「ベーシック英語を普及させることは、イギリスにとって広大な領土を併合するよりも遥かに永続的で実り多い利益になる」(ウインストン・チャーチル)。「何百万人もの人に英語の知識を与えることは、その人たちを奴隷にすることである。(中略)インドを奴隷化したのは我々英語を使うインド人だ」(マハトマ・ガンジー)。
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これらの言葉に象徴されるように、日本人を英米の奴隷化に向かわせているのが、日本人の英語に対する誤解と昨今の英語教育である。その背景には、英米による自国のイメージを良くし、経済戦略の一環として英語を普及させるため、陰に陽に様々な政策があった。日本は、まんまとその手に乗ってしまっているのだ。
確かに昨今の英語教育の早期化、会話重視の方向には、日本経済界の後押しがあるわけだが、その背景には、日本の大企業における外国人の持ち株比率の上昇があり、献金を通して日本の政治に影響を与えている結果でもある。
言語能力には、「会話言語能力」と「学習言語能力」があり、その両方の能力を以ってProficient Bilingualといえるが、日本人の多くの関心は、英語の「会話言語能力」に限られる。つまり、アメリカ人のようにスラスラと話せることに目標がある。「カッコいい」と思うからだ。英語はファッションのひとつなのである。「会話言語能力」を重視し、「学習言語能力」を軽視する教育は、英語による経済支配を目論む側(英米)からすると極めて好都合でもある。
「会話言語能力」を高めるために犠牲にする時間と労力を考えると、総合的な学習能力の低下に繋がるのは明白だ。昨今の英語(英会話)重視の一方にある理数系の軽視が日本の国力の低下に繋がると考える人は少なくないはずだ。英語が話せると一流市民になったような錯覚を多くの日本人は持つが、アジアの国の中で、英語を公用語のひとつとしている国の現状も認識しておく必要があるだろう。
著者がいう、昨今の会話重視の英語教育が日本人にとって害毒であることは認める。そのために、読み(書き)中心の英語教育に戻すことも賛成である。しかし、「世界の主要な地域言語」(アラビア語、ヒンディー・ウルドゥー語)や「日本に固有の言語」(アイヌ語、手話、琉球語など)を含めて、中学生から3つの言語を学ぶという提案には賛同し難い。全ての人が限られた時間の中で学ぶべきものとは思えない。今の誤解の多い英語学習が、他の重要な学習時間を犠牲にしているという著者の問題意識からすると、矛盾しているようにすら感じてしまう。むしろ、日本語能力や数学的な思考力を高める学習時間に振り向ける方が遥かに重要ではないだろうか。
また、全体的に政策者側の視点が中心となっているので、英語学習者側に対してどれほど訴えられるかという危惧も少しはある。
以上のような疑問はあるものの、現在の英語学習についての問題を、様々な根拠を示しながら提起しているので、英米の罠にはまった英会話ブームを冷静に見つめるには、有効だと思う。