370P
1035円
九州派、
日本に居た時、ピカソ元々普通に好きだったけど、パリで見るピカソは衝撃だったな。人類で一番知能が高いんじゃないかと思った。外国で食べる寿司まずいみたいな感じで、絵とかもどの土地で見るかとかかなり関係あると思うんだよね。
岡本太郎作品とかも元々知っては居たけど、パリに来てより理解出来るようになったな。パリの20世紀美術をある程度見てからのほうが急に「何をやっていた人なのか」が見えてくる作家だと思う。
山本 浩貴
(やまもと ひろき、1986年〈昭和61年〉 - )は、日本の美術評論家、文化研究者、アーティスト。専門は現代美術史、トランスナショナル研究、ポ...続きを読む ストコロニアル理論、ソーシャリー・エンゲージド・アート。実践女子大学文学部美学美術史学科准教授[1]。千葉県生まれ[1]。2010年に一橋大学社会学部を卒業後、ロンドン芸術大学 チェルシー・カレッジ・オブ・アーツで修士号および博士号を取得[2]。2013年から2018年にかけてロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究センター博士研究員。その後、韓国・光州のアジア・カルチャー・センターでリサーチフェロー、香港理工大学デザイン学部でポストドクトラル・フェローを務めた[3]。
2020年
東京藝術大学 大学院 国際芸術創造研究科 助教 就任[4]
2021年
金沢美術工芸大学 美術工芸学部 美術科芸術学専攻 講師 就任[4]
2024年
実践女子大学 文学部 美学美術史学科 准教授 就任[1]
研究領域
現代美術史(欧米・日本・東アジア)、ポストコロニアル研究、レイシズム研究、環境思想とアートを専門とする[5]。 また、東アジアにおける植民地主義の遺産と文化表現の関係、社会的実践としての芸術、ジェンダー・移民・マイノリティ表現を研究テーマとする[3]。
「タイルやブロックの組み合わせから構成されるミニマリズム彫刻は、以前のように立派な台座に鎮座するものではありませんでした。ギャラリーのフロアに直置きされ、美術館の壁に立てかけられた作品は、彫刻概念の再定義を要求しました。同時に、ギャラリーや美術館の空間可能性も拡張されていきました。 加えてミニマリズム彫刻は、その簡潔性ゆえ、さらに開かれた鑑賞可能性を提供しました。鑑賞者は一見何を表しているか不明な作品を前に立ち止まり、その意味について熟考します。そうした思索の中で、鑑賞者と作品に個別の相互関係が生まれます。ここでは、鑑賞者と作品の間に「見る/見られる」という主客二元論は成立しにくくなっています。 フリードは、ミニマリズムを「リテラリズム」(直写主義)として批判しました。彼に言わせれば、「リテラリスト」たちの作品は「不完全な」芸術です。なぜなら、それは鑑賞者の積極的介入なしに意味を持ち得ないからです。こうした依存関係に基づいてのみ成立する作品の性質を、フリードは「客体性」と呼びます。ここには師グリーンバーグから踏襲した、自律的「芸術」への信奉が顔を覗かせています。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「一九六〇年代後半における脱美術館化の例として、ベルギー生まれのマルセル・ブロータース(一九二四 ~七六)が有名です。六八年九月、彼はブリュッセルの自宅内に《近代美術館鷲部門》という名の虚構の美術館分館を設立し、自ら館長に就任しました。作品展示用の棚を用意し、関係者を招いたオープニング・パーティを催すなど本格的に美術館を模したものでした。ブロータースの実践は、「美術館とは何か」という本質的な問いを含んでいました。 ヨーロッパの他の国に目を向けると、オランダ領スリナム生まれのスタンリー・ブラウン(一九三五 ~)は一九六〇年代初期から脱美術館化・脱物質化を推進していました。《こちらですよ、ブラウンさん》(一九六〇~六四)では、彼は道行く人にある場所から別の場所までの行き方を尋ね、その人たちが説明のために書いたメモを作品として発表しました。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「九州派の独自性 針生は前述の福岡市美術館での展覧会図録に「九州派顚末記」という文章を寄せています。その中で彼は、この集団の独自性として三点言及します。「九州人の特徴を強調しながら東京になぐりこみをかける姿勢」、「モダニズムを拒否して、芸術の変革と社会の変革を統一しようとする空気」、「くせものぞろいのメンバーが、たえず星雲状にひしめきあったこと」です。「くせものぞろい」の「九州人」たちの中に、美術の専門教育を受けた者はほとんどいませんでした。その多くがフルタイムの仕事を持ち、空いた時間に芸術作品を制作するいわゆる兼業作家でした。そうした背景は労働者として日々を送ることに由来する社会的意識を育み、既存の美術の固定観念に縛られない自由な発想で「生活臭のある」作品を生み出すことを可能にしました。そのような理由から、九州派の実践においては、「芸術の変革と社会の変革」は分かち難く結び付いていました。 一方、否定的な意味での使用ではありませんが、「九州人の特徴」という表現は「オリエンタリズム」にも通じる本質主義──一つないし少数の特徴のみで人やものの全体を代表させるような理解の仕方──に基づくものです。これはともするとステレオタイプの(再)生産に繫がりかねません。その意味では現在の視点から見て適切な表現とは言えませんが、これを「九州のローカルなコンテクスト」と置き換えると針生の言わんとしたことが明確になります。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「高名な物理学者を父に持つ中谷芙二子(一九三三 ~)は、ニューヨークを拠点にアートとテクノロジーの融合を目指した E. A. T.( Experiments in Art and Technology)の一員として大阪万博に参加し、以降世界各地で展示される「霧の彫刻」を初披露しました。その後彼女は一九七〇年代を通じて映像作家のグループ「ビデオひろば」のメンバーとして活動し、八〇年代には「ビデオギャラリー SCAN」を開廊、日本におけるビデオ・アートの開拓者となりました。中谷の《水俣病を告発する会─テント村ビデオ日記》(一九七二)は、産業公害の犠牲者らによる抗議活動を記録した貴重な映像作品です。