一番自分に響いたのは、
「外的な条件が決定的に不幸なものでない場合、そしてその人の情熱と興味が彼自身の内部に向かってではなく、外側に向かって動いているかぎり、人間は幸福を達成することが必ずできるのである。」
という一節。このことは何度も繰り返し本文中で説かれていて、自己没入が不幸の源泉の一つとし
...続きを読むて大きいことと、興味を外に向けて世界的宇宙的に広い意識を持ってバランスを取ること(有意識と無意識の協力、社会との統一融合が備わっていること)が幸福に繋がると結論付けられていると思う。
このことは、伝統的な哲学と宗教が持つ形而上的な存在を前提に置かない、ポジティブな懐疑主義に基づく論理的分析でもって裏付けられているかと。例えば、理性や知性すらも厭世観に浸る「バイロン風の不幸」に陥る場合があることを多くの具体例を用いながら示している。
また、中庸の精神の効用を説く一方で、情熱の向け方についても内向性を避けることに留意しながら説いており、上下関係を伴う徳(伝統的な家庭の慣習的価値観を含む)を好ましいものとせず、教育対象としての子供にも敬意を払うべき(もしくは夫が妻を家庭に押し込めるべきでない)という見地は、現代では多くの国で理解されやすいかと思うが、当時としてはラディカルであったと想像する。さらに、中庸の精神を均衡感(Sense of proportion)と表現していることから、単に物事の程度を弁えるということよりも踏み込んで、思考と行動の外向化を実践して神経的なバランス感覚を養うことで、心身を健全にして幸福に近づけるのだと具体的に述べられているように思う。
こういった考え方は、とかく神経を病みがちな現代社会において、引いては自分にとっても快く生きるための処方箋に幾分か成り得ると思うと同時に、既に1930年の時点で欧米社会が現代の日本に通ずる個人の生きづらさに直面していたであろうことが想像できて興味深い。
また、例え話を混じえつつ、随所で前提と例外に注意を払いながら考察を述べるスタイルは、数学者でもあるラッセルらしく、観念に寄りすぎない明快さを持ち、好ましく思う。