作品一覧

  • 日本の憑きもの―社会人類学的考察―

    日本の憑きもの―社会人類学的考察―

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻1,320円 (税込)
    キツネ憑きやイヌガミ憑きは、はたして「迷信」なのか。村落の近代化とともに急速に失われつつも、いまなお姿を変えて存続する「憑きもの信仰」の背景に、社会統制の機能を見出した名著、待望の文庫化。解説=香川雅信
  • 魔性の文化誌

    魔性の文化誌

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻1,650円 (税込)
    聖にして穢、善にして悪、神にして魔! 人類普遍の「魔の構造」を明かす、文化人類学の到達点。 聖なるものはなぜ呪われたものでもあるのか。清純な白と無気味な白・左の神秘・双子の習俗、魔女・憑きもの・不思議な来訪者……日本・バリ・アフリカの民俗をたずね、文化/自然・男/女・昼/夜など、二元的カテゴリー間の均衡を攪乱する「どちらつかずの中間領域」に魔性の発生を見いだす。文化人類学の大家による画期の書! [目次] 序章 妖怪と両義性 ■第一部 自然の認識――原初的分類 第一章 清純な白と無気味な白 第二章 左の神秘 第三章 方位の意味 ■第二部 水・双子・音 第一章 さかさ水 第二章 双子の習俗 ■第三部 魔性の構造 第一章 魔女、死霊のイメージ 第二章 女性の魔力 第三章 不思議な動物 1 第四章 不思議な動物 2 第五章 不思議な動物 3 第六章 不思議な来訪者 注 あとがき みすずライブラリー版あとがき 解説 聖の迷宮 真島一郎 索引 (*本書の原本は1976年に研究社出版より刊行されました。学術文庫化に際しては、1998年刊行のみすず書房版を底本としています。)
  • 右手の優越 ──宗教的両極性の研究

    右手の優越 ──宗教的両極性の研究

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,023円 (税込)
    右手の名誉と特権に対して、左手は常に隷従の立場におかれている。この人類共通の謎に対するフランス社会学黄金期の著作。併録「死の宗教社会学」
  • 贈与論

    贈与論

    ビジネス・実用

    4.1
    1巻1,397円 (税込)
    ポトラッチやクラなど伝統社会にみられる慣習、また古代ローマ、古代ヒンドゥー、ゲルマンの法や宗教にかつて存在した慣行を精緻に考察し、贈与が単なる経済原則を超えた別種の原理を内在させていることを示した、贈与交換の先駆的研究。贈与交換のシステムが、法、道徳、宗教、経済、身体的・生理学的現象、象徴表現の諸領域に還元不可能な「全体的社会的事象」であるという画期的な概念は、レヴィ=ストロース、バタイユ等のちの多くの思想家に計り知れない影響とインスピレーションを与えた。不朽の名著、待望の新訳決定版。人類社会のアルケーヘ。

ユーザーレビュー

  • 日本の憑きもの―社会人類学的考察―

    Posted by ブクログ

    せっかく文庫版が出たので読み返したところ、やはりとても興味深い内容だった。もともとは1972年刊行の本だが、平易な文章で書かれており読みやすい。
    文庫化にあたり「妖怪を名づける: 鬼魅の名は」の香川雅信氏が解説を書いておられ、帯の通り現代の問題と関連づけて語られている。いつの世もなあー、という嘆息を誘われる。

