『指示が入らない、拒否がある』
という、現場ではあるあるの言葉。ギクっとした。本当に日常的に使っていた言葉だから。
『目の前の現実に妥協し、諦め、時に投げやりになっていないか?』
その通りです。なんだかもやっと感じていた違和感も、日常のことになるとやがて当たり前の背景になった。
『攻撃的な認知
...続きを読む症の患者さんなどいない。。彼らはただ私たちが彼らを理解していないために行なっている振る舞いから自分を守ろうとしているだけなのだ。あれは防御である。』
『"ここで私たちが考えなければいけないのは何かということを考える"』
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日々のケアの中で疑問に思ったことについて考えることを、とっくのとうに辞めてしまった。もしくは、引っかかりを感じつつも、必要性で正当化していた。そして、「すみません、ごめんね」と言いながら、患者さんの尊厳を奪い、精神・身体に暴力的な行為をしていたのかもしれない。ゾッとする。
そして思っても見なかったが、ユマニチュードは育児にも当てはまる。いくつか成人とは異なる点があると思うが、日常的に手首を掴み、拒否できない子どもに対して強制的ケアをしている。やり方や言い方はごまんとあるのに、考えることをやめて、より効率の良い方法を当たり前に行っていたり、言葉での語りかけ、アイコンタクトなんて省略しまくっている。
ケアエクスチェンジャーとして、もう一度自分の言葉かけを振り返ってみよう。すぐに正解が分からなくても、人間とは何か、立ち止まって考えてみよう。悩んで、困って、相談してみよう。