まずはタイトルと帯。つかみがうまい。こう来たらたとえ商売として考えてなくても書くことに興味のある人ならグッと心を掴まれることでしょう。
内容も話すように書かれている文章がとっつきやすくて読みやすい。章立ても飽きないように適切な長さでどんどん読みたくなる。
構成も考えられているなぁと。この本自体が本づ
...続きを読むくりの見本になっているかなと。
確かにご本人のおっしゃるようにプロとして文を書き続けるということは、書く才能というよりは視座視点、企画の発案が大切なんだろうとも思いました。
後半に進むに従って、より実践的な突っ込んだ内容になっていくのも面白い。本気で余すところなく書きたい人に知恵を与えようとしているのが伝わってくる文です。逆に言えばここに出てくるようなことが出来ない人はプロの物書きとして続けていくのは難しいのだろうとも感じさせられます。
単なる読み物としても十分面白いです。
(実際はハウツーものとしてよりそう読む人のほうが多いかも?)
エピローグに「文章を書くことは確実に世界を狭めること」とあり、どういうことかと疑問でした。でもその解説(?)として著者のお父さんのことについて書かれているのを読み、深く納得。私自身自分の父が亡くなったあとに父の思い出をあるところに投稿して掲載されたことがあるのですが、私はそうすることが「父のことをこの文をきっかけに思い出し、そしてそれ以外の感情は忘れてしまうだろう」(経験の固定化)というように考えたことはありませんでした。でもそう言われてみると確かに著者のおっしゃるとおり。
それは決して書いたことを後悔することではないし記憶が固定化されたりそれ以外を忘れてしまうこともやむを得ないことではあるけれど、やはりさみしく哀しいことでした。
私はそれだけでいいけれどプロはさみしいと言うだけではすまないものがあるでしょう。
考えてみたらそれはすごく怖いことでもある。ライターは取材して相手を主体に物を書くのが本分でそこには書き手の感情は通常入れない。(と本書にもあったと思う)なので取材して書くものとは違う自分の経験や感情から文を書く場合は経験の固定化という怖さに、覚悟のようなものを求められる場面が多くあるのではないかなと考えさせられました。物書きで生きていく人の性(さが)というものを深く感じさせられるエピローグでした。