金達寿という小説家の名前は知っていたが、読んだのは初めてだった。
解説によると、朝鮮の慶尚南道で彼が生まれたのは1920年。朝鮮併合から10年、3.1独立運動から1年後である。先に日本に渡った両親と兄弟の仕送りによって、祖母とともに暮らしていたが、父と兄は日本で死亡。10歳で自身も日本に呼び寄せられ、さまざまな職を転々としながら朝鮮人文学の基礎を築いた。権力に押さえつけられ暴力で痛めつけられながらしたたかに抵抗する民衆を描く筆にはユーモアがあるが、それよりも悲しく深く傷つけられたのは、同じように貧しく差別される者たちの間にあってなお在日朝鮮人として差別され排除される経験だったのだろう。
本書収録の「祖母の思い出」は渡日する直前の思い出。家族すべてが日本にもぎとられ、ひとり取り残されて駅のホームで崩れ落ちる祖母(ハルメ)の姿は目に焼き付けらていても二度と会うことはかなわなかった。
「濁酒の乾杯」の背景は戦争末期の日本。主人公は新聞記者としてただ成績を上げることだけを追い求めている権力者たちを喜ばせてやりながら、自らと朝鮮部落の生き残りをはかろうとしている。「統制の下からこぼれるものをあやふやな才覚でつぎ合わして生きている朝鮮人」たちのことは、このように描かれている。
「それは寄生群であった。苛烈な戦争を遂行する日本はその自らの意志によって、またこのぜったいに引き離すことのできない、ダニのようにくっついた寄生群をその横腹にしたがえていなければならなかった。「寄生群」にとってはくっつくこと自体がたたかいであった。」
そこに現れた朝鮮語を話す特高に、主人公と朝鮮部落は大きく動揺する。自分たちの言葉に通じた取締者の存在は「まったく生きていかれない」ことを意味するからだ。だが彼らは、この内通者を朝鮮人部落に連れ込み、密造の濁酒をふるまうことで、彼もまた同様に抜き差しならない立場に置かれていることを思い知らせるのである。
「朴達の裁判」は軍事政権下韓国に題材をとったもので、民衆は日本から解放されたはずがそのまま米の支配下に引き継がれている。子どもの頃から農奴としての生以外を知らなかった主人公の朴達は、警察による拘留と激しい暴力をむしろ糧としながら何度も立ち上がる朝鮮民衆の象徴であり、そのわけのわからなさは権力者を苛立たせ、震えさせ、卒倒させる。この小説は芥川賞候補となったというが、在日朝鮮人としての経験を直接に反映しないからこその寓話めいた民衆の明るさ強さを日本文壇が評価したがったということでもあったのだろうか…
「富士のみえる村で」は文学活動の仲間である被差別部落出身者に、彼の故郷に案内されるという話。著者はこの旅行の間、同じ被差別者同士としてなんとなく連帯感を持っていたこの男が、妻や義母、原家族との間でいかに屈折した劣等感と優越感を抱えているかを観察するポジションをとっているのだが、最後の最後に、在日朝鮮人である自分の存在自体が、非差別民としてのこの男の社会的位置取りにおいてある意味をもって配置される事実を突きつけられるのである。
「位置」は同じ主題をよりダイレクトに表現している。学生である書き手は、同じようにカネのない文学志望者の学生と共同生活を始めることになるが、彼は実際には大学生でないことに劣等感を抱き隠している一方で、ときおりぞんざいな態度をとり部屋の中でも「位置」を譲らない。ふたりの間の摩擦が隠し切れなくなったときに彼の口から出たのは、かわいそうだと思ってつきあってやっていたのに自分までが朝鮮人だと思われているという不満だった。
日韓条約前の75年に書かれた「対馬まで」は、山頂から朝鮮半島を一目見るために二度にわたって対馬行きを試みたことのエッセイ。この対馬の地は、かつて日韓協約に合意した政府を激しく糾弾し後には抵抗軍を率いて捕えられた李王朝の官僚、崔益鉉(チェ・イクヒョン)が流され、獄中で餓死を選んだ場所でもあった。今、植民地支配から解放されたはずであるにもかかわらず、玄界灘を渡って故郷を一目見ることもかなわない。「ボヨッター!ボインダー!(見えた!見える!)」という叫びに胸が詰まる。
在日一世の経験と思いがどういうものであったのか、小説というかたちで触れることの意味は大きい。せっかく講談社文芸文庫に入っているのに絶版になってるのはたいへん残念。ぜひ復刊してほしい。