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「ルーシークレハン」の「日本の15歳はなぜ学力が高いのか? 5つの教育大国に学ぶ成功の秘密」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「ルーシークレハン」の「日本の15歳はなぜ学力が高いのか? 5つの教育大国に学ぶ成功の秘密」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
本書は、イギリス人教師がPISA(OECDが三年ごとに実施する学力到達度調査)で高い得点を出す国々を選び、実際に旅をして教育の実情に迫った一冊です。
本国では2016年に出版され、日本では2017年に翻訳されたものですが、いつもながら早川書房のチョイスは素晴らしい!
巻末の苅谷剛彦氏の解説も非常に読みごたえがあります。
本書で取り上げられるのは、フィンランド、日本、シンガポール、中国(上海)、カナダの5か国。
なお、原題は「CLEVERLANDS:The Secrets Behind the Success of the World's Education Superpowers」 というもので、直訳すると「賢い国々:世界の教育超大国に潜む成功の秘密」となり、「日本」とか「15歳」という言葉は原題には出てきません。
洋書は邦題にも注意が必要です(笑)
で、著者はこの5か国を旅して、学校訪問などのフィールドワークを行うのですが、そもそも日本を含むこれらの国々を選んだ理由は…
・フィンランド:最近まで東アジアを凌ぐ点数を出す唯一の西洋の国であった
・日本:小さな都市国家ではなく大国である
・シンガポールと中国(上海):とびぬけた高得点を取っている
・カナダ:文化的・地理的な多様性にもかかわらず上位に入っている
…ということだそうです。
著者の類まれなる好奇心によって、各国の教育の実情が明らかになり、紀行文としても大変面白い内容になっています。
5か国に共通するのは、15歳ころまでは能力分けをせず、共通の教育を提供していた、ということ。
これは教育に新自由主義を持ち込んだイギリス(アメリカも)とは大きく異なる点であり、早い段階で能力分けをしないことで教育の不平等が抑制されている、ということのようです。
(日本でも新自由主義的な取組を実践している地域もありますが…)
各国の教育の特徴も非常に興味深いものでした。
フィンランドの幼児教育や教師のトレーニング、シンガポールの超エリート教育(もちろん弊害もあり)、中国(上海)の猛勉強の根底にある思想、カナダにおける勉強以外のスキル(リーダシップなど)の学習など、各国の文化に基づく取組の違いもいきいきと描写されています。
日本の教育についても肯定的に言及されており、外国人の目から見た評価を知ることは、客観的な評価軸を養う上で有益なものとなりそうです。
また、第17章「高い成果と公平性を実現するための五つの原則」と第18章「PISAで高得点を取らせる代償は?」については、教育の旅を終えた著者からの提言というべきものです。
教育学的なエッセンスも随所に散りばめられており、教育の持つ力や可能性を信じつつ、これからも思考を続けていきたいと思います。
Posted by ブクログ
好感が持てたのは、単にPISAの得点だけで各国の良し悪しを測るのではなく、同時に公平性についても注目していたところである。確かにいくらその国の平均得点が高いからと言って、国内での点数に格差があったら決して良い教育とは言えない。
同時に、ただデータのみで語るのではなく、その国の文化や思想と関連付けながらその国の教育を見つめることで、なぜその教育が可能なのか理解することができた。
日本の教育は、国内では、画一的で個性がない、と言われているが、イギリス人の著者から見ると、公平性が高く、集団を意識した社会性の高い教育なのだ。
学校の中の自由は制限されているように感じるのに、結果として公平性が高い(家庭環境が学力に与える影響が小さい、家庭環境から自由である)のは、不思議に思えた。
そこで「自由」と「勉強」の関係について考えてみた。
仮に「自由」を「自分が望むことが実現すること」(平たく言えば「自分の思い通りになること。」)と定義してみる。すると、自分が望むことを実現するためには、実現するための能力が必要になることが分かる。(お腹が空いても大人が食べ物をスプーンで口まで運んでくれないと食べられない赤ちゃんは自由でない。なぜなら自力で食べる能力がないから。)
一方で「勉強」は「能力を身に付けるための行為」である。つまり「自由」へ近づくための行為なのだ。その「勉強」を「子どもの自由」を謳って無責任に子どもに過度に委ねるのは、能力を身に付ける機会の損失である。子どもの「主体性」や「自由」を謳いながらも、やはり教師の関与は必要なのだ。
今の日本が推し進めている、主体的な学びそれ自体を否定しようとは思わない。しかし、これまでやってきた教育の中でまだ捨てるべきでない方法があることに気付く。
批判ばかりを受ける現代の日本の教育だが、今の教育にある価値を再評価するきっかけを与えてくれる本であった。