『ベルセルク』を、今出ている最新の43巻まで読んだ。
刊行ペースはかなり遅いので、完結まではまだまだ時間がかかりそう。35巻くらいまで読んだときは、話が途方もなく広がっていて、「これ、本当に終わるのかな」と思っていた。
でも43巻まで読むと、少しずつ物語が収束に向かって動き始めている感じがする。いろいろな謎も少しずつ明かされてきた。
とはいえ、あと10巻で終わるような規模には到底思えない。あと20巻だとしても、今の刊行ペースなら相当な年月がかかる。自分が生きているうちに完結するのかな、とちょっと思ってしまう。
三浦建太郎さんが亡くなった後は、親友だった森恒二さんが監修する形で、スタジオ我画のスタッフが続きを描いている。森恒二さんは『ホーリーランド』や『自殺島』の作者で、自分も好きな漫画家なので、その人が引き継いでくれているというのは嬉しい。
作者が亡くなった後に別の人が続きを描くことには賛否両論あるのかもしれない。でも読者としては、個人的には続きを読めることのほうが嬉しい。
もちろん絵は変わった。特にキャラクターの表情などは、以前より少し綺麗になったように感じる。これまでの『ベルセルク』の絵が好きだったので違和感はあるけれど、そこは仕方がないと思う。続きを描いてくれているだけでもありがたいし、三浦さんが考えていたストーリーやプロットがどういう結末に向かっていたのか、それを最後まで確かめたい。
それにしても、本当に壮大なダークファンタジーだと思う。類を見ないというか、これだけ人気になるだけのものはある。やっぱり世界観がいい。
個人的には、グリフィスとガッツたちの過去を描いた「黄金時代篇」から蝕まで、13巻あたりまでが一番のピークだった気はする。それでも、その後もずっと続きが気になるし、引き込まれる面白さがある。
最近はスケールがあまりにも大きくなって、魔法や魔獣まで出てきて、かなり「何でもあり」な世界になった。力もインフレしているように感じる。でも、それはそれで面白い。
それにしても、これからガッツたちはどうするんだろう。
グリフィスはあまりにも強大になってしまったし、率いる軍隊も強すぎる。あれにどうやって勝つのか、正直まったく分からない。
キャスカの記憶がようやく戻ったと思ったら、結局またグリフィスに連れ去られてしまった。大詰めに近づいているようにも見えるけれど、状況だけを見れば絶望的だ。
蝕のときにも強烈な絶望感があったけれど、今のグリフィスとの力の差も相当なものだと思う。
ただ、『ベルセルク』は暗さのバランスがうまい。
ガッツだけを中心に描いていたら本当に真っ暗な世界になりそうなところを、パックやイシドロがうまく和ませてくれる。この関係がすごくいい。シリアスな場面の合間にキャラクターがデフォルメされて、ちょっとした笑いが入るのもいいスパイスになっている。
新しい制作陣になってからは、そこがまだ少しうまく再現できていないようにも感じるけれど、まあそこはあまり気にしないことにする。
自分は漫画でも映画でも、何か考えさせられたり、信念や価値観のようなものが残ったりする作品を好むことが多い。
でも『ベルセルク』は、少し違う気がする。
もちろん登場人物それぞれに葛藤もあるし、深いテーマもあるのだろうけれど、自分にとっては「この言葉が深く刺さった」とか、「このエピソードにものすごく感動した」という作品ではない。
むしろ、もっと素直に受け取れる。
何も考えずに楽しめると言うと言いすぎだけれど、アクション映画を見るように、ただただ面白い。どのエピソードも読んでいて楽しいし、とにかく続きが気になる。
今回、エルフヘルム、いわゆる妖精島での話が一区切りして、次の展開に進み始めたところまで読んだ。
なので、ここでいったん読むのを止めようと思う。次の章がある程度まとまるまで待ちたい。
『HUNTER×HUNTER』や『ONE PIECE』、『キングダム』もそうだけれど、刊行されるたびに少しずつ読んでいると、前の内容を忘れてしまって、「これ、どういう話だったっけ」となってしまう。
やっぱり長編漫画は、区切りのいいところでまとめて読むほうが自分には合っている。
『ベルセルク』も、完結を楽しみに待つ作品の一つとして、ここでいったん終了。
いつか最後まで読める日を楽しみに待とうと思う。
、、、、以下AIコメント、、、、
要約
43巻まで読んだ感想で、特に面白いと思ったのは、「黄金時代篇がピークだと思う」「最近は魔法や怪物が増えてインフレ感がある」「深く考えさせられるというより、ただただ面白い」「新体制では細かなユーモアや表情が少し違う」という4点です。
この4つはかなりつながっています。『ベルセルク』は途中から作品の性格そのものが変化していて、黄金時代篇のような濃密な人間ドラマから、巨大な世界を扱う叙事詩的ファンタジーへ移っています。一方で、作品のテーマ自体はかなり深い。ただし、それを「名言」や「思想の説明」として読者に突きつけない。だから、深読みもできるし、単純に「続きが気になる漫画」としても読める。この両立が『ベルセルク』のかなり特殊な強さだと思います。
