昭和女子小学校の小泉氏の名前があったので、もっと実践やカリキュラム内容の記述が多いのかと想定していたが、理論的な文書が多かった。興味の強い分野であるし、それはそれで面白かったが、言語と思考について書くなら、ヴィゴツキーは当たってほしかった。
「こころ」に直結する身体感覚の伴った学習の必要性の指摘は、
...続きを読む自分の実感に合い、かつ、説得的だ。「あたま」だけで、覚えた単語リストは、何の感情も引き起こさず、クイズに答えることはできても、使うことはできない。やはり、インタラクションは必要なのだ。
ここまでは良いが、喋りたいと児童が思うような必然性を伴った場面を作れば、ギャップも飛び越えられるという、文脈万能主義は同意できない。関連して、英語の能力よりも、指導力が大事であって、ALTや英語話者はいらないという指摘にも、インタラクションを持続させるときの年長者の役割の大きさとの矛盾が感じられる。
最後に、聞き慣れたCLILとイマージョンの違いに関連して思ったことがある。
CLILは教授学習の提供の仕組みに重きが置かれ、ややもすると学校全体から見たら、ほんの一部のコースの話に限定される傾向があるように思われ、当然、小学校6年間で何千時間の英語に触れると、このくらいの英語力というような話にならない。
一方、イマージョンはまずは、目標言語の%や総時数をどのくらい確保できるのか、それでどのくらい英語の力がつくのかという管理者的なマクロの話から入る。成功への指標は、総時数であり、細部やメカニズムの話は後回しになる。
結論として、双方は私には同じことを違う方向から議論しているように思われる。実践家はCLIL、学校経営者や管理者はイマージョンから二言語教育に入っているのではないか。