作品一覧

  • 漢文入門

    漢文入門

    ビジネス・実用

    -
    1巻660円 (税込)
    著者の専門は言語学、中国文学だが、漢文教育に新生面を開いたことでも知られる。まだ学んでいない人、相当に学んできた人、専門に教えている人に、ひとしく読んでもらえるよう欲張ったと著者のいう通り、知的刺激を楽しめる。

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  • 物語 西遊記

    物語 西遊記

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    「水滸伝」「三国志演義」「金瓶梅」の四大奇書のひとつ。唐の僧玄奘、すなわち三蔵法師の紀行という史実をもとに創作された妖怪変化、奇想天外、千変万化の物語。軽妙洒脱な名訳で、孫悟空をはじめ脇役の活躍を活写。

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  • 物語 水滸伝

    物語 水滸伝

    小説・文芸

    -
    1巻660円 (税込)
    「水滸伝」を直訳すれば「水辺物語」。梁山泊という湖水を背景にくりひろげられた数々の事件を描いたことから名付けられたが、宋江ほか36人が次から次に同じ志で集まっていく過程が時代を超えて人々を惹きつける。

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  • 現代語訳 無門関 禅問答四十八章

    現代語訳 無門関 禅問答四十八章

    小説・文芸

    3.0
    1巻990円 (税込)
    『碧巖録』『従容録』と並び禅宗で尊重されてきた『無門関』。南宋の臨済宗僧・無門慧開が優れた公案48章を選び、それに評唱(批評)と頌(漢詩)をつけたものである。「犬に仏性があるか」をたずね、最難関の公案として名高い「趙州狗子」、「いま、自分がなすべきことに力を尽くしなさい」と説く「趙州洗鉢」、「善悪を考えず、あるがままに見なさい」と説く「不思善惡」など、至高の禅語録をわかりやすく口語訳。原文と訓読文付き。中村元の解説を加えた決定版。
  • 漢文の学び方

    漢文の学び方

    ビジネス・実用

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    1巻2,420円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 気取らず、ユニークで、役に立つ。これぞ魚返流漢文学習法! 魚返先生は、学習者として、そして教師として長年深く漢文に関わり、「漢文とは一体なんだろう?」と長年頭をひねってきた人です。 その先生が導き出した答えは、「漢文は符号語であり、一種の暗号言語である」というものであります。 では、この──現代中国人にすら読解が極めて難しい──暗号言語を、われわれ日本人はどのように学習していくべきでありましょうか。 それにはまず、漢文に対する誤解を取っ払い、暗号の法則(文法)をつかみ、そして幅をもたせて訓読していくことである、と魚返先生は語ります。 本書は気取らない文体で書かれた「学び方」の参考書でありますが、現代、そして未来の読者が漢文の本質に近づくとともに、あわせて日本語の姿をかえりみるよすがにもなると信じ、七〇年ぶりにこの名著を復刊するものであります。 ※本書は1953年至文堂刊行の原著に、例文の詳細な出典を追加するなどし、より読みやすく、より学びやすくした復刊書籍です。 ※本書は所謂「受験用漢文の参考書」とは異なります。

ユーザーレビュー

  • 現代語訳 無門関 禅問答四十八章

    Posted by ブクログ

    指導改善研修の一環で、禅について勉強をするのに、一番最初に購入した本。「禅」の思想について学びたいと思っていたのであるが、思いの外、本屋に行くと「禅」の入門書なるものは、自己啓発本の類が多くを占めていて、期待していた学術的な記述のされている入門書を、上手く見つけられなかった。そこで、思想の概説ではなく、直接、「禅」の思想に触れられる本を、と思い、公案の集められたこの本を手に取った。
    現代の不条理小説と呼ばれる小説は、よっぽど理屈が通っているように見えるほどの不条理。例えば、こんな感じである。

    松源和尚がいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また「説法は演説じゃないぞ」
    無門いわくーー松源は腹わたをむき出しだが、受けとり手がいないのだ。オイソレとひき受けても、無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
    歌にーー
     足でけかえす太平洋
     低く見くだす銀河系。
     この身一つの置きどころ、
     「あとの句をたのむ。」
    (p85)

    まず、松源和尚の言葉の一つ目と二つ目の間のつながりが、まったく分からない。それに対して、無門は、松源が「腹わたをむき出し」だと評するが、いったい、どうしてそのような判断になるのか。腹わたの「受けとり手がいない」とはどういうことか。なぜ、松源和尚は、無門に「ブンなぐられる」ことになるのか。そして最後である。「純金かニセか、火でためすのだ」。いったい、何を試すというのであろうか。
    とにかく、意味が分からないの一言に尽きる。そして、タイトルに「四十八章」とある通り、このような不条理な説話が、四十八話、続くことになる。公案というものは、悟りを開くための助けとして出されるものであるそうだが、こんなわけの分からない話を延々と聞かされていれば、悟りの一つや二つも開きたくなりそうである。

    序文によると、「無門関」にある「無門」とは、「決まった入り口がない」ことを意味している。一方で、第一章「趙州狗子」によれば、「関」というのは、禅の修行を通して、悟りを得るために、通らねばならぬ関所を意味しているという。つまり、この「無門関」という書名からして、一つの矛盾なのであって、悟りにおいて解かれるべき禅問答になっている。
    「趙州狗子」で、無門はこう書いている。

    ところで、その関所とは何かというに、ただこの「無」ということ、これがこの宗の関所だ。だからその名も「禅宗無門関」。
    (中略)
    三百六十の骨ぶし、八万四千の毛穴、全身をもって疑い、「無」の意味を知れ。よるひるひきしめて、「虚無」にも落ちいらず、「有無」にもかかわるな。焼けた鉄のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの悪分別をとろかし、だんだん練れてくると、しぜんに内もそとも一つになる。
    (p19〜20)

    入り口のない入り口。しかし、それは、「虚無」ではない。かと言って、それがあるのかないのかというように「有無」に関わってもいけない。
    では、どうすればいいのかと言えば、一つだけヒントが書かれている。それは、「しぜんに内もそとも一つになる」という言葉だ。
    「無」が、悟りに向かう「関所」であると言われると、悟りを開いていない状態から、悟りを開いた状態に向かって行く途中に、何かしらの課題のようなものがあるような印象を受ける。しかし、実際にそうではない。悟りの状態に前も後ろもなく、自分自身は、その最初から、仏たる存在だったことに気がついてこそ、悟りである。つまり、悟りに向かう入り口などというものは、はじめからなく、仏道を行く者は、すでにその修行のはじめからして、悟りの境地に足を踏み入れているのである。
    これが、「内もそとも一つになる」という認識の意味ではないか。関所の内側と外側は、すでに一つの仏道であるという意味において、一つなのである。

    禅の思想性をある程度分かった上で読むと、一見して意味不明な物語も、何かしらの寓話であるように読めてくる。他の人たちがどう読むのかを聞いてみたい。実際の禅の考え方からかけ離れることになると思うが、それぞれの解釈を共有しながら、みんなでわいわい読むのが、この本の正統な読み方なのではないか、という気がする。
    ちなみに、はっきり言って、この本は、あくまで禅問答を集めただけなので、この本を読んでも、禅についてはまったく分からない。もっと良心的な入門書があると思うので、引き続き探そうと思う。
    何か体系的に思想を学ぼうというのではなく、禅問答の空気を吸ってみたい人には、イチ押しだと思う。

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    2026年06月11日

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