六車由実の作品一覧
「六車由実」の「老いと喪失 死と向き合う思想」「介護民俗学という希望―「すまいるほーむ」の物語―(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「六車由実」の「老いと喪失 死と向き合う思想」「介護民俗学という希望―「すまいるほーむ」の物語―(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
「介護民俗学」を提唱する六車さんのことは何となくそういうものがあることくらいしか知らなかったので、実際のところどんなものだろうと一冊読んでみた。
この本ではデイサービス施設での利用者の高齢者たちとのエピソードが紹介されている。高齢者の話すことを聞き書きしているということだけど、聞き書き自体の効用というより聞き書きできるゆとりをつくることとか、高齢者の話をきちんと聴くスタンスで向き合うことが大事なのだと思った。
紹介されているエピソードがしみる。戦時中に娘時代を送った人々の話からは、けっして暗く悲惨なばかりの青春時代でなく、当時は当時なりに日々を楽しんでいたことがわかる。教科書とかでは伝わらないことだと思う。また、家族やケアマネとかの話で急に施設を移ることになった紀子さんのエピソードは胸が痛い。昨年、子ども自身にかかわることは子ども自身に話して意思を確認すべきという「子どもアドボカシー」をかじったけれど、高齢者に対しても、「自分のことを自分で決める」ことが蔑ろにされている事象が多くあるのだろうと憂う気持ちになった。
こうした事象に対し、六車さんは無力感を綴っている。無力感に落ち着かせてしまうのはいかがなものかと思ったけど、どっぷり介護職でない六車さんだからこそ、こういう青いことを書けるのかもしれない。そんなこと言ってもしょうがないからと表に出さないと、それは結局残ることなく消えてしまう。青いけど大切なこと、隙のようなものを当たり前にせず表に出しておくことが、何とかよりよい次を導く糧になるかもしれないと思った。介護どっぷりでない視点で、書く能力をもつ人が介護現場に飛び込んで、疑問や違和感を伝えてくれるというのもこの本の価値の一つだと思う。
Posted by ブクログ
民俗学の研究者だった女性が、介護施設で働きながら、「聞き書き」のスキルを生かしてみたところ、施設運営やサービスが劇的に変化していく。
民俗学X介護という組み合わせがビックリな組み合わせだが、介護する対象が歴史の詰まった高齢者なのだから、ある意味情報の宝庫と日々接しているようなものだ。
風船爆弾工場の話や、満洲での生活など、大変興味深い生活史。
ただの機能低下した老人の世話、ではなくて、「あなたに興味がある」と真摯な眼差しを向ける介護者によって、おじいちゃん、おばあちゃんが劇的に変わり始める。盆踊りの振り付け指導したり、お料理の腕を奮ったり。
思い出の味の再現クッキング、リアル人生すごろく、いいね。
人生の最後にこんな風にヒューマンに扱ってくれる介護者に出会えたご老人たちは幸せだと思う。
「回復や機能向上を目指すだけじゃなく、ゆっくり下降する生活」
自分も愉快な仲間に囲まれ、楽しいイベントやりながら老いる、素敵な老人ライフ送りたいなぁ。
Posted by ブクログ
「介護の無意識」
イノカシラレイコさん(仮名、90代女性)は「華麗なる一族」だった。
2人の娘はアメリカへ留学し、一人は関東の某自治体の副知事を務め、もう一人は全国紙に記名記事を書くくらいの記者だ。
娘さんたちが面会に来てしばらくすると、レイコさんは決まって力なく「もう帰って」と云っていたものだった。
多分しんどかったのだろうなと思う。レイコさんは心臓が良くない。平常時の脈拍は40回/分程度で、少しの運動でも喘鳴が起こる。それでも娘さんたちは機能訓練をオプションで依頼し、立ち会っては実の母に対し「ほらレイちゃん頑張って!」と励ましていた。それが終わると自分たちが用意した脳トレプリントが待っている。
娘さんたちが持っていた価値観とは、六車さんが疑問を呈していた、「老いは対処すべき課題である」というものだったのだろうなと思う。自立支援という言葉が孕む矛盾が表われた一場面であると思った。「自分でできること」を強要される一方で、介護される対象として主体性はなきものとされる。
六車さんが提唱する聞き書きという民俗学の手法は、高齢者を介護を受ける対象から、歴史を教えてくれる人生の先輩へと立場を転倒させる。
