Highly sensitive person=HSPという言葉を聞いたのはいつ頃だっただろうか。初めてこの言葉に触れ、その意味を知った時、何か昔からの大きな謎が解けた様に思えた。幼い頃から毎日人の顔ばかり窺って生きていた。自分の母親は教育に厳しい人だったから、私はたくさんの勉強道具(学習教材)を渡されて、毎日それを片付けるのに精一杯だった。勿論やらなければ怒られるし、そうでなくとも小さい頃はイタズラや悪さにも手を出して、何度もこっ酷く叱られた。正直母親の顔ばかり窺っていた。幼稚園の先生などはもっと強烈な印象として残っている。泣き虫な私は毎日毎日、一年中泣いていた。流石に今なら先生の気持ちも解らないではないが、当然の如く毎日先生からも叱られる。だから、家では親の顔、外では先生の顔色ばかり窺う様になった。同時に周りの友達からの思われ方、視線ばかり気にしていた。寝癖があれば直した後も一日中恥ずかしかったり、女の子のヒソヒソ話が全て自分の悪口を言っている様に感じる時期もあった。それでも学校を休む事無く、皆勤賞を逃したら親ががっかりするだろうと、毎日通学した。そのうち毎日お腹が痛くなる様になるし、更には玄関のドアに触れる事も汚さを感じ、他人が手をつけた料理を食べれなくなつくた頃から、私の食事だけは別皿で出すという、これまた親には迷惑をかけた。なお、この頃は正露丸を飲まないで家を出てしまうと、痛くも無いお腹が痛くなってきたり、自分の体の中からバイ菌が発生する感覚まで出来上がった。ついでに匂いには弱く、ニラの匂い、排気ガスの匂い、工場脇の排水から臭う化学薬品の様な匂い、酷いのは父親の車や公共のバスの車内の匂いなんかは、鼻から入った瞬間に頭が割れそうに痛んだ。だから毎日が頭痛の日々。今でこそ大半は克服したが、相変わらず頭痛は一年360日(5日ぐらいは痛まない)、特定の匂いに敏感、食べ物に対する潔癖なことぐらいになった。但し音には弱くなる傾向が新たに加わった。
本書はHSPの人が感じる生活のしにくさ、生き辛さを例に挙げ、それを治すのでは無く、上手に付き合っていく方法を教えてくれる。何故治さないか。それは治療すべき悪いものではなく、個人の優れた特性がベースにあるからだという。確かに芸術家には人と違う研ぎ澄まされた感覚や能力があるし、繊細さを活かせる仕事などこの世に幾らでもある。会社勤めが長くなり、役職がついて部下が増えると、小さな仕草の違いや話した内容の背景などに敏感に気づいてあげなければならない。だから空気を読んだり、話しかけちゃいけないタイミング(自分が見た上司に対しても)は気づかなければ大変な事になる。そんな時自然に敏感に「読める」のと読めないのでは、やり辛さも相当違うはずだ(現実、様々な研修の中でもそうした能力をわざわざ伸ばす様な内容のものもあった)。だからそれを無理に鈍感にさせてしまうのは勿体無いと思う。
本書はHSPの良い所、それを活かした生き方、本人にとって辛い部分を和らげる方法を教えてくれる。前半の物語部分は。全ての登場人物がいずれ結びついて、皆生きづらさを感じている人々であった、という描き方がなされている。5人〜4人に1人が同じ症状を抱えているというかなりの率で周りが同じ悩みを抱えているという共感に結びついていく。本書を読みながら徐々に不安が和らいでいく事だろう。自分が周りからHSPだと言われた人、自分自身がそうで無いかと感じた方が読まれると、毎日が少しだけ、楽しく生きやすくなるだろう。そう、この症状は悪くは無い。