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2026/09/16
ロバート・ヘンライ
(英語: Robert Henri, 1865年6月24日 - 1929年8月12日)はアメリカ合衆国の画家である。アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 シンシナティ。1929年8月12日(64歳没)アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 。オハイオ州のシンシナティに不動産業者、J.J.コザード(John Jackson Cozad)の息子、Robert Henri Cozadとして生まれた[1][2]。1882年に父親が仕事上の紛争から、発砲事件を起こし、コロラドへ逃亡し改名して暮らしたのに伴って、ヘンライも改名した。1...続きを読む 883年に家族はニューヨークに移り、さらにアトランティックシティに移った。1886年にペンシルベニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of the Fine Arts)で学んだ後、1888年にフランスに渡り、1889年から1891年まで、アカデミー・ジュリアンでウィリアム・アドルフ・ブグローに学び[3]、エコール・デ・ボザールでも学んだ。1891年にフィラデルフィアに戻り、1892年からフィラデルフィア女子デザイン学校(Philadelphia School of Design for Women)で教師を始めた。フィラデルフィアではジョン・スローン、ウィリアム・グラッケンズらと新しい芸術をめざす美術家の集団、「The Eight」をつくった。都会の下町や労働者階級の人々の生活を写実的に描く運動は「アシュカン派(アッシュカン・スクール)」を形成した。「アシュカン派」からはスチュアート・デイヴィス、アーサー・ダヴ、ジョセフ・ステラといった画家が生まれた。1913年にニューヨークなどで開かれた国際展覧会、アーモリーショーに「The Eight」のメンバーとともに出展した。1906年に、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれ、1909年からニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザイン(後のパーソンズ美術大学)で教えた。自らの美術学校を作り、1912年まで教えた。この時代にヘンライに学んだ学生にはジョージ・ベローズ(George Wesley Bellows)やロックウェル・ケント(Rockwell Kent)、エドワード・ホッパー(Edward Hopper)、レーベン(Norman Raeben)らがいる。1915年から1928年はアート・スチューデンツ・リーグで教えた。
1. 肖像画の条件
2. パレットの上に色をおく
3. 背景について
4. 立体感について
5. 色彩について
6. 筆遣いについて
7. 想像力について
8. 見ることについて
9. 情熱について
10. バランスについて/アイデアについて
11. 一枚のスケッチ
12. 秩序について
13. 芸術における独立と自由
14. 「わが同胞」
15. 教師たる者へ
16. 芸術家であること
17. 一通の手紙より
18. 傑作を生みだせ
19. 作品を完成させる必要はない
20. 巨匠の作品を研究せよ
21. ニューメキシコからの手紙
22. 自分自身を見出すこと
23. 人間を観察すること
24. 目を覚ませ
25. 冒険を恐れるな
26. 賞とメダルについて
27. 一人ぼっちで寒さに耐えること
28. 美術学校の使命
29. 動機について
30. 勉強方法について
31. ロバート・ヘンライの批評および教室での言葉
デイヴィッド・リンチ御大のお気に入りの本があがっているんだけど、フランク・キャプラ自伝、ドストエフスキー『罪と罰』、ロバート・ヘンライ『アート・スピリット』、ロバート・フリン・ジョンソン写真集、カフカ『変身』と、鉄壁すぎる。
faroutmagazine.co.uk/david-lynch-fa…
ロバート・ヘンライ『アート・スピリット』の10刷りが決定とのこと。累計2万部接近。美大新入生のもはや基本必携テキストと化した感あり? ということは不滅のロングセラー入りということでしょうか。
「ある人の内部に芸術家の魂が息づいているとき、創作のジャンルにかかわらず、その人はおのずと創意にあふれ、探究心をもち、大胆に自己表現しようとするはずだ。そして、他人に興味をもつだろう。周囲に混乱をもたらし、悩ませ、啓蒙し、よりよい理解に向かって道を切り開く。芸術家の魂をもたない人びとはこの本を閉じるだろうが、芸術家の魂をもつ人なら、この本を開き、もっと書くべきことがあると身をもって示すだろう。 そのような人がいなければこの世界はよどみ、そのような人がいれば世界は美しくなる。なぜなら、その人は自分に興味をもつだけでなく、ほかの人びとにも興味を向けるからだ。芸術家であるには、画家や彫刻家になる必要はない。どんな素材でも作品はできる。外の世界ではなく、作品そのもののなかに価値を見出せばよいのだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「芸術を学ぼうとする人びとの苦労は並大抵のものではない。それに向きあう勇気とスタミナをもつ人はめったにいない。