理学療法士の三好春樹という人がいる。理学療法士ながら介護業界に積極的に発言をされている方だ。
やや乱暴に彼の考えをまとめると、主流であるエビデンスに基づいたプロによる治療に対し、シロウトによる生活に基づく介護を対置する。
前者は意識、後者は無意識を考えのベースにしているんじゃないかと思う。高齢者が過ごしてきた歴史の豊穣さもきっと無意識の領域に根ざしている。
日々業務に追われて聞き書きをする暇もあまりないが、六車さんのような風雲児ばかりが時代を変えるのは面白くない。介護の無意識を担う一人として何かできることはないかと考えた。
聞き書きもさることながら、持ち味を生かした「笑い」の活用とか。
Posted by ブクログ
認知症の当事者や治療(?)、ケアや社会的なサポートにあたる人たちによる本。どこかで見たようなコンセプトだけど、特徴的なのは当事者である丹野さんが編著として、藤田さんが著者としてかかわっているところだろうか。特に、藤田さんは長らく人権活動にかかわっていたそうで、こんなことを言っている(p.39)。
私は元々、人権活動に取り組んでいました。その経験がいまの活動に大きく影響していると感じています。子どものころは、とにかく人の後について、目立たないようにおとなしくしている子だったので、自分でもよく変われたなと思います。
おそらく、結婚して子どもが生まれ、自分が子どもたちを守る立場になったことがきっかけになったのだと思います。PTAや地域の活動を通してさまざまな人たちに出会い、自分がそれまで何気なく過ごしていた日常のなかに、さまざまな生きづらさを抱えた人たちがいることに気づかせてもらいました。「自分は直接的には差別をしない」という立場で、「よい人」として暮らしているという思いがあったのですが、「差別をする側に立つか、なくす側に立つか、あなたはどちら側に立って生きますか」と問われたときに、「差別をしない」という選択肢はないと気づかされ、衝撃を受けました。それから本格的に人権活動を始めました。
このように自分の生き方が変わっていったという経験があるので、認知症の問題についても、結局は「自分が動く」という選択をしたのだと思います。やはり自分自身が考えて行動していかなければ「差別をなくす側」に立ったことにはならないと思うからです。私がすべきことは何だろうと考えていくなかで、「認知症の本人として社会を変えるために発信していく」という結論に行き着いたのです。
藤田さんって認知症になる以前に、こんな生き方をしてきた人なのかと思ったし、非科学的かもしれないけど、なるべく人が認知症になっていま活動しているのだなあとも思った。
当事者のお二人の言葉や活動はなるほどと思わされるところがあるし、いわゆる教科書的な認知症の知識がいかに的外れなのかを感じさせる。これまでの蓄積からある程度の傾向はつかめるかもしれないけど、症状やそこからくる言動って一人ひとり違うし、けっこういろんなことがわかっていたり、思ったり考えたりしているのだろう。
丹野さんも「認知症の人に対して「認知症らしさを探していないか?」「認知症でもできることを探していないか?」と私たちに問うて」(はじめに)いるそうで、この言葉も至言。どうしても、当事者でない人たちは認知症の型にはめて安心しようというか楽に対応しようとしている部分があるのかも。決して怠惰や人権を無視してというわけではないのだけど。
著者たちが自分たちの未熟さや失敗経験をけっこう語ってくれているのも、わりと平たい目線で認知症の人とのかかわり方をあらためる糧になる。何となくだけど、この本の様々な立場の著者のうち、ケアや社会的サポートに当たっている人たちが、常に経験をもとに自問自答、試行錯誤しながら認知症の人たちと向き合っている感じがして、医師は自分がやっていることへの満足度が高そうな気がしてしまった。彼らの責任感や使命感の現れでもあろうけどパターナリズムを見るようでもある。
あと、当事者が著者に入っているのはよいと思うけど、丹野さんも藤田さんも若年性認知症の方なので、高齢の当事者もいるとよかった。ある意味、人生の半ばで認知症になった人と高齢で周りに同じような人がたくさんいる認知症の人とではおかれた状況が違う気がするから。それと、女性の著者が藤田さんと六車さんしかいないのもどうなんだろう。当事者は男女1人ずつだけど、その他の著者は直接的にケアや社会的サポートにあたっているのは女性のほうが多い(はずな)ことを考えるとバランス悪くもったいない。