【感想・ネタバレ】平沼騏一郎 検事総長、首相からA級戦犯へのレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

知られざる大物政治家・平沼騏一郎に関する本邦初の本格評伝。日本の検察制度を創ったといって過言ではない平沼の司法省時代、第1次世界大戦を契機とした国家主義への傾倒、国本社創設とそこでの活動。そして政権獲得を目指し権力を得る1930年代。平沼内閣自体は「欧州情勢は複雑怪奇」で短期で潰えたが、退陣したあとも終戦まで権力の中枢で活動した。その間、大東文化協会が設立され、大東文化大学の前身である大東文化学院が発足。平沼はその初代総長に就任した。

本学と関わりが非常に深い平沼であるが、大東文化大学の中ではほとんど顧みられることのない人物でもある。戦後、極東軍事裁判で有罪判決を受け、終身刑。刑期中に病死したことの影響も大きいだろう。

しかし、その評価はともかく大きな功績がある大人物であることに間違いはない。色々と誤解も多い人物だと本書を通じて感じた。著者経歴を拝見すると1987年生まれでお若い先生(琉球大)のようだ。今後のご研究の発展を期待したい。

2021.9.18追記:お兄さんの平沼淑郎(経済学者。第3代早稲田大学学長)についての記述はほぼなかった。

0
2021年09月18日

Posted by ブクログ

「複雑怪奇」声明で知られる平沼騏一郎の司法官僚から首相・重臣に至る生涯を描く。平沼の本格的な伝記としては、現時点でほぼ唯一のものである(著者の前著も平沼の伝記的な著作であるが、博士論文を基にしたガチガチの研究書である)。倉富勇三郎日記などの史料を駆使して、実証的に平沼の実像を明らかにしている。
平沼は、決して「ファッショに近き者」というわけではなく、司法官僚としては近代司法制度の基盤を築いた一流の存在であったが、観念的な主張ばかりで具体的なビジョンを示すことができず政治家としては二流と言わざるを得ないと感じた。

0
2021年10月18日

Posted by ブクログ

平沼騏一郎の司法官時代から政治家になり 総理大臣 A級戦犯となった人生をわかりやすく解説されていてわかりやすかった

0
2021年08月29日

Posted by ブクログ

1939年、独ソ不可侵条約が締結されたことで
ドイツ共産党は大混乱に陥った
それまで抗ナチスで結束していた人々は
ソ連の方針に追随する派と、抗ナチ継続派に割れて
大モメにモメたという
一方、日本では
時の政権・平沼騏一郎内閣に激震が走っていた
ソ連封じ込めのために推し進めていたドイツとの協調路線を
ヒトラーにひっくり返された格好であったのだ
「欧州の天地は複雑怪奇」
そんな迷言を残して平沼内閣は総辞職を選ぶ
日中戦争の落とし所を見失っていた当時
ソ連が東側に力を注ぐ可能性は、考えるまでもなく脅威だった
しかし…それで政権をほっぽり出すものだろうか

平沼は司法省出身の、元は検事だった
不起訴を餌に政財界とのコネを作った(日糖事件)とか
デッチ上げの贈収賄事件で政敵を蹴落とした(帝人事件)とか
悪い噂に事欠かない人である
観念右翼と呼ばれるクチの国粋主義者であり
大逆事件の捜査を指揮したという事実もあって
暗黒の戦前イメージを担うひとりであることは間違いない
司法改革に尽力したのは確かであるが
裁判官の大量リストラを主導して
自身の勢力を伸ばした部分も、おそらくある
昭和維新を説いた身でありながら
226事件直後に自前の右翼組織を切り捨て
後世には無定見の陰謀家、マキャベリストの印象を与えた

そう、確かに権力奪取が目的化している部分は
あったかもしれない
しかしそもそも平沼が国粋主義に走ったきっかけは
犯罪増加に抑制をかけたい一心であった
利益追求のために法を侵す人々の個人主義
あるいはテロを引き起こす共産主義や無政府主義
そういった外来思想へのカウンターが国粋主義であり
それを布衍するために権力は必要だった
ところが1931(昭和6)年あたりから
右翼のテロがやたら目立つようになってきた
司法省時代、冤罪の抑制を期待して唱えた徳治主義が
軍では身内を甘やかす風潮として蔓延しており
それが226事件を引き起こす土壌となった