いろいろな意味で、孤立することを覚悟しなければいけない。人は共感を求め、仲間をほしがるものである。一人でいるよりも、仲間といるほうがずっと楽だ。だが、一人になって初めて、人は自分をよく知り、成長できる。大勢に囲まれていたら、成長が止まってしまう。これには犠牲がともなう。成功を手に入れたとしても、人は生涯その成功を楽しむと同時に、何かを失わなければならないのかもしれない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「ルネサンスの巨匠たちの技術を学びなさい。彼らの絵がどのようにしてできているのかを知ること。ただし、彼らが築いた伝統に囚われてはいけない。それらの慣習は、彼らにとっては正しかったし、巨匠たちはたしかにすばらしい。彼らは自分なりの表現法を生みだした。きみたちにも自分だけの表現がある。巨匠たちは手助けしてくれる。過去のすべてが手がかりになるだろう。 芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「拒絶を恐れるな。すぐれたものをもつ人間はみな拒絶を通過してきた。作品がすぐに「歓迎」されなくても気にしないことだ。作品がすぐれているほど、あるいは個性的なほど、世間には受け入れられないものである。ただし、このことは覚えておいてほしい。絵を描く目的は、展覧会に出すことだけではない。作品が展覧会場に並ぶのは歓迎すべきことではあるが、絵を描くのは自分自身のためであって審査員のためではない。私は何年も拒絶されつづけた。 大傑作をめざせ! よくできた風景画を描いたりするな。きみ自身が興味を引かれた風景をキャンバスに描きだせ──それを目にしたときの自分の快感を描くのだ。頭を使え。 きれいな色彩、快い色調、バランスのとれた形体で風景を描ける人びとは大勢いる。そのすべてが、大胆かつ知的な筆さばきで表現されている。 クールベの作品はどれも、彼の人間性をあらわしている。彼がどんな頭脳とどんな心をもっていたかが読みとれる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「まず手がかりとなるのは、強い印象である。モデルを前にして、心の底からわきあがる興味、そして深く感じとれるもの。筆をおくまで、その印象を保たなければいけない。それ以外のことに目を向ける必要はない。気をそらせてはいけない。モデルの特徴も、それにふさわしいものだけを抽出する。そうすれば生き生きとした作品になるだろう。絵画を構成する要素はすべて、一つのアイデアを伝え、感情を表現するものであるべきだ。絵画のあらゆる要素は美しくなければいけない。個々の要素が全体のなかにしっくり収まってこそ、部分が生命をもつからだ。それによって、生きた線、生きた形体、生きた色彩が生まれる。部分の正しい関係性を把握することによってのみ、自由が得られる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「作業はスピードが大事だ。エネルギーをみなぎらせ、活発に動きたまえ。できるだけすばやく終わらせること。ぐずぐずやっても、よいことは何もない。まず、大きなマッスから始めて、表現の可能性を探ろう。しかるのちに、そのマッスとの調和と関連性を見ながら、単純な部分に特徴をつけくわえる。できれば、一度のポーズでそこまで進めておこう。可能なら、一分間ですませてもよい。時間をかけてもよくなるとはかぎらない。しかし、大きな部分によってすべてが表現できたと思えないかぎり、マッスから部分に移ってはいけない──どんなに時間がかかっても、また、その絵の完成が一日ないしそれ以上の日数で遅れたとしても。この原則を忘れないでほしい。傑作といわれる素描、偉大な表現、納得のゆく完成、すべてを描ききったという満足感は、大きな部分や大きなポーズでどれだけのことをなしとげたかにかかっている。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「物の関連性を正しく読みとれれば、それらを使ってどんなことでもできる。物を使って画面を構築しながら、物自体を損なわずにすむ。それができれば、個々の品物は意味を強めながら、おたがいの絆が結ばれる。 美術の勉強とは、物体の関係性に含まれた価値を学ぶことである。美術作品における関係性の価値を正しく理解できなければ、その作品を構成する要素もわからない。不安定な美術作品と同じく、正しい価値判断ができないときに不安定な政府が生まれる。 人の顔や風景を見るとき、最も大切な印象はほんの一瞬で消えてしまう。作品は記憶から生まれるものだ。記憶とはその大切な一瞬をよみがえらせることである。その記憶がつづくあいだ、視界にあったさまざまな要素は関連性を保っている。だが、その関連性は持続しない。気分が移り変わるにつれて、多かれ少なかれ、新しい配置がそれにとってかわる。その特別な秩序を記憶のなかで保たなければいけない──その特別な見方、その表現である秩序そのもの。記憶はそれを保たなければいけない。そこから先の、モデルをもとになされるすべての作業は、もはやデータ収集でしかない。モデルの気分はすでに変わっている。すでに新たな関連性ができあがっている。見ているほうは混乱するかもしれない。画家は自分の特別な見方を記憶として保たなければいけない。ところが、「対象」はいまやすっかり自分らしさを失い、味気ないマネキンでしかない。絵画は、さまざまな気分を適当につぎはぎしたパッチワークになってはいけない。