あらすじ
女性が「細さ」にこだわる本当の理由とは?
人類の進化のスピードより、ずっと速く進んでしまう
時代に命がけで追いすがる「未来のイヴ」たちの記憶
――――中野信子(脳科学者・医学博士)推薦
痩せることがすべて、そんな生き方もあっていい。
居場所なき少数派のためのサンクチュアリがここにある。
健康至上主義的現代の奇書にして、
食と性が大混乱をきたした新たな時代のバイブル。
摂食障害。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。
それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。
食事を制限したり、排出したりして、どんどん痩せていく、
あるいは、痩せすぎで居続けようとする場合はもとより、
たとえ痩せていなくても、
嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、
自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。
しかし、こんな見方もできます。
痩せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。
今すぐにでも死んでしまいたいほど、
つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために
「痩せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
(「まえがき」より)
ダイエットやストレスが高じて摂食障害になってしまった女性たち。
摂食障害に苦しむ女性の「生」を著者は30年余り見つめてきました。
彼女たちの「生きづらさの正体」とは何か?
また「それでも細さにこだわる理由」とは何か?
現代の女性たちが「細さ」にこだわりつつ、
欲望を空回りさせていってしまう根源的な理由を著者は見極めようとしてきました。
痩せ姫たちが集うブログのなかで、
摂食障害の女性に「生」を優先しがちな処方箋しか示しえない現代の医療や文明観に対しても
著者は鋭く疑義を呈しつづけています。
生命尊重だけではない、人それぞれがもつ守るべきもの、
あるいは生きるに値するものとは何かを
著者は「痩せ姫」たちとの交流をとおして30年余り考え続けてきた、その軌跡が本書です。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
表紙の少女は大人びた顔をして、冷静にこちらに目を向けている。今時珍しい線の細かさだ。
痩せ姫とは摂食障害により、過度に痩せすぎた女性とことを呼ぶ名前。何という切ない名前だろうか。
彼女らは躰をコントロールする。
生理が止まろうとも、生命の危険があろうとも。けれど、彼女らはそうでもしなければ生き続けられないという際に立っている。
私には摂食障害はあるものの、食べ過ぎ程度で済むことで、過食というレベルではない(たぶん)。痩せ姫たちの物語を読むと、体に対する意識が高い。私は体への感覚が鈍い。だから、太ることができる。
心と体が密接に結びつきすぎると、心がつらい、体という実態で解決したいとなるのだろうか。
感受性の高さと、そうしたときの心への追い詰め具合が心配になる。
文中にあった、作家の虚淵玄氏がまどか☆マギカについて幸せについて語る下りの「うーん。満足感ですかね。ただやっぱり、それが成立する前提が、不幸になる権利だと思いますよ。何かを犠牲にして掴み取ったときに、失ったものと得たものとを比較して、プラスだったとおもえたんならその人は幸福だったのかな」と言う言葉が印象深い。
不幸になる権利だと行使して幸せになる。
思い当たる節がある。例えば社畜。デスマーチ。炎上案件。
これだけ辛いのだから、得るものに価値がある、と思えた。
また、そのストレスからドカ食いをしていた。体調は悪くなるけれど、すこしすっとした。
痩せ姫は、妖精のように見える。
浮き上がる肩甲骨から羽が生え、空を飛び、空気に溶けて消えてしまいそうだ。
けれども、彼女らは生きている。
彼女らなりの幸せを生きている。
そのための手段を選ぶ自由が許されてほしい。
もし可能であるならば、不幸になる権利を行使することなく、幸せであるといいなぁと思うけれども、でもいま幸せならそれでよいのかもしれない。
Posted by ブクログ
痩せ姫の「痩せ」に対する思いは単純にダイエットしたいとかいうものではない。様々な生きづらさを緩和するための手段なのだ。健康が脅かされているということを一旦切り離して考えると、痩せは痩せ姫にとっての自己実現であり、それに対して周りがとやかく言うべきものではない。
作者の「痩せによって生きづらさが緩和されるなら、拒食も生き方の一つとして認めたっていいじゃない」というスタンスは、痩せ姫たちの孤独感を救うと思うし、摂食障害に限らず多様性を認める上で大切な考え方だと思う。
Posted by ブクログ
摂食障害、主に拒食症に焦点を絞っている。拒食症はただの行き過ぎたダイエットでは無い。世間からの理解も低い。「痩せ姫」と呼ばれる病的なまでに痩せた彼女たちはいつも枯渇しているのだ。身体も餓え、愛情に飢え、その上、存在意義に餓えた「痩せ姫」。ただでさえ低体重で負担を抱えた身体で、さらに痩せては「誇り」「安心感」「生きている心地」を得ようとする彼女たち。鏡に映る「骨と皮」の自分が「太った物体」にしか見えない「痩せ姫」。その「痩せ姫」の身体を抱きしめて、「どうか生きて」と伝えたくなる。