で、いかなるときもバードウォッチングの機会を見逃さない。妹のブローニッドは道に落ちたカケスの羽を拾って喜び、羽をなくせばそれを探す茂みのなかで鳴くコオロギの声に慰められる。感覚器が生きものたちと直接繋がっているかのように、ダーラたちの日常と北アイルランドの自然は一体なのだ。
初めのほうでダーラはあまり学校の話をしないのだが、読み進めるうちに本当はイジメを受けていたらしいとわかってくる。その時期について彼は多くを語りたがらないけれど、転校をきっかけに彼の日常が変化する。
それまでのダーラは学校に期待せず、家族やバードウォッチングを通じて知り合った人たちを大事に思って暮らしてきた。だが、新しい学校では嫌がらせを受けないどころか、きちんと自分の話を聞いてくれる人がいる。ダーラは最初そのことに戸惑う。この戸惑いに今までの彼の苦しみが透けて見えてなんとも切ないのだが、自分の世界に友人という〈他者〉の侵入を許すべきか否か、という葛藤をダーラはこう表現している。
「岩の壁と美しいツタがぼくのまわりに張りめぐらされて、家族と野生生物だけがなかにはいれるようになっている。いく筋もの光がそこを突き抜けはじめているけれど、ぼくはまだ用心深くて、いつまで続くか考えずにはいられない。そんな疑いが忍び寄るのは壁とツタが陰に入ったときだ。でもたぶん光と陰はどちらも必要なんだと気づきはじめている。それもぼくの一部で、変えられないものだから」。美しさと同時に、自身の臆病さと真っ直ぐに向き合える聡明さに胸を突かれる思いがした。
センス・オブ・ワンダーに溢れた顕微鏡的な世界と、それを瑣末なこととして切り捨てていく社会とのあいだにある軋轢に対峙することをダーラは決断する。同じく自閉症のティーンを語り手にしたマーク・ハッドンの『夜中に犬に起こった奇妙な事件』や、小学生の〈私の世界〉が〈私たちの世界〉へ広がっていく瞬間を切り取ったニコルソン・ベイカーの『ノリーのおわらない物語』など、私の大好きな小説たちを彷彿とさせるジュヴナイル的な展開なのだが、本書はもちろんフィクションではないし、ダーラ自身の手で書かれているというのが超超超重要だ。
私は自閉者の人が書いたものを探していて本書に出会えた。熟練の観察者の目に見える世界を言葉で再構築して追体験させてくれるネイチャーライティングの傑作でもある。環境活動家を十把一絡げに「なんか迷惑なことをする集団」としか思っていない人たちにも、いつかこういう本が届いてほしいと思う。