最初の強い印象を保つことが大事だ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「それなら、この計画をなぜ実践しないのかという人もいるだろう。理由は残念ながら、お決まりのものである。よい美術学校はたいてい個人経営で、必要経費さえ満足にまかなえないのがふつうだ。新機軸をとりいれるには財政的なリスクがともなう。しかも、このプランの場合、学生たちを納得させなければならない。そして、先にも述べたように、この勉強のスタイルは最初の段階で困難にぶつかることが多い。 記憶による制作にはいくつかの試験的なやり方があるが、最も効果的と思われるのは、五分、十分、三十分のポーズをとりいれる方法だろう。これによって、精神の動き、鋭敏さ、本質をすばやく見抜く目などが養われる。三十分間、神経をはりつめて対象を見るほうが、まる一週間、だらだらと作業をつづけるよりもずっとよい。五分、十分、三十分と時間を区切って観察し、すばやく作業するほうが、ものの見方は確かになり、選択眼が磨かれ、記憶力もよくなるはずだ。すばやい行動を重んじるこのやり方は役に立つ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 人の目は関連性のないものを本能的に無視しがちである。人間はカメラではない。人の目は見るものを選択する。絵を描いていないときも目はつねに選択している。若い女性と同席して会話しているとき、なんてきれいな人なのだろうと思ったら、彼女の背後で起きていることなどまったく目に入らなくなる。さらにいえば、なんてきれいな人なのだろうと思ったとき、人は(無意識のうちに)雑然とした背景を彼女にふさわしい見事な舞台に変え、その存在を引き立たせるものとして作りかえる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 では、頭脳を使うとはどういうことか。人は物を立体的に見る。自然界で生きるとき、立体感は大事だ。立体のもつさまざまな側面はわれわれに大きな影響をおよぼす。形体には凹凸のリズムがある。音楽は表現のなかでもとくに自由で、あらゆる方向に広がり、大勢の人に強い感動を与える。音楽は一体化し、いっしょに動くかと思うと、反発し、離れていく。音楽の構造はきわめて数学的な手法から成立している。それらの手法のどれを選び、どう配合するかで、人が受ける印象も強まったり、弱まったりする。 心は一つのツールである。心はよどんだり、跳ねたり、鈍くなったりする。あるいは、心は魂に通じる明快な道ともいえる。芸術家は自分の道具に怖気づいてはいけない。芸術家は知ることを恐れてはいけない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 世界に起こる出来事の多くは見過ごされてしまう。一人ひとりはいう。「われわれにかぎって、そんなことをしない」と。私がいいたいのは、集団で動くなということだ。 参考になる書籍はほかにもたくさんある。色彩に関する理論は数多い。目を通しておこう。知識を得よう。もしかしたら、知りたいことが書かれているかもしれない。 自分で試してみるのも、得るところは大きいだろう。それに、実際にやってみたら、たちまちその面白さに気づくはずだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 正直さと高潔さ、探求への情熱、未知の世界を見たいという欲求──それらをもつ人間は、すぐれた芸術を受け入れることができる。彼らにとって、芸術の教師など必要ではない。すでに十分な能力がある。臆さずに心を開いて、絵を見るだけでいい。自分のものだと思って絵を見る。そうすれば、すぐに芸術の目利きとなり、第一級の芸術愛好家になっていることがわかるだろう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「絵具の値段を気にするのは、かならずしも貧乏人とはかぎらない。画家が空腹をがまんして絵具に散財するという例は珍しくない。 その逆もまた真なり。 絵筆につける絵具が多すぎたり、少なすぎたりする。 筆遣いそのもの。絵筆自体の質感、すなわちその絵筆が描きだそうとする対象の質感とは関係なく、絵筆そのものが生みだす質感はキャンバスの上に残される。それ自体が一つのアイデアである。そして、それは絵画のアイデアと連動していなければいけない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「画学生は本を読まなければいけない。あるいは、よく本を読む人たちと話をする。同級生とのおしゃべりは、絵具のことよりも、人生について語るべきである。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「現実の物をそのまま模倣することは、自分の感覚に価値をおかない人にとっては楽な仕事である。子供のころは空想の世界に遊んだ人も、大人になると、かつてあんなに大喜びでまたがった跳ね回る暴れ馬がただの古ぼけた箒でしかなかったことを受け入れる。 晩年のウォルト・ホイットマンは、空想をはばたかせ、それを楽しむという点で、子供同然だった。窓辺におかれたささやかな花を目にするだけで、彼の心には大きな幸せがわきあがり、預言的な哲学が生まれた。 真の画学生はウォルト・ホイットマンにならうべきだ。彼の作品は一種の自伝である──人生の浮き沈みをたどるという意味ではなく、内心の深い思い、彼の人生そのものが描かれている。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 画学生にとってとりわけ困難なのは、自分自身が自然に感じた印象と、その印象について思いめぐらす考察のあいだで決断を下すことである。