“ かつてソ連は労働者による平等な社会というスローガンで、共産主義思想を世界に売り込んだ。プーチンのロシアは伝統的な宗教に根ざした反リベラル思想を、世界の保守反動派を取り込む新たなソフトパワーに仕立て上げている。”(本書108頁より引用)
日経新聞の駐モスクワ記者による、2010年代のロシア正教会とプーチン政権が、人工妊娠中絶反対、同性婚反対などの「反リベラル」を軸に、キリスト教世界とイスラーム圏の一部の保守派をイデオロギー的に結集しようとしている様子を描き出したルポルタージュ。
プーチン政権と正教会は「世界家族会議」(WCF、アメリカ合衆国のイリノイ州に本拠地を置くキリスト教系NGO)へのテコ入れや、アメリカ合衆国のFOX関係者と協力して作り上げた7正教系テレビ局「ツァーリグラード」の開設などのありとあらゆる手段を使ってアメリカ合衆国の福音派プロテスタントをはじめとする世界中の保守派に働きかけ、私財を投じて世界各国のリベラルを支援する大富豪ソロスの活動を封じ込める他、カリブ海のバミューダが一度合法化した同性婚を2018年に非合法化に追い込むなど、世界中でキリスト教保守に基づくイデオロギー攻勢で成果を上げている。
また、プーチン政権が2013年にロシア正教会とのイデオロギー的提携(本書では「ユーラシア主義」という言葉で表現されている)と反リベラル路線を本格化した後(72-74頁)、セルビアの保守政党Dveri(105頁)や、イタリアの保守政党「同盟」(134-136頁)、フランスの「国民戦線」(137頁)などの、欧州の極右政党に影響力を行使し、アメリカ合衆国のトランプ政権やハンガリーの織る万政権とも親密な関係を築き、もって2014年のクリミア侵略などの国際紛争にあってこれらの諸政党・諸政権にロシア寄りの立場を取らせているとのことである。
興味深いことに、ロシアでプーチン政権のイデオローグとなり、「ユーラシア主義」を体系化したアレクサンドル・ドゥーギンは、トランプ政権のイデオローグであった(2017年に共和党内の政争に敗れて失脚)したスティーブン・バノンと極めて懇意であるとのことである(202頁)。
2013年以降にプーチン政権が進めた保守反動的な社会政策には、前述のLGBT関連のみならず、家庭内暴力(DV)への罰則を弱めることと、教会やモスクで故意に人々の信仰心を害することについて罰則を科すこと、及び学校での宗教教育が定められているが(75-79頁)、このまま行くと2020年代はソ連があった頃よりも窮屈な世の中になっているかもしれない。2017年に「ロシアのプーチン政権よりのイデオローグ、ナタリア・ポクロンスカヤが映画『マチルダ』にニコライ2世(ロシア最後の皇帝。ソ連崩壊後の2000年に正教会により列聖)に対する侮蔑的な表現があるとして非難キャンペーンを張った際は、チェチェン等ロシア国内のイスラーム教徒の保守的な人々がポクロンスカヤを支持したと本書には記されているが(220-224頁)、ロシアで進むキリスト教(正教)とイスラームの連合に、1930年代のスペイン内戦の時のフランコ派が後ろ盾となっていたカトリック教会と植民地モロッコから集められたイスラームの兵士が反共和国=反共産主義=反無神論で同盟関係にあったことを想起してしまった。
本書では述べられていないこととして、キューバは2019年に憲法改正で同性婚を認めた上に、キューバで共産党一党制が続く限り、ロシア正教会やアメリカ合衆国の福音派がテコ入れする保守勢力によってバミューダのように同性婚が非合法化されるということはないだろうけれども、ここら辺、原則的なリベラルの人士はどのように考えているのか気になった。