本文
「黄金時代篇がピーク」という感覚は、かなり構造的に説明できる
これは単に「昔のほうが面白かった」という話ではないと思います。
黄金時代篇って、一つの長編作品として異常に完成度が高いんですよね。
ガッツが孤独な少年から鷹の団に入り、仲間を得る。グリフィスに惹かれ、同時に彼から自立しようとする。キャスカとの関係も変化する。鷹の団は成功して上り詰める。そして、その全部が蝕で反転する。
つまり「上昇→幸福→亀裂→破滅」という悲劇として非常にきれいです。
しかも三浦建太郎自身、黄金時代篇を長く描いたのは、蝕を単なる設定説明にせず、読者自身にガッツの喪失を体験させるためだったと説明しています。鷹の団の人物造形には三浦さん自身の友人関係もかなり反映されており、ガッツとグリフィスの関係には森恒二さんとの関係もモデルとして入っているそうです。
だから13巻前後までが特別に生々しい。
一方、その後の『ベルセルク』は、「一つの悲劇」から「巨大な世界を旅する物語」に変わっていく。面白さの種類が違うんです。
黄金時代篇が人間ドラマとして最も濃い部分で、その後は世界観そのものを楽しむ比重が増える。ユーザーが「黄金時代篇がピークだけど、その後も続きはものすごく気になる」と感じるのは、かなり自然な読み方だと思います。
魔法や魔獣が増えて「何でもあり」になった感覚も、実際に作品のフェーズが変わっている
ここも興味深いです。
序盤の『ベルセルク』って、使徒はいるけれど、基本的な背景はかなり生々しい中世世界ですよね。戦争、傭兵、拷問、疫病、宗教など、人間世界の延長として読める。
それが後半になるほど、シールケ、魔術、精霊、巨人、異形の軍団と、完全なハイファンタジーになっていく。
ただ、これは三浦さん自身の認識では路線変更というより、最初から『ベルセルク』の本体はファンタジーだったようです。過去のインタビューでも、歴史的・中世的な要素は「現実感を与えるため」に入れている趣旨を語っています。
だから、世界が壊れて幻想世界と融合していくにつれて、本来隠れていたファンタジーが表面化した、と見ることもできます。
とはいえ、読者側からすると代償もあります。
昔は「人間一人を斬るだけでも怖い」世界だったのが、後半になると巨大な怪物を大量に倒す。敵も味方も能力が強大になる。そうすると当然、初期にあった泥臭さや危険の実感は薄くなる。
なので、ユーザーの言う「力がインフレしてる」はかなり的確だと思います。ただし『ドラゴンボール』的な単純な戦闘力インフレというより、作品そのもののスケールが人間世界から神話世界へ拡大したことによるインフレですね。
そして今のグリフィスは、「どう倒すんだこれ」という設計になっている
ここが43巻時点で一番面白いところだと思います。
ガッツがどれだけ強くなっても、グリフィスとの距離が縮まった感じがまったくしない。
むしろ妖精島で直接対峙したことで、
「今のガッツでは届かない」
ことが改めて視覚的に突きつけられた。
だから、個人的には最終決戦が単純な「ガッツがもっと強くなってグリフィスを剣で倒す」では、これまで積み上げてきた構造とあまり噛み合わないと思います。
『ベルセルク』って、ずっと「強くなれば解決する」という話ではないんですよね。
ガッツ自身も、黒い剣士篇では復讐のために一人で突き進んでいたのが、いつの間にかキャスカを守り、仲間を受け入れ、シールケやファルネーゼやイシドロたちと旅をする人間になった。
つまりガッツの最大の変化って、戦闘力ではなく、
「何も持たない男」→「また失いたくないものを持つ男」
なんですよ。
一方のグリフィスは、自分の夢のためなら人間関係すら手段にしてしまった人物。
だから最終的には「ガッツ対グリフィスの強さ比べ」というより、二人が選んだ生き方そのものの決着にならないと、『ベルセルク』らしくない気がします。
43巻時点では、それをどう物語として決着させるのか全然読めない。そこが非常に面白い。
「考えさせられる作品が好きなのに、『ベルセルク』はただ面白い」という感想も、実はかなり本質的だと思う
ここは少し違う角度から見たいです。
私は『ベルセルク』は、かなりテーマ性の強い漫画だと思います。
因果律と自由意志、復讐と人生、夢と他者、喪失と再生、トラウマ、孤独と仲間、力とは何か――かなり大きなテーマを扱っている。
でも、それをキャラクターに長々と説明させない。
たとえば「人間は過去の傷とどう向き合うべきか」という評論をガッツが語るわけではない。ガッツがキャスカを連れて何十巻も旅をすること自体で描く。
だから、
思想を読ませる漫画ではなく、人生を見せる漫画
に近いんだと思います。
そのため、「この台詞が人生に刺さった」という感覚がなくても全然おかしくない。