どんな「主義」も原理であって
人間社会に対してはいずれ逆説を突きつける
だから国粋主義の行き着く先は共産主義と同じだと
いくら言ったところで
官僚・平沼はそのことを納得しなかっただろうし
そんなだから政党政治には批判的だった
談合や賄賂といった闇の側面ばかり見すぎたせいもある
その中で、個人主義とは別にある人間の人間らしさに対し
絶望を深めていったのだろう
宮中入りを目指しながらファッショ傾向を危ぶまれてかなわず
枢密院議長を経たのち
中国相手に大失言をかました近衛文麿の後継として
ようやく総理大臣になったころ
平沼は良くも悪くも老いてイビツになっていた
つまり本人が複雑怪奇だった
実際のところ、日本的道徳観を盾にファシズムは否定していた
陸軍の推し進める総動員体制にも抵抗した
しかしパーフェクトワールドを夢見たことに変わりはない
ドイツには虫のいい要求を押しつけ
相手にされなかったと見たほうがいいのかもしれない
要は性善説に基づく空想的政治家であって
グローバルの野蛮な現実、時局に対してはどこかズレていた
それに対しほとんど何もなしえず
ひとつのつまづきでぜんぶ御破算にしてしまうことを
いさぎよさと言うことはできない
完璧主義の弊ではないか

とはいえそれは
あくまで英米を敵としない方針を貫いた結果でもある
のちに締結される日独伊三国同盟は
英米との敵対関係を見据えて結ばれたものだ
…理想論が先に立つあまり
実行に際してはどっちつかずに見えてしまうところがあった
太平洋戦争においては終戦工作に携わったものの
国体護持にこだわる態度を問題視され
結局、A級戦犯として終身刑を言い渡された
一方、中国の蔣介石は共産党に追われ
大陸を脱出していた
平沼がもう少し粘って和平工作に手をつけ
防共についてコミュニケーションする機会を持ってたら
どうなっていただろうか

0
2023年09月29日

Posted by ブクログ

 その右翼的言辞から、首相の奏薦権を持っていた元老西園寺に嫌われ、なかなか首相になれなかったこと、"欧州情勢は複雑怪奇"とステートメントを出して内閣総辞職したこと、本書の対象人物、平沼騏一郎についてはそのくらいのことしか知らなかった。
 しかし、司法界では検事総長、大審院長を歴任、そして首相と、司法と行政の頂点を極めた唯一の政治家と言われると、どんな人物だったのか興味が湧く。

 前半は、司法界での経歴や実績が語られる。西洋と同格になるための刑事法令改正の立案、検察官による捜査範囲の拡大や起訴便宜主義等検察権限強化のための活動に加え、大逆事件への積極的関与、政界絡みの贈収賄事件における捜査指揮と関係方面との調整、いわゆる平沼閥の存在などについて、詳しく紹介される。

 後半はまず、首相を目指しての活動が紹介される。右翼団体と言われる国本社をバックに政治的影響力を増大させようとしたこと、陸海軍幹部との関係を強化しようとしたこと、政党とは一定の距離感をとっていたことなど。
 そして大願かなって首相となったものの、泥沼化する日中戦争、アメリカとの対立、三国同盟締結を巡っての国内対立等課題山積の中、独ソ中立条約締結を契機に、首相を退くこととなる。
 首相退陣後も近衛内閣入りし、重臣として一定の影響力を保持していたこと、開戦・終戦時にも意思決定に関わっていたこと、そして敗戦後はA級戦犯として裁かれる、という後半生が描かれる。

 全体を通読しても、平沼がどういった政治信条の下、どのような政策を行おうとしていたのかが、今一つ焦点を結ばなかった。政党系の政治家であれば、一応一定の政策群が示される訳だが、天皇を中心に全国民が処を得ると言われても、それは精神論である。
 本人自身が具体的な政策をほとんど語らなかったためであろうが、その辺り不完全燃焼の感が解消できなかった。

 もっとも、活動歴や人物像で知らないことが多かったので、バイオグラフィーとしては、大変面白かった。

0
2021年08月27日

「学術・語学」ランキング