ほとんどの画学生と、いわゆる成功した画家の多くが「モチーフ」を探そうとして自然の風景のなかに出かけるとき、彼らの内面が乏しいため、無意識のうちに、画廊で見かけて気に入ったほかの画家の絵と同じものを作りだしてしまう。彼らはたぶん何百回も自分だけの主題のそばを通り、感じ、楽しんだであろうに、自分の感動をきちんとはかれず、自分自身への信頼に欠けているせいで、それらを無視し、すでに評価を得た他人の趣味を受け入れてしまうのである。世間で定評を得たものだから、それを理解できないのは恥ずかしいことであり、本当にそれが自分の求めることなのかどうか確信がもてないまま、そうすべきだと思って努力するのである。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 あらゆる個人は、自分自身の個性について学び、最終的には自分の好みを知るべきである。みずからの快感を育て、その感覚をほかの人びとに向けて最も直接的に表現できる手段を探求し、発見すべきである。それによって、大勢の人びとが同じような快感を得られるように。 つまるところ、美術とは言語の延長である。言葉では表現しにくい微妙な感覚を伝えるものなのだ。 そして、われわれは自分自身の内面を明かすこの偉大な力を手に入れられるのだ!」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「ルノワールとセザンヌはまったく似ていない。だが、大事な共通点がある。真実をより深く理解しようとするところである。 ルノワールの完成はむしろ東洋的だが、セザンヌは東洋と西洋の両方を兼ね備え、未来に通じるタイプである。セザンヌは物質を超えたものを深く理解し、素材を構造的に用いる強い力をもっている。 人はよく「ただのスケッチ」だという。すぐれたスケッチは、本物の画家の才能の証である。人生で最も大事なもの──人の顔の美しさ──を伝え、空気と光を描きだす。しかも、シンプルな線だけですばやくその魅力のすべてを表現する。スケッチを描くには知性が必要だ。何か月もかけて完成させる絵画は、一枚のスケッチにくらべれば、むしろ不完全なものかもしれない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「きみのこの作品の構成では、観る者の視線を誘う力はやや弱く、関心も動かされない。というのも、この主題ではキャンバス全体に気を散らせるものが散在しているからである。だが、それらはしょせん息抜きでしかない。構成がよくできていれば、観る人は最高のクライマックスへと導かれる。それがあるからこそ充足でき、やりとげたという満足感が得られるのだ。きみはそのことを学ばなければいけない。それは、すぐれた美術作品を通して学ぶことができる。そのための処方箋はない。ただ、原則があるだけだ。それは偉大な音楽にも見出せる。バランス、リズム、集積、対比などを通して結果を出すことが大事なのだ。これは、創作活動にあたって、きみが用いるすべての素材にあてはまる。私は常日頃、バランスのよさが大事だといっているが、きみはさまざまなものをとりいれている──複数の人物、何かをしている人、窓などである。これらは、全体の色調を構成するものとしてはうまく機能しているが、その一方で、それ自体としては描写が過剰だったり、また描きこみが不足だったりする。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「大方の人びとが絵の展覧会にあまり魅力を感じない理由の一つは、ほとんどの絵が独りよがりのアイデアをもとに自己満足なやり方で作られていて、見る人の想像力を刺激しないからである。強烈な関心から生まれない絵は、強烈な関心を呼び起こすこともできない。「大衆は芸術を理解しない」と嘆く人は多い。たしかに、大衆の反応は鈍いかもしれないが、われわれのほうも鈍いのではないかという疑いをもたざるをえない。われわれの作品がもっと明確な意欲をもち、機知に富み、人間性への洞察が深ければ、人を惹きつける力もより強くなるはずだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「芸術は科学や宗教や哲学と強く結びついている。芸術家はつねに学びたがる人間でなければいけない。 学校の価値は、学生たちの出会いの場としての存在にある。美術学校は都市の生命の中心でなければならない。アイデアはそこから発散される。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「レンブラント作のこの素描を見てほしい。観た者は一瞬にして、描かれている人物の人生に引きこまれる。この素描の線の美しさは、それらを線だと思わずに見るところにある。意識するのは、それらの線が生きている人間について述べていることだけだ。 ここには、異なる動作をしている人びとが描かれている。そして、それぞれがその人らしく感じられる。観る者は知り合いのように思う。この絵が人の心を捉えるのは、動いている一人ひとりが意味をもっているからだ。描かれているのは過去の暮らしだが、ついつい引きこまれてしまう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「それどころか、線が美しいと感じられるのは、自分たちと関係するときだけである。人によって感じる部分は異なり、それによって感動したり、冷淡なままだったりする。