    0
    2026年09月28日
  • 贈与論

    Posted by ブクログ

    贈与論
    人やモノを全て含んだ円環状の贈与体系をトロブリアントの民族からの実地調査をもとに検証している。また、贈与をするための霊的な感覚による根拠(ハウなど)を同時に示し、人類の経済の基層に贈与・交換があることを明らかにした。
    ハウとは、何か物を与えられたら、人に与えなければならない。そうしないと、落ち着かないという気持ちを霊的存在に見立てて解説したものである。モノをもらっても人にあげなければ、ハウという悪い神が持ち主をどんどん蝕んで最後には殺してしまうというのである。これは、ものではわかりにくいが情報ならどうだろう。噂話を聞いたら人に語りたくなってしまう気持ちは、ハウによるものではないかと思う。円環状の贈与形態について、トランプをしていて気づいたが、ババ抜きは円環状の贈与形態のアナロジーではないかと思う。人からカードを受け、人にカードを渡す。そして、負ける人間とは、人に渡せない唯一のカード(ジョーカー)を最後に持っていた人である。このジョーカーを、持ち主を最後には殺してしまうハウに見立てるのは不自然ではないはずだ。時々思うのであるが、カードゲームや占いなど、古くから非科学的でありながら人々に親しまれてきたものには、何かしら人間の根本原理ともいえる真理を抽象化した形で内包しているのではないかと思うのである。情けは人の為ならずという日本のことわざも、贈与論の円環状の贈与形態の話をしているのかなと思う。
    映画「ペイ・フォワード」は私の好きな映画の一つではあるが、これは典型的に贈与論的下敷きがあると私は思う。恩を受けたら、もらった恩をその人とは異なる3人の人に贈る、「恩送り」運動を少年が企画して、ロサンゼルスで一大ムーブメントを起こすというこの映画は、今や英語の教科書でも取り上げられている。
    様々な経験的な具体例を挙げてきたが、人間は常に贈与・交換をする動的なシステムにいるという点は、レヴィ・ストロースに繋がっていると実感できる。本自体について言えば普通だが、脚注が膨大なので内容は少しだからすぐ読めた。

    0
    2017年01月04日
  • 贈与論

    Posted by ブクログ

    [メモ(暫定)]一連の研究の問題意識は「未開あるいはアルカイックといわれる社会において、受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られたものに潜むどんな力が受け取った人にその返礼をさせるのか」であり、モースが分析の対象としたポトラッチやクラは以下の特徴をもっている。①交換し契約を交わす義務を相互に追うのは個人ではなく集団である、②彼らが交換するものは、専ら財産や富、動産や不動産といった経済的に役に立つものだけでなく、何よりもまず礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市といった社会の全領域にわたる資源であり (全体的給付)、経済的取引はその一部にすぎないということ、そしてこの給付に対する反対給付がなされなければ公私にわたる闘争が起きる。贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務の三つが働いている。
    ポリネシアやメラネシア、北西アメリカの民族誌、はたまた最古のローマ法や古代ヒンドゥー法、ゲルマン法から贈与=交換の行為やそれに関する精神が浮き彫りにされるが、①それらを社会構築の原理にまでまとめたところに『贈与論』のすごみの一部があるのではないかと。一見すると自由でありながら、しかし義務として守らなければならない贈与=交換は他集団との平和的連帯を作る有効すぎるほどの手段であり、それはまったく過去の理論ではない(むしろ普遍的なものだと言いたい)。モースが晩年傾倒していた労働組合運動などはまさに社会的な互酬性を志向するものであって、楽観的に捉えているようにも感じたが、たしかにそういう志向こそが互酬という友愛に満ちたすばらしき道徳への回帰につながるのであろう。②またマリノフスキーが『西太平洋の遠洋航海者』で行ったのと同様に『贈与論』は、経済学によってなされてきた、凝り固まった図式に歪められ矮小化されてきた未開人の経済生活に関する先入観を相対化した。(その先入観とは、“原始人ないしは野蛮人は、あらゆる行為を、私利私欲を求める合理的な考えに促されて行い、目的を直接的に、かつ最小の努力で達成する。人間、特に低い文化水準にある人間が開花した利己主義からくる経済的動機に純粋にしたがって行動する”というもの)

