『わたしが自分の道を歩んでいるように、あの子は自分の道を歩んでいる。世界はもう、ずっとわたしなしで進んできた。わたしはあの子に命を与えた。それは大きな贈り物だ。それは無の反対だ。そして無の反対は、"何か"ではない。すべてだ』―『第五部』
原題は「Mars Room/火星部屋」。サンフランシスコのストリップ小屋の名前。直訳あるいはカナ起こしでは余り人の目を引き付けないと誰かが考えたのだろう。ただ、読み通してみるとそれだけでは何の感情も惹起しない固有名詞が持ち得る意味が染みて来る。それはただの場末の店の名前。店の従業員も客も世間の枠組みからこぼれ落ちている人々。そこへ集まる目...続きを読む 的も、そこでの振る舞いも感情も千差万別ながら、誰かの必死さに付け入る構図だけが虚構に満ちた世界の中にあるたった一つの真実。主人公もそんな場所に必死さを売りに行く一人。
その構図は主人公である女、ロミー・ホールが収監される刑務所に移っても変わらない。登場人物は誰しも何か自分自身にとって鎧となるようなペルソナを被って生きている。そうでもしなければ、その悲惨な人生と相対できないとでもいうように。
とても皮肉なことに、終盤になって漸く登場する主要人物の一人の独白(本書は複数の人物による一人称の語りで構成されている)にだけ、そんな薄っぺらい仮面の構図がない。その意味は、余りにも虚構の世界に深く沈んでいるか、余りにもナイーブに人の感情を信じているかのどちらかだが、それを判断する間もなくその人物は舞台から降りてしまう。
邦題からは何となくクリント・イーストウッドが主演した昔の映画「アルカトラズからの脱出」やモーガン・フリーマン主演の「ショーシャンクの空に」のような脱出劇の話なのかと想像してしまうかも知れないけれど、映画で例えるならむしろジーン・ハックマンとアル・パチーノ主演の「スケアクロウ」あるいはジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンが主演した「真夜中のカーボーイ」のような物語。そう言ってしまうと映画好きの人にはすぐに解ってしまうと思うが、本書は救いのない悲惨さに満ちた物語であるとも言えると思う。
ただ最終章の最後にだけある微かな光。その直前に描かれている主人公の行動は、これまた映画の喩えで申し訳ないがポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の「明日に向かって撃て!」あるいはウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェイ主演の「俺たちに明日はない」(余談ながらこの邦題の意図の構図も本書と似たところがあるね。原題はBonnie and Clyde/ボニーとクライド)を彷彿とさせるもの。ただしこちらの主人公には託す未来がある、というのが異なるところか。
カリフォルニアという陽光燦燦と輝くリベラルな土地柄(あくまで個人のイメージ)。かつてママス・アンド・パパスが「夢のカルフォルニア」と歌った場所は多種多様な人々が自由に暮らしていける夢の場所であった筈なのだけれど(そんな多様性の問題は刑務所内にもまたある)、一端世界の枠組みから外れてしまうと転がり落ちるしかない場所でもある。そんな底辺に暮らしていた主人公が護送車の中でこう語る。『サンフランシスコについて、ようやく理解できたことがある。わたしは美しいものに囲まれていたのに目をふさがれていたのだ』。人は失ったものにしか本当の価値を感じられないものなのかも知れない。
読むと判るのだけれど、本書には謎の一人称が一人登場する。それが誰のことなのか、あるいは名前を持たない登場人物なのか、そのエピソードはいつのことなのか、それを想像するのもまた一つの読み方かも知れない。自分の解釈では、これは名前の付いた登場人物の一人、だと思う。
余談ながら、池田真紀子氏の翻訳は大分昔にパトリシア・コーンウェルのスカ―ペッタ・シリーズでお馴染みだったけれど、改めて、テンポがあって読み易くて良いね。