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「萩原淳」の「平沼騏一郎 検事総長、首相からA級戦犯へ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「萩原淳」の「平沼騏一郎 検事総長、首相からA級戦犯へ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
知られざる大物政治家・平沼騏一郎に関する本邦初の本格評伝。日本の検察制度を創ったといって過言ではない平沼の司法省時代、第1次世界大戦を契機とした国家主義への傾倒、国本社創設とそこでの活動。そして政権獲得を目指し権力を得る1930年代。平沼内閣自体は「欧州情勢は複雑怪奇」で短期で潰えたが、退陣したあとも終戦まで権力の中枢で活動した。その間、大東文化協会が設立され、大東文化大学の前身である大東文化学院が発足。平沼はその初代総長に就任した。
本学と関わりが非常に深い平沼であるが、大東文化大学の中ではほとんど顧みられることのない人物でもある。戦後、極東軍事裁判で有罪判決を受け、終身刑。刑期中に病死し
Posted by ブクログ
1939年、独ソ不可侵条約が締結されたことで
ドイツ共産党は大混乱に陥った
それまで抗ナチスで結束していた人々は
ソ連の方針に追随する派と、抗ナチ継続派に割れて
大モメにモメたという
一方、日本では
時の政権・平沼騏一郎内閣に激震が走っていた
ソ連封じ込めのために推し進めていたドイツとの協調路線を
ヒトラーにひっくり返された格好であったのだ
「欧州の天地は複雑怪奇」
そんな迷言を残して平沼内閣は総辞職を選ぶ
日中戦争の落とし所を見失っていた当時
ソ連が東側に力を注ぐ可能性は、考えるまでもなく脅威だった
しかし…それで政権をほっぽり出すものだろうか
平沼は司法省出身の、元は検事だった
不起訴を
Posted by ブクログ
その右翼的言辞から、首相の奏薦権を持っていた元老西園寺に嫌われ、なかなか首相になれなかったこと、"欧州情勢は複雑怪奇"とステートメントを出して内閣総辞職したこと、本書の対象人物、平沼騏一郎についてはそのくらいのことしか知らなかった。
しかし、司法界では検事総長、大審院長を歴任、そして首相と、司法と行政の頂点を極めた唯一の政治家と言われると、どんな人物だったのか興味が湧く。
前半は、司法界での経歴や実績が語られる。西洋と同格になるための刑事法令改正の立案、検察官による捜査範囲の拡大や起訴便宜主義等検察権限強化のための活動に加え、大逆事件への積極的関与、政界絡みの贈収賄