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「万博破壊共闘派の極点は、一九六九年六月に敢行された「万博粉砕ブラック・フェスティバル」でした。全裸のパフォーマーたちが京都大学の屋上で行った示威行為がそのハイライトです。しかし、パフォーマンス中に発生した事故をめぐる諍いや加藤、末永、小山、秋山らの猥褻物陳列罪での逮捕もあり、これを機に運動は終焉を迎えます。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「 一九六〇年代末に万博破壊共闘派が登場した背景には、安保条約反対を掲げた学生運動やベトナム戦争中止を求めた市民運動がありました。美術界でも新宿を舞台に行われた儀式集団「クロハタ」による《故由比忠之進追悼国民儀》(一九六七)という先例があります。松江カク(一九三五 ~八四)を中心として一九六一年に結成された同集団は、日本政府のベトナム戦争協力に抗議して首相官邸前で焼身自殺を図った平和主義者の遺志を継いで、その儀式的パフォーマンスを執行しました。ゼロ次元は、そこにスーツに(戦争を想起させる)ガスマスクという出で立ちで馳せ参じています。 先述の通り、万博破壊共闘派に関わったパフォーマーたちは「裸体」という表現形式にこだわりました。共闘に直接関与した人物ではありませんが、伝説のパフォーマーとして知られる「ダダカン」こと糸井貫二(一九二〇~)も万博会期中に《太陽の塔》の下を全裸で疾走し、駆けつけた警官に取り押さえられています。一九六〇年代における数々の反権力闘争を回顧して、鶴見俊輔は次のように書きました。「自分を一個の粗大ゴミとして道路の上におくという抗議の形は、根本の抗議の形として、大切なものに見えてくる。そういう抗議を、はだかの自分として、なし得るという自覚が、権力への抗議のもとにあるほうがいい」。もちろん、ここで「はだか」は比喩的な意味で用いられています。しかし鶴見の言葉は、自らの肉体を武器に強大な権力と対峙した前衛芸術家たちの実践の本質を捉えているように思われます。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「宮本隆司は建築雑誌の編集者を経て、写真家として独立しました。主に廃墟や解体現場の建物の様子を通して都市の変容を描き出し、一九八九年には日本における最大の写真賞の一つ、木村伊兵衛写真賞を受賞しました。阪神・淡路大震災が起こった直後には倒壊した神戸の街並みを記録し、『 KOBE 1995』(一九九五)を出版しました。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「また、横尾忠則はニューヨークで見た「ピカソ展」に衝撃を受けて一九八〇年代初めに「画家宣言」を行い、凄まじい勢いで画業に邁進していきました。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「村上は現代美術の世界においても、アメリカを筆頭とした西洋の価値観が支配的であると考えました。そこには日本美術は欧米を中心とする現代アートの世界でほとんど認知されていないと断言した中村信夫の『少年アート』からの影響が見て取れます。『芸術起業論』(二〇〇六)などの著書で、彼は「欧米の芸術の世界は、確固たる不文律が存在しており、ガチガチに整備されて」いるため、「そのルールに沿わない作品は「評価の対象外」となり、芸術とは受けとめられ」ないと繰り返し述べます。「欧米のアーティストと互角に勝負するために、欧米のアートの構造をしつこく分析」した村上は、「サブカルチャー、それもとりわけオタクと呼ばれる日本特有の趣味の領域」を現代美術に応用する戦略を武器に欧米のアート・シーンに乗り込みました。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「はじめに」でも強調したように、「芸術」も「社会」も明確な輪郭線で括ることのできる領域ではありません。歴史的に、社会は常に芸術をその一部として包含してきました。近現代美術における「創造性」概念を再考した『芸術の社会的生産』(一九八一)の冒頭で、アメリカの社会学者ジャネット・ウルフが「芸術は社会の生産物である」と明言したのはそのためです。 本書で見てきたように、とりわけ一九六〇年代以降の美術は、芸術の概念自体を拡張することによって、より直接的な仕方で、そしてより広い「社会」(より多くの人たち)に自らを接続することを志向してきました。その試行錯誤の歴史を追っていくと、人々の間に生き生きした関係を創出したり、人種差別などの社会問題と格闘したりする芸術のユニークな可能性が自ずと浮かび上がってきます。事実、芸術は社会に影響を及ぼし(同時に影響を受けながら)、しばしばその変革の原動力となってきました。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著
「「はじめに」でも示唆した通り、本書の目的は現代美術の「正史」を編むことではありません。そもそも、そのようなことが果たして可能であるのか、あるいは、それが必要なことであるのかさえ筆者には明言することができません。とはいえ、曲がりなりにも一冊の本を書き終えた今では、何らかの線に沿って現代美術が辿ってきた道のりを書き残すという作業には少なからぬ意義があると感じます。 本書では「芸術と社会」というテーマを軸に記述を進めてきましたが、「現代美術史」の輪郭線は本来無数に可能なはずです。これも「はじめに」で説明したことですが、現代美術の世界は無限の多様性に彩られており、当然ながら筆者の限られた力量ではその一部を描き出すことしかできません。ですから、本書をきっかけに少しでも現代美術という領域に興味を持っていただけたら、ぜひとも美術館やギャラリー、芸術祭──もちろん、本書で見てきたように、その実践は文化施設に限定されず、公共空間を含む様々な場所で日々繰り広げられています──に足を運び、多種多様な作品を自身の目で直接見ていただくことを強くお勧めします。」
—『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル (中公新書)』山本浩貴著