東京のドヤ街・山谷をテーマにしたルポ。お目にかかったことのある方々がけっこう
出てくる。
狂言回し的な人物は、かつてホームレスや行き場所・居場所のない人のためのホスピ
スとして「きぼうのいえ」を立ち上げ施設長を務めていた山本雅基さん。その山本さ
んが、いまでは統合失調症をかかえ生活保護を受け、山谷のアパートでケアを受けな
がら暮らしているというドラマチックな幕開け。雅基さんの志ひとつと妻・美恵さん
の支え、二人の出会いのケミストリーでできたような「きぼうのいえ」だが、美恵さ
んは出奔し、もともと不安定ぎみだった精神面に拍車がかかったこともあって、雅基
さんは「きぼうのいえ」の要職を外れいまに至っているという。
ドラマチックでスキャンダラスにもとらえられかねないけど、著者の筆はそこから山
谷の本質らしきものを導いていく。それは、山谷ならではの地域ケアシステムともい
うべきものの存在。それぞれの分野・活動領域からホームレスなどを支援する複数の
団体(きぼうのいえ、訪問看護ステーションコスモス、山友会、友愛会、ふるさとの
会など)が連携することでなされるもの。数々のケースにぶつかりながら自然発生・
発展的にかたちづくられてきた(かたちづくられているといっていいのか……)。
では、どこか別の地域でまねできるかというとそうはいかない。山友会の無料クリ
ニックで長年診療を行っている医師の本田さんが言うように、山谷という狭い地域内
だからこそ回るものでもあろうし、こうした密な連携は公的な制度上ではできない
し、そこまでやっては制度化の数少ない利点である「広くあまねく」は実現できない
と思う。要は、はなはだ不安定で心もとないけれど、山谷に活動する人々のつながり
によって成り立っているシステムなのだ。
実は、山谷で支え手となっている人たちも流れ着いたり、救いを求めてたどり着いた
という人たちが多いと著者は書いていて、それもわかる気がする。共依存関係に支え
られたエリアのような面があると思う。だから親身になって濃密な支え方ができるん
じゃないだろうか。
雅基さん・美恵さんだってそういう人たちだった。山谷で生かされたから「きぼうの
いえ」のような活動ができたのだろう。雅基さんが著者に語った「現代はファミレス
(ホームレスじゃなくてファミリーレス)」って言い得ていると思った。雨露をしの
げる場所(ホーム)があっても満たされないものがある。必要なのは(血のつながり
なんかどうでもよくて)、つながる人(ファミリー)なんだといっているのだと思
う。いわば、山谷は大家族のようなもの。個を尊重するだけの距離感がありながら、
いざとなれば助けてくれる、助け合えるような関係性がある。
本書の個人的な白眉は、雅基さんをおいて出て行ったことになっている美恵さんを探
しあて話を聞いているところ。メディアに頻出して理想形のようにいわれる裏で、周
りの人に知られないようにしているうちに(周りの人が知ろうとしないでいるうち
に)、限界が来ていたのだなと思った。それを乗り越えるには、二人のケミストリー
は起きなかったし、人の手を借りることができていたらどんなによかっただろう。
「きぼうのいえ」を出ていったときの「もう魂に嘘はつけません」という書き置きの
意味がわかった。美恵さんがひっそりと、ちゃんと生きて暮らしていることがわかり
本当によかった、安心した。