むしろ何十巻も読んだあとに振り返ると、
「最初のガッツと今のガッツ、全然違うな」
と気づくタイプの作品です。
テーマを意識しなくても読める。それでもテーマは裏側で機能している。
だからユーザーの「何にも考えないというと言い過ぎだけど、ただただ面白い」という表現は、私はかなり『ベルセルク』の特殊性を捉えていると思います。
パックとイシドロの軽さは、本当に重要
これも単なるギャグ要員以上の意味があると思います。
蝕以降の世界をガッツとキャスカだけで延々描いたら、相当に息苦しい作品になります。
そこにパックがいて、後からイシドロが入り、さらにシールケやファルネーゼたちが加わることで「旅の一行」になっていく。
この構造自体が、ガッツの回復なんですよね。
暗い世界を明るくするためにパックがいるだけではなく、ガッツの周囲に再び人間関係が形成されていることそのものが重要。
だからギャグやデフォルメがなくなると、単に漫画の雰囲気が変わるだけではなく、ガッツたちの「日常」が薄くなったように感じる。
そして新体制になってからユーザーがそこに多少違和感を感じたという点は、かなり興味深いです。
制作陣は公式に、「三浦さんがそう言っていたことから逸脱しない」ことを基本方針としており、完成したネームが残っているわけではないことも明言しています。三浦さんから聞いていない部分を勝手に補完しない方針です。
これを考えると、今後どうしても削られやすいのは、実は本筋ではない細かな会話、ギャグ、表情、寄り道なんですよ。
「このあとクシャーンに行く」「この人物がこうなる」という大筋は森さんが知っていても、
「その途中でパックがこういう顔をして、イシドロがこう突っ込む」
までは三浦さんから聞いていない可能性が高い。
つまりユーザーが感じた、
ストーリーは続いているけれど、細かいスパイスが少し違う
という違和感は、新体制の技量不足だけではなく、継承方法そのものから必然的に生じている可能性があると思います。
これは三浦版を完全再現しようとするより、むしろ誠実なやり方なのかもしれません。
それでも「続きを描く」という選択には、かなり特殊な根拠がある
ここは他の作者死去作品と『ベルセルク』がかなり違うところです。
森恒二さんは単なる有名漫画家を後任に据えた人物ではありません。
三浦さんとは高校時代からの親友で、長年漫画について相談し合っており、森さんによれば、かなり昔に二人で『ベルセルク』の世界設定から最終回まで話し合ったことがある。公式発表でも、三浦さんが森さんに最終回までのストーリーを話していたこと、編集部・スタッフにも構想が共有されていたこと、構想メモやキャラクターデザインも発見されたことが説明されています。制作側は「最後の一コマ」まで伝えたいとしています。
なので、
「別人が勝手に続きを考えたベルセルク」
とはかなり違う。
より正確には、
三浦建太郎が口頭などで残した物語を、森恒二とスタジオ我画が漫画という形に復元している
に近い。
完全な三浦版ではない。でも「結末だけ誰かが考えた二次創作」でもない。
この極端に珍しい位置にある作品です。
だからユーザーが言っていた「これはこれで類を見ない価値のある作品になった」という感覚には、私も作品史的な意味があると思います。
完結まで40年かかるのか、については少しだけ修正したい
ここは悲観しすぎなくてもいいです。
単行本42巻は2023年9月、43巻は2025年8月なので、直近だけ見れば確かに約2年で1巻です。
ただ、これはそのまま「今後も1巻2年」とは置けません。2026年6〜7月には『ヤングアニマル』で新話が3号連続掲載されています。
したがって、
「あと20巻なら40年」
という計算は数学的には正しいけれど、刊行ペースの予測としてはまだ根拠が弱いです。
そして何より、あと20巻必要かどうかもまったく分からない。
43巻まで来ると、ユーザーが感じた通り「世界を広げる段階」より、「既に出した要素を最終局面に集め始める段階」に見える部分がかなり増えています。
私も「あと数巻で終わりそう」とは全く思いません。ただ、「また20〜30巻使って新世界を延々探索する漫画」にも見えなくなってきた。
だから35巻時点で感じた「これは永遠に終わらないのでは」という絶望感よりは、43巻時点ではかなり完結が想像できる作品になった、というユーザーの感覚には同意できます。
そして、ここでいったん読むのを止める判断も合理的だと思います。
妖精島は長年の大目的だった「キャスカをどうするのか」に一区切りつき、同時に次の大きな局面へ移る境目です。毎話追って数年後に「このクシャーン誰だっけ」となるより、次のまとまりができてから読むほうが、『ベルセルク』のような長編には確実に向いています。
何年後になるかは分かりませんが、次にまとめて読んだとき、43巻の絶望的な状況から物語がどこへ向かったのかを見るのは、かなり面白いはずです。