    『贈与論』から引用する。
    「オーストラリアや北アメリカ(東部と平原インディアン)のクランの生活を統御する、集団の内側の比較的不定型で無私無欲的な経済がある。他方に、セム族やギリシャ人によって見出されて以来、少なくともその一部分がわれわれの社会にも知られてきた、個人主義的で純粋に利益追求的な経済がある。これら二つの類型の間に、経済制度や経済事象の膨大な系列のすべてが段階的に並べられるといえる。この系列は、容易に理論が組み立てられてきた経済的な合理主義に支配されているのではない。」(p278)

    ※「経済社会学上および政治経済学上の結論」の部分は、個人的にはすぐれた労働論のように思われるし、また網野善彦『無煙・公界・楽』の市場という場の性質と商品の性質につながるものがあるように思える。

    ③「全体的社会事象」という研究対象の提案が功績の最後に挙げられる。これはデュルケム『規準』の「社会的諸事実を物のように考察すること」を洗練させ、深化させたものではないかと思っている。(それまでの社会学が、社会の諸要素をあまりにも断片的に分割しすぎ、あまりにも極端な抽象を行っていたことへの警鐘であると。)複雑な現象を、諸要素に分割することなく、動的な状態で全体を具体的に観察し記述することによって、その事象の「本質を、その全体の運動を、その生きた側面を、社会や人間が自分たち自身と他者に対する位置を情緒的に意識するその儚い瞬間を」、捉え、理解することができる。

    最後に
    「諸社会は、社会やその従属集団や成員が、どれだけ互いの関係を安定させ、与え、受け取り、お返しすることができたかに応じて発展した。交際するためには、まず槍から手を放さなければならない。そうして初めて、クランとクランのあいだだけでなく、部族と部族、民族と民族、そしてとりわけ個人と個人のあいだにおいてでも、財と人との交換に成功したのである。その後になってようやく、人々は互いに利益を生み出し、共に満足し、武器に頼らなくてもそれらを守ることができるようになった。こうして、クランや部族や民族は――だから、文明化されているといわれているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにできるようにならなければならない――虐殺し合うことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。これこそが彼らの知恵と連帯の永遠の秘密の一つである」(p290)

    ――――――――――――
    薄いがアツく偉大な作品だった(全く関係ないが、一番最後に「アーサー王物語」の円卓の騎士の話をもってくるあたりとても好き)。レヴィ=ストロースを勉強し直すための有意義な遠回りだったと思える。『贈与論』は明らかにレヴィ=ストロースに「交換」の示唆を与えたのはわかるが、ブルデューが感じとった「実践」や「戦略」の含みをどんなにがんばっても感じ取れなかったわたしは、まだまだ未熟でも読み込みも浅いのでしょう。それにしても誤植が多かった。。。

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    2012年11月07日
  • 贈与論

    Posted by ブクログ

    全人類に共通する慣習「贈与」。

    これは、単に与えるだけではなく、受け取った側が返礼の義務を負うという点に特徴がある。
    また、贈与に対する返礼といっても単なる物々交換ではなく、宗教的・法的・競争的・経済的・政治的な要素を多分に含んでおり、それらは全て集団的である。

    本書は、世界各所および、あらゆる時代における人類社会の贈与活動についての考察を通して、現代社会が陥っている個人主義偏重を批判している。

    本書で提案されているのは、貨幣経済に偏重しない、より集団社会的な人類の営みである。

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    2011年11月27日
  • 贈与論

    Posted by ブクログ

     特に一部の地域コミュニティでは、人間の活動は贈与で成り立っている。そこには、霊とのつながりから導き出される現所有者との
    過去所有者とのつながりがある。それが、恐らく地域コミュニティにおいての不和をなくさせてきたのかもしれない(もしかしたら、逆なのかもしれないが)。
    では、なぜ現代社会では不和がすぐ近い人間同士でも起こるのか?それは、現代社会がつながりを見えなくしているからかもしれない。
    人間、やはり視覚でとらえられないものに対しては非常に弱い(ラ・ポール効果の目隠しした人の誘導でも分かるが…)。それが人とのつながりを
    希薄にさせているのか…。考えさせられる逸品である。

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    2009年10月07日

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