作品一覧 2023/03/10更新 「自然との共生」というウソ 試し読み フォロー 諸国カメムシ採集記 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 高橋敬一の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 「自然との共生」というウソ 高橋敬一 武田邦彦的な批判論というより、 あくまで価値観や視点から安易な自然保護思想に切り込む ツッコミどころも多いと思うけど、共感するところも多かったような… シャローエコロジーww Posted by ブクログ 「自然との共生」というウソ 高橋敬一 「自然と共生する」は聞こえは良いが、実は人間が都合の良いように解釈しているだけで、本来の自然を人間が住みやすいように、変えているだけ。 稲、仏教、里山の文化も外来種でもある。 Posted by ブクログ 「自然との共生」というウソ 高橋敬一 チェルノブイリやマーシャル諸島は、人間が住まなくなったため、動植物が繁栄している。 人間は目立つ動植物だけを保護しようとしている。蛍、ギフチョウなど。 レッドデータブックに載っているものは、相当の覚悟と出費が必要となる。 ナス科のアルカロイドを取り除くと、害虫の餌食になる。 農薬の危険性を訴え...続きを読むた「沈黙の春」では作られた自然を自然と呼んでいることになる。 里山が復活して緑になっているのは、燃料として木を取らなくなったから。 イネも外来種である。とまと、ナス、じゃがいも、いちご、とうもろこし、などなど。牛、馬、鶏も外来種。 外来種は防げない。 新しい生態系へ変化しているにすぎない。 映画「カンニバルツアー」 芥川龍之介「侏儒の言葉」 道徳は、便宜の異名である。左側通行と似たものである。 Posted by ブクログ 「自然との共生」というウソ 高橋敬一 しかしこの大事な伝統というものがなくなってもしばらくたつと、そんなものがあったことすらすぐに忘れられてしまう。そしてあるとき、そんな伝統があったことを思い出した人が、それがなくなっても結局は日常生活になんの支障も生じなかったことに気が付いて驚くのだ。ここに郷愁というものの持つ性格がよく表れている。 ...続きを読む 田舎にいけばいくほど、人々は表面的には友好的態度を保ちながらも侵入者の値踏みを入念に行う。純朴なのはむしろ無防備な都会人の方だ。からすなわち都会人がそこに隅人々と大きくことなる価値観を持ち、少しでも問題を起こしそうだと見るや否や、田舎のひとは手のひらを返したようにこのよそ者を追い出すしたたかさをもっている。 お互いの価値観を認め合えないからこそ、苦労して妥協点を模索するのが本筋でないか。 人間ができることは、なによりも子供の数をさらに大幅に減らし、長寿命化と経済発展からも撤退し、ごく狭い範囲に建設した高層アパートに全員が移住して、その他の場所はそのまま放置して遷移するにまかせるのだ。労力も金も大幅に節約できる上に、その効果は絶大で長期間にわたって有効である。 Posted by ブクログ 「自然との共生」というウソ 高橋敬一 自然保護、絶滅種保護の背景に】横たわる人間のエゴ、ご都合主義を議論し、また人間と自然との共生の難しさをその遺伝子と心の問題にまで掘り下げて分析を行っている。 人間もまた自然の一部であり、かつて地球上で栄華を誇った恐竜と同じように、爆発的な反映の後に滅亡するしかない しかし、その利己的なDNAはその一...続きを読む部を変異させ発現形態を変化させ、生きながらえる 高橋氏の主張は理解できるが、それでも自分自身に出来ることは無いか、自分自身の行動が他人に影響を与えることが出来ないか考えさせられる Posted by ブクログ 高橋敬一のレビューをもっと見る