「共感」と「自我」は相対するものなのか……。
1976年のSF小説
出だしは“ある田舎の集落”で育った少年の成長が描かれている。
でもその陰には伝染病、不妊、飢饉、戦争などで人類の終焉が忍び寄っている。
成長した少年とその一族は、人類維持のための医療・研究とともにひそかにクローン研究を始める。
生
...続きを読む存率、生殖率が「劣化する」というクローン技術の研究は、当初人間(原種)が行っていたが、次第に「クローン」自身の手で行われることになる。
クローンには従来の人間とは別の特徴があった。
同じ元からクローン培養された子供たちは「兄弟」「姉妹」として、同じ外見のみならず互いに共感しあうことで精神の安定を図り、社会を形成する。そこには利己的で「何を考えているかわからない」人間(原種)は、次第に隅に追いやられていく。
二部以降では、人間(原種)はもう存在せず、クローンたちの「兄弟」「姉妹」での社会が形成されているが、問題は解決されていないどころか、元の科学技術を発展させることも次第に廃れていく。
そこに登場したのが、クローンの中で異質な経験をもとに自然出産で生まれた、「兄弟」を持たない少年。
彼がクローン社会に巻きおこすものは、人類の未来にとって光明か弊害か……。
作者は当時の思想である「社会主義」「全体主義」から「個性と集団社会」をテーマにSF小説として描いている。
現代、「教育の画一性」と「共感力を求める社会風潮」が、SNSの発展とともに問題化している。
今、我々は、この物語のクローンたちの社会と同様に破滅に向かっているのか……。