過労死のルポ。
11の具体的な過労死について丁寧に関係者へ取材している。
それぞれの記事を読むことで、過労死と一言にいっても個々に事情が異なるということがよく分かる。
共通しているのは、仕事を、自分の体や心の限界以上に重視してしまい、死に至ってしまったということ。
熱心すぎて体を壊してしまった
...続きを読む方、職場の理不尽なパワハラに追いつめられ、精神を病み、視野が狭くなり亡くなった方。それぞれ、切実で胸が痛む。
また、残された家族にも大きな影響が。
本書で引用されていた以下の言葉が心に刺さる。
配偶者を失うと、共に生きていくべき現在を失う
親を失うと、人は過去を失う
友を失うと、人は自分の一部を失う
子どもを失うと、親は人生の希望を失う
(『愛する人を亡くした時』E・A・グロルマン著、日野原重明監訳、松田敬一訳)
自分自身も過労死ラインを何倍も超えるような残業をして、職場の上司や同僚からの叱責などにより、思考能力が著しく低下し、仕事もミスしがちになり、自信がなくなり、体の調子もおかしくなるという悪循環を経験したことがあるからこそ、この本に書いてあることは他人事ではないと思う。(私はそれに耐えられなく、すぐに短い休暇をとってなんとかしたが。)
この本に書いてあった、「仕事至上主義」という言葉が心にのこった。
自分が追いつめられたときの自分の心の中では仕事の存在がどんどん肥大化し、その仕事ができないことに押しつぶされる。
本来、仕事と自分だったら、自分のことの方が大切なのはよくわかっているのだけど、そうは考えられなくなる。
自分の限界をわかっていないからこそ、もう少しやろう、もうすこし頑張れると思ってしまい、いつの間にか超えてはいけない線を越えてしまっている。
仕事=生活の為のライフライン+アイデンティティ
がダメなのは → 自分という存在自体がダメということ。
という考えに執着してしまう。
時間制限をすることは、この「仕事至上主義」の閉塞した世界を作らないという意味で重要だと思った。
「仕事至上主義」は、自分よりも仕事を大切にすること、それが当然という考え方(それが周りの場合もあるし、本人自身の場合もある)。
その考え方は仕事の現場では違和感がない。
でも、それって本当はおかしいよねという考え方を、誰かが発言できる職場の雰囲気があること、が重要だと思った。
この本を読むと、今の働き方変革、ワークライフバランスという流れは正しいのだと思う。