人を感動させるものが、その人にとっては美しい。概して、人間的な線は万人の胸を打つものである。 花や果物などの静物や風景を描いた名作にはすべて、人が無意識に探し求める人間的な形体が織りこまれている。人は見るものすべてを擬人化し、そのなかに自分自身を見るのである。 人は生きることに耽溺する。われわれは人間である。だからこそ、人の心を最も強く動かすのは人生であり、人間性である。一本の線にこめられた動機が強くなればなるほど、その線はもっと強くなり、その結果、もっと美しくなる。 セザンヌの手になる風景の素描を目にしたとたん、私の心には親密な感覚があふれ、人間的な暖かい気持ちでいっぱいになる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「絵画とは、思想を普遍的な形にして表現することである。いわば証拠の提出である。われわれの人生、われわれをとりまく環境についての研究である。芸術家として役に立つアメリカ人とは、自分自身の人生を研究し、自分の経験を記録する人である。それによって、彼は証拠を提出する。何かいいたいことをもっている人なら、それをいうための方法をきっと見つけるだろう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「本物の芸術家は、自分の作品を人びとと話しあうための道具と考えている。自分のいいたいことを自分自身と他人に伝える道具である。報酬は関係ない。大衆に歓迎されるかどうかも問題ではない。温かく受け入れられ、高い報酬を得られれば、それはそれでよいことだ。だが、それが見込めなくても、いうべきことはいわなければならない。ホイットマンは作品を発表した当時、金銭面でも名声という点でも、まったく報われなかった。彼が読者に与えた贈り物は、最初は──そして、その後も長いあいだ──歓迎されなかった。イプセンも同じである。彼らは最初からよいものを作った。そして、最初はばかにされた。革新者であるスティーヴンスンは笑い者にされていた。ライト兄弟も最初は嘲笑された。与えずにいられない人間は、鳥が歌わずにいられないのと同じである。芸術家は人生についての考え方を世界に教えている。金だけが大事だと信じている人は、自分を欺いている。芸術家が教えているのは、小さな子供が無心で遊ぶように、人生も熱中して遊ぶべきだということである。ただし、それは成熟した遊びである。人の頭脳を駆使した遊びである。それが芸術であり、革新である。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 真の芸術は表面ではなく、人の内面のずっと深いところに届く。一般に潜在意識と呼ばれる領域である。人は、それがなぜかを知らないまま、なんらかの行動を起こし、何かに影響される。軍楽隊の演奏を聴いていると、まったくその気がないのについリズムに合わせて歩きだしそうになることがある。すぐれた絵画もそれと同じだ。意識しないうちに、絵が奏でる音楽につかまっている。ある人が絵に目をとめる。その絵の何かに引っかかる。しかし、何かを感じたという意識が頭のなかに浮かぶとはかぎらない。その影響があなどれないのは、人が何かを得たことさえ意識しないところである。ウィンズロー・ホーマーの海景がよい例である。そこには秩序があり、壮大な構造がある。その絵は観る者の心に海の広大さを想起させ、まるで海そのもののように印象深く、制御不能である。海の強さがひしひしと迫ってきて、それに抵抗する岩の存在が感じられる。画面のすべてが大いなる自然の力をあらわしている。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「風景画は概念を伝える一つの手段である。画家は人びとに考えることを促す。ほかのものでも同じことがいえる。 H・ G・ウェルズは『世界史大系』を書いたとき、歴史を書くことについて揺るぎない考えをもっていた。彼の目的は、さまざまな歴史的事件の正確な日付を列挙することではなく、人間性のあり方について記述することだったのだ。そして、風景画のさまざまな細部も、画家がその風景から感じとった自然の雰囲気を表現できていなかったら、なんの意味もなくなる。画面の奥行きや構図の配置が定石どおりに正しいというだけでは不十分なのだ。本物の画家は風景を前にしたとき、それを生きたものとしてキャンバスの上に表現する。画家はその景色に吹きわたる風を感じるだろう。そのとき、画家は強い風の力をあらわすのに樹木を用いるかもしれない。一本の樺の木だ。幹はほっそりしている。風に吹かれて揺れている。枝や葉の動きから風の動きが感じられる。その木のすべてが、風の命と力を示している。こうして、この木は雄弁なシンボルとなる。この木を媒体として、風についての概念が表現されているのだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「芸術家は、できるかぎり努力して、自分自身を知らなければいけない。それは簡単なことではない。なぜなら、現代人にとって、そんな習慣は無縁になっているからだ。しかし、これこそが自己開発であり、自己教育である。通っている学校がどれほど名門でも、人は自分で学ばなければいけない。 自分と率直に語りあうことほど、愉快なことはない。はっきりいって、それができる人はそういない。自己教育とは、自分自身をよく知ることである。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「天才が大衆と違うのは、ただ、自分の偉大さが発揮できる自由を見出せるかどうか、である。