ゲランの大ヒット商品、香水「ミツコ」。この命名の元になった
のがクーデンホーフ光子だとの話があるとか、ないとか。本当の
ところは不明なようだが。
明治時代の東京府。骨董店を営んでいた両親の下に生まれたのが
青山みつはオーストリア・ハンガリー帝国の駐日大使だった
クーデンホーフ伯爵に見初められた。
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ふたりの結婚は東京府に初めて正式に提出された国際結婚だった。
この結婚は明治天皇並びに美子皇后にも祝福された。
結婚後、2年を日本で過ごし夫の故郷であるオーストリア・ハンガ
リー帝国へ渡るのだが、伯爵は39歳の若さで急死する。
急死した夫との日本からの長い旅路や父親がどんな人であったの
かを子供たちに伝えたいとう思いから、光子が娘に後述筆記させ
たのが本書の元になる手記である。
貴重な手記なのであろう。だが、非常に読み難い。それは物書き
ではない素人の手記だというのもあるのだろう。それに加えて
文中の「不明」は致し方ないとしても「省略」ってなんだろう。
これは訳者が意図的に省いたってことでいいのだろうか。「プロ
ローグ」で訳者自身が翻訳時の苦労を綴っているが、これって
冒頭に持って来る必要はあったのだろうか。
クーデンホーフ光子という人物の大まかなプロフィールを書いて
くれた方がよかったんじゃないかな。私は多少知っていたからいい
けど、光子をまったく知らない人には多分とっつきにくいと思うわ。
伯爵との間に7人の子供をもうけ、オーストリア・ハンガリー
帝国に渡った後は二度と日本の土を踏むことのなかった光子。
あの時代、唯一の頼りだった夫を亡くして日本人女性がヨー
ロッパで生きて行くのは並大抵ではなかったろうな。
手記からは子供たちへの思いが伝わるのだが、残念ながら実際
には光子と子供たちの仲は円滑ではなかったようだけれど。