部分、部分はものすごくおもしろい。
でも全体像となると、なんというかとっつきにくい。
だから、4点でも5点でもなく、4.5点っていうのが本音ところ。
とっつきにくさの原因は、たぶん、僕が読者としてあまり想定されていないところからくるような気がする。
「お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました!」
...続きを読むと言って逃げ出したくなるような気にさせるのだ。
ではなぜ、僕はそのような気分になってしまうのか。部分、部分では本書に引き込まれているにも関わらず、である。
❝作品を「展示」するということは近代において特徴的な美術の展示の仕方だ。だが、あるときから「エクスポジション」は作品の制作そのもののうちに取り込まれていったようだ❞(本書の「結び」より引用)
僕の「お呼びでない」感は、ひとえにこの「エクスポジション」というカタカナ語にあるように思われる。
この「エクスポジション」は筆者の論を支えるもっとも重要なキーワードなのだけれど、僕の中で「エクスポジション」はとうとう「えくすぽじしょん」という音のままで終わってしまった。
英語そのものの意味内容は残念ながら僕の語彙力にはなく、また熟語や和語に置き換えるようなことも最後までできなかった。
もちろん、本書ではこの概念についての定義もあるし、「呈示」や「露呈」という熟語と近しい意味で使用されていることくらいは分かるのだが、それがなんというか、すっきり落ちてこない。
だから「エクスポジション」というキーワードが出てくるたびに、読みのリズムが中断される。没頭していたものが邪魔されてしまう。
この邪魔者感こそが「お呼びでない」という感覚を形成させるものなのだろう。
芸術系の論文では常識的な言葉なのかもしれないけれど、素人にはその多用が一番しんどかったなあ。
なお、「エクスポジション」は「あとがき」において「さらされること」と言い換えられている。これならもう少し親しみ深く読めたような気がする。