表紙の少女は大人びた顔をして、冷静にこちらに目を向けている。今時珍しい線の細かさだ。
痩せ姫とは摂食障害により、過度に痩せすぎた女性とことを呼ぶ名前。何という切ない名前だろうか。
彼女らは躰をコントロールする。
生理が止まろうとも、生命の危険があろうとも。けれど、彼女らはそうでもしなければ
...続きを読む生き続けられないという際に立っている。
私には摂食障害はあるものの、食べ過ぎ程度で済むことで、過食というレベルではない(たぶん)。痩せ姫たちの物語を読むと、体に対する意識が高い。私は体への感覚が鈍い。だから、太ることができる。
心と体が密接に結びつきすぎると、心がつらい、体という実態で解決したいとなるのだろうか。
感受性の高さと、そうしたときの心への追い詰め具合が心配になる。
文中にあった、作家の虚淵玄氏がまどか☆マギカについて幸せについて語る下りの「うーん。満足感ですかね。ただやっぱり、それが成立する前提が、不幸になる権利だと思いますよ。何かを犠牲にして掴み取ったときに、失ったものと得たものとを比較して、プラスだったとおもえたんならその人は幸福だったのかな」と言う言葉が印象深い。
不幸になる権利だと行使して幸せになる。
思い当たる節がある。例えば社畜。デスマーチ。炎上案件。
これだけ辛いのだから、得るものに価値がある、と思えた。
また、そのストレスからドカ食いをしていた。体調は悪くなるけれど、すこしすっとした。
痩せ姫は、妖精のように見える。
浮き上がる肩甲骨から羽が生え、空を飛び、空気に溶けて消えてしまいそうだ。
けれども、彼女らは生きている。
彼女らなりの幸せを生きている。
そのための手段を選ぶ自由が許されてほしい。
もし可能であるならば、不幸になる権利を行使することなく、幸せであるといいなぁと思うけれども、でもいま幸せならそれでよいのかもしれない。