偉大さはどこにでもある。誰にでも偉大なところがあり、どんな子供のなかにも偉大さはある。現代文明が忙しくやっているのは、偉大さの息の根を止めることだ。それは奇妙な矛盾である。われわれは自分たちが愛するものを破壊し、自分たちが破壊するものを崇拝する。世間の束縛をばっさり切れるほど強い天才だけが世間の称賛をかちえる。だが、世間にもそれなりの束縛の手管がある。世間は天才が築いた土台の上に組織を作り、それから世間なみの規則と法則を築きあげ、それによって、あらゆる表現を陳腐なものにしてしまう。この世に生きた最も自由な人びと、あらゆる限界、あらゆる境界、あらゆる血縁関係、あらゆる家族の絆をすべて拒否した人びとの生涯を土台にして、その上に宗教というものを築きあげた。やがて世間の人びとは、組織から生まれた権力が信奉者たちを盲目にし、結束させるまで、その宗教を囲いこむ。世間は音楽を支配下におき、画家の表現に制限を課し、彫刻作品に注文をつけ、できるならば詩人の言葉さえ型にはめようとする。だが幸いにも、美に対する、とどめようもなく大きな、すばらしい衝動は、どんな障害物さえも乗り越える。ワーグナーは音楽における既存の常識をことごとく打ち破った。ロダンは宇宙の姿を独自の輪郭線でかたどった。ホイットマンはあふれんばかりの情熱をこめて真実を語ったため、彼のソネット、ラウンドレイ、エピック(三つとも詩歌のスタイル)などの一部は破壊された。ミレーは畑にいる農民を見出したが、あまりにもささやかな出会いだったので、アカデミーも文句をつける機会を逸した。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「数学はできるかぎり深く学ぶべきである。比例は表現の手段になるからである。 線や形体や色調を模倣する能力はほとんど必要ない。 線と形体と色調を関連づける能力は、めったにないものであり、画家になるために必要な資質である。 すべてのすぐれた美術作品には構図がある。 構図のない肖像画は肖像画ではない。 画家がとりくむのはエリア、すなわち面である。画家はそれらの面について知っていなければいけない。 線に見える線は、よくない線である。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「私は、画家が若いうちに数学の訓練を重ねることを推奨する。そうすれば、のちのち、数学の知識を「本能的に」使えるようになるだろう。数学にとりくんでいるあいだも、その勉強がいつか作品を送りだすときに役立つことを知っておいたほうがいい。 そうかといって、「科学に縛られた」画家になれといっているわけではない。だが、無知という罠に捕らわれず、自分の用いる手段をよく理解していたほうがよいのはたしかだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「 三点の海辺の風景画についてだが、豊かな感情が表現されているところがとても気に入った。同じく、カモメたちの軽やかさと全体的な動きのリズムも好きだ。先に述べた立体感があれば、もっとよい作品になっただろう。あえていうなら、構図はややありきたりだろうか。その点については、思いもよらない奇抜な構図をとる中国絵画が参考になるかもしれない。さらに、絵具を厚塗りすれば立体感が出るわけではないといっておきたい。中国絵画はほとんどすべてに立体感があふれている。宋時代の素描は、線だけで描かれていながら、圧倒的な立体感がある。画家は形体を敏感に察知し──感じたものを線だけであらわす。ほかのものでは満足できないからだ。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「自分が本当は何が好きなのかを知るのは簡単なことではない。 このことについて、自分を騙しながら一生を送ってしまう人も大勢いる。 自分を知ることは、なかなかむずかしい。 梯子のいちばん下の段にひしめいて、上に登ろうと争う人たちがいる。彼らは勉学に励み、努力し、知恵を働かせ、やがて一段上に登り、与えられた場所に落ち着く。尊敬される知識人の仲間になる。ここで、ようやく彼らは暖かく、居心地のよい場所を見つけ、プライドが満たされる。ここで努力は放棄され、何年にもおよぶ無為の歳月が始まる。彼らは生きつづけることもできたはずだった。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「いちばん簡単なことは、いちばん厄介なのだ。複雑なことよりも、単純であるほうが、ずっとむずかしい。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「小説であれなんであれ、人は本を読む。われわれが本を読もうとするのも、一つには自分の質問に対する答えを見つけたいからである。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「私がいいたいのは、巨匠の作品を研究しなさい、ということだ。ティツィアーノは格好の例かもしれない。なぜなら、作品を見ればわかるとおり、彼は構造を理解しているからである。しかも、彼の作品はたくさんの複製があり、簡単に手に入る。人物像の構図をよく見るとよい。そして、男女さまざまな肖像画も参考になる。バランスとリズムがどのように生かされているかをよく見ること。それらの点は研究に値する。線によって作品がどんなふうにつながり、結びつけられているか。さまざまな線が流れを作り、鑑賞者の視線を導き、関心を引きつけるか。