SNSに登録した個人データや日々更新するつぶやきやいいね等、全てのデータはSNS会社によって収集されビックデータとして利用されている。
公開していない個人情報は、SNS会社も含めてプライバシー権によって保護されていると思っていたが、とんでもない勘違いであった。
また他人のデータからも友達情報やたまた
...続きを読むま写ってしまった写真などによって、自分のデータが吸い上げられていく。
もはやインターネット上でプライバシーはないものと考えて行動する必要がある。
その際に重要なことは、個人情報を提供することと、それによって得られるメリットは比例するということだ(お勧め情報がより志向に合ったものになる等)。
・訳者あとがきより
本書の内容は工部構成になっている。まず前半では、今日われわれについてどのようなデータが収集・分析されくいるのか、つまり「ゾーシャルデータ」とは何か、データ会社はそれをどのように精活用しているかを解説する。それを理解することが、ビッグデータの時代を生きる者の必須能Yある「情報リテラシー」を身に着ける第一歩だと著者は説く。
データ会社が収集するソーシャルデータは、「クリック」「つながり」「コンテクスト(背景)」の三種類に大別され、それぞれがわれわれの人格を赤裸々に伝えている。
何気なく使っているネットサービスや身の回りのセンサーからどれほどの個人情報が明らかになっているかがわかったところで、後半はそうしたデータによってデータ会社だけではなく、われわれ自身が恩恵を享受するための条件を考察する。著者はそこでカギとなるのが「透明性」と「主体性」という二つの原則だと主張し、データ会社の透明性を高めるための権利、ユーザーの主体性を高めるための権利の実現を訴える。
たとえば金融機関には、フェイスブックなどから明らかになる交友関係を通じて、個人の信用度を推し量るうとする動きがある。
金融機関などデータ会社が、あなたについてどのようなデータを作成し、判断材料としているのか、そうしたデータの管理方法が適切であるかを確認できるようにするには、透明性を高める権利が必要だ。そうした知識に基づいて、特定の相手を友達リストから削除するなど、自らの意思に基づいてデータを管理するには、主体性を高めるための権利が必要だ。
二〇世紀のもっとも重要な資源が石油だとすれば、二十一世紀にそれに代わるのはデータであるという認識は広がっている。データの世界においては先行者に大きな優位性があり、すでに膨大なソーシャルデータを蓄積している大手企業の影響力は今後ますます高まる。
いまはデータを作成する個人と、データから製品やサービスを生み出す組織との関係がまさに決まろうとしている重大な時期にあたる、と著者は指摘する。そしてソーシャルデータにかかわりのない個人は一人もいないとして、透明性と主体性の高いデータ企業を積極的に選ぶなど「ソーシャルデー夕革命」への参画を促す。