光のマッスが細部を省略して大まかに捉えられているところ。そして、暗い部分のマッスに迫真的な重さと質感があるために、豊かさと充実感がひしひしと伝わってくること。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「プラド美術館の階段で、私は有名なフランス人画家とばったり会ったことがある。私と同じく、スペインの巨匠たちの作品を研究していたのだ。それは一九〇〇年のことで、ゴヤの大規模な展覧会が開幕したばかりだった。彼はこういった。「あのゴヤの作品を見たかい? すばらしい天才だ! 素描がまずいのはじつに残念だ!」ゴヤの素描がすばらしかったからこそ、この画家にもゴヤの天才ぶりが伝わったにちがいない。 マネは世間の期待に応えなかった。彼は先駆者だった。自分だけの思いつきをあくまでも追い求めた。彼は人に知らしめたいと思うことをそのまま話した。時間の波に洗われ、人びとがすでに知っていることや、くりかえし聞きたいと思っていることは眼中になかった。そのせいで、世間の人びとは機嫌を損ねた。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
かと思えばロバート・ヘンライの講義録や学生への手紙をまとめた「アート・スピリット」に大いに刺激されて大成するキッカケを掴んだキース・ヘリングやデイヴィッド・リンチのような人たちもいる。これは俺も読んだけど合う部分もあれば合わない部分もあった。ただ、読む価値は大いにある本だと思う。
デビット・リンチ監督が亡くなったとのことで彼の愛読書ロバート・ヘンライ著『アート・スピリット』を読み直している
創作についての態度、心構えを記したもので檄文のような力強い文章
読めば必ず元気と創作意欲が困るくらい出てくる
お陰で眠りたなくなった
ロバート・ヘンライの「アート・スピリット」とオスカー・ワイルドの「芸術家としての批評家」はいやしくも芸術を志す者ならば必読書だと個人的には思っている。内容に同意することが重要なのではない。同意するか否かは自らの心に委ねて、内容について考察をし続けることが重要なのだ。
また、ロバート・ヘンライが生徒達に残した言葉はアート・スピリット
という本に収められ、80年以上に渡って美術を志す若者に読み継がれて来ました。若き日のデヴィッド・リンチも影響を受けた一人の様です。
「アート・スピリット」の著者であるロバート・ヘンライはあくまで画家ではあるけれど、そこに書かれている事は決して絵画の枠にとらわれず音楽やその他の創作に携わる人間にも通ずる事だと思うので興味のある方は是非読んでみてほしい。
わけあってロバート・ヘンライ「アート・スピリット」(国書刊行会)を引っ張り出してペラペラめくってるんだけど、やっぱ凄まじいわ。どのページも芸術志向の若者を炊きつける名言・金言でぎっしり。今現在どんだけアート好きの若者に読まれているか知らないが必携でしょう。
「むずかしいのは、表現することよりも、見ることである。美術作品の価値はひとえに、目の前のものを見る画家の能力にかかっている」ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」(国書刊行会) 。エドワード・ホッパーはこの人に学び、キース・ヘリングはこの書を読んだそうです。
ロバート・ヘンライの『アート・スピリット』、何回読んだかわからないけど本当に良い本だな、と噛みしめるようにしてまた読んだ。絵の話ではあるものの、日常を新鮮に見直し、何を感じ、思い、発見したのかの痕跡が作品であるといった記述は、まるでインタビューやノンフィクションの教科書のようで。
「仕事のための倉庫になりなさい。そして、敗北を乗り越えることさえ楽しみとしなさい。画家はこの世で最高の仕事なのだから、描きつづけなさい。ものの見方は多種多様だということ、判断は自分で下すものだということを学んでほしい。構造的な作品の価値を理解し、人体デッサン教室のぬしのような似非芸術家になってはいけない。美術学校におとなしく坐って、辛抱強く絵具をキャンバスに塗りつけていればいつか画家になれるなどと思ってはいけない。それ以上のものがある。新しい芸術運動が興ったら、けっして見逃さず、それについて研究すべきだが、そこに属してはいけない。ものごとには自分なりのユーモアをもって対処しなさい。身をもって試さないうちは、自分の力量などわからない。仕事を怠けないこと。ぐずぐず言い訳しないこと。冒険しなさい。魅力を感じた新しいことに挑戦しよう。ほかの人のことを研究しよう。開拓者の精神をもとう。ありきたりの素描で満足してはいけない。命をこめなくてはいけない。そのためにはモデルをよく見て、モデルのなかにすばらしい美点を見出さなければいけない──目の前には、人生の悲喜劇を味わった生身の人間がいるのだ──それを理解したうえで絵筆をとるべきだ。自己模倣であれ、他人の真似であれ、マンネリは避けること。目の前にあるものを自分が見たままに描くことによって独自性は保たれる。人はそれぞれ、ものごとを独自の見方で捉えるものだ。ちまちまと描くよりも大胆に描くべきである。大胆な筆遣いによって、いいたいことは率直かつ十分に伝わる。自然の気取らない闊達さを学ぶこと。自然は驚異にあふれている。自然界には大きな出来事と瑣末な出来事が肩を並べて存在し、必然的な帰結がある。すべては連携の一部である。きみの作品も自然と同じく驚異にあふれ、気取りのないものであってほしい。頭のなかを「学習」だけで一杯にしないこと。自分でものを考える余地がなくなってしまう。努力を重ね、見る楽しさを通じて、ものを見る力を育てよう。努力を重ね、表現する楽しさを通じて表現力を伸ばそう。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「やがて巨匠となる人間は、最初から自分自身として巨匠であることからスタートする。そして、そんなふうに最初から巨匠である人びとが美術学校に来ると、教授たちにとっては手におえない存在となる。そんな人びとは自分の経験から学んだことが基本であり、基礎となっている。自分の頭を十分に使い、どんなふうに応用するかを身につけていく。 彼は自分のめざすところに向かってまっすぐに進む。たしかに彼も「詰めこみ」勉強をする。脳と体は同じく限界まで酷使されるが、その「詰めこみ」は、いやいや努力するものではない。なぜなら、そこには目的があるからだ。基礎を学ぶのはそれが必要だからである。必要だから、頭を使って熱心に勉強する。そして、それが身についたかどうか、自分で判断できる。 この「段階的な授業」、いわゆる「詰めこみ」教育、アカデミー・ジュリアンやそこから派生した美術学校のいう「基礎」教育はあまりにもお手軽だ。そこには、学生が自分を発見できるような「詰めこみ」教育はなく、自分の内面から出てくる表現を可能にする特別な技法を考えだすための過程もない。 私が求めるのは、素描、構成、勉強をつづけて完成させること、確固たる基礎を築くことである。だが、私が興味をもつ素描は何かを描こうとする素描であり、構成の意図をもった構成である。そして、表現されるアイデアは、少なくとも手段と同じくらい価値のあるものでなければいけない。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「きみたちの描く絵は、自然との対話のプロセスや何かに感動したことの記録であり、きれいな色を塗っただけのものではない。ものを描くことはやめられない。だが、そこに魂をこめよう。人生において、われわれは物質を楽しんだり、褒め称えたりはしない。われわれは守銭奴を嫌い、あるいは商売人というだけでも軽く見ることが多い。それなら、なぜ守銭奴のような描き方をして平気でいられるのか? むしろ、物質を超えたものを見る人間のように描くべきではないのか。画家はスケッチするとき、描いている対象を超えた何かを見る。そのような魂の目で絵を描くべきである。そうすることで、絵画という手段が芸術家の概念と一致する。芸術作品の価値は、鑑賞者がそれをきっかけにどれくらい飛躍できるかにある。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「壮大な建築物を生みだすのは数学である。 変化を通じて、われわれは自然の法則を知る。 こうした両者のなかにこそ美しい関係がある。それは、これら二つの子供たち──すなわち、それぞれの生命にあふれたリズムのあいだに生じる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「髪がかもしだす偶然の美しさを探そう。ものが美しく見えるのは、おたがいに関係しあっているからだ。美しい線は関連性から生まれる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「セザンヌ セザンヌは偉大なヴィジョンをもっていた。そして、そのヴィジョンは彼自身を超えていた。自分の考えを伝えようとする努力のなかで、セザンヌはこれまで一度も関連づけられることがなかったものを相関させた。それゆえに彼は偉大な芸術家だった。 セザンヌの絵は普遍的な存在の一部を示している。 彫刻には温かいものもあり、また永遠に冷たいままのものもある。 ゴヤの作品には一貫して中国的な特質が見られる。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「ティツィアーノ ティツィアーノの作品にはなんと威厳があふれていることか! 彼はとりわけ構成力にすぐれた巨匠である。その作品には群れをなす大勢の人びとが美しく描かれている。そして、線はたがいに関係をもちながら動いていく。」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著
「ロバート・ヘンライの名前を小生が知ったのは美術史という正攻法によってではない。ジャクソン・ポロック以降のアメリカ美術は多少理解していたが、ヘンライがニューヨークで活動していたのは二十世紀初頭のことであり、情報的にまったくの未知の世界であった。ではどのルートから彼の存在を知ることになったか? それが映画監督にして美術家のデイヴィッド・リンチを通じてなのだ。『アート・スピリット』(本書)に関して、彼は何度も言及していて、その著者がヘンライなのであった。初期リンチ、一九八七年から九〇年前後の作品集としてはもっともまとまって出来がいい個展カタログ(スペイン、サラ・パルパロ美術館)掲載インタビューにおいても彼は次のように語っている。美術を誰に教わった? と聞かれて……。「最初に会った重要な教師は、親友トビーの父親ブッシュネール・キーラーだった。ヴァージニアに住んでいた十五歳の時だ。キーラーは初めて会った職業的な画家で、そのような存在の仕方をそれまで想像したこともなかった。僕は画家になりたいと思った。彼の生活はほとんど奇跡のように見えたからね。スタジオがあり、そこで毎日絵が描ける! 彼は、ロバート・ヘンライの『アート・スピリット』を読むように強く勧め、その本はバイブルのようなものとなった。というのは、この本はアート・ライフの規範を定めていたからだ。」」
—『アート・スピリット』ロバート・ヘンライ著