ナチズムを、ヒトラーやその側近たちの政策やホロコーストに焦点を置いて見るのではなく、日常生活の人がナチズムをどう捉えたのか、市井の人々の声を拾いながら、「むしろごく平凡で、普通の人びとが、おおくのばあいナチズムとは距離をおきながらも、ナチスの政策を支持したり、ナチ体制に統合されていった」(p.369)過程を、田舎の農村(親ナチ的)と、炭鉱町(反ナチ的)の2つを取り上げて対照しながら、研究したもの。それぞれナチスが支配する前夜から、第二次世界大戦の終わりまで、人々が何を考え、村や町がどう変わっていったのか、「普通の人びとの暴力性」(p.351)の問題に関する供述がたくさん載っている。
まずはケルレ村という村社会の様子から。「外からみると、農村は、さまざまな協力関係で結ばれた理想的な共同体のようにみえる。しかし、一歩内部に踏みこむと、ねたみや対立、反目などがなかったわけではない。むしろ、そうしたものに満ちていたといえる。だからこそ、そうした紛争は、日常生活のなかのやりとりのなかで、村人各人が、それぞれの役割の意味を解釈しながら、参加し、演じることをつうじて、再交渉されていったのである。」(p.22)という、これはどこの国の村社会でもいかにもありそうなことだな、という感じがして、昔のドイツのどこかの村の話、っていう感じでもないなあ、と思った。そしてナチスが入ってくると、「ひとりの人物が、反ナチ的であると同時に親ナチ的であった」状況(p.107)が語られ、なぜこのようなことになっているのか、ということが分析されている。単純にナチズムへの賛同や反抗ではない、という別の論理があることが明らかになる。同じように、「反ユダヤ主義を、人びとが個人的な敵対関係を解決するために利用した例や、反ユダヤ主義をとなえながら、じつは別のことをねらっていたという事例」(p.264)も紹介される。
一方、ナチスが政権をとるまでは共産党の牙城だったという工業都市、ホーホラルマルクという町では、当初「炭住街での日常生活が、記憶のなかで中心的位置をしめている」(pp.63-4)「古き良き時代」が、「合理化で種をまかれた競争と個人主義が、この世界恐慌期にいっせいに表面化し」(p.65)、ナチズムが政権を取ると、「人びとは、面従腹背をしいられ、内と外にひきさかれてゆく。同時に、他人は他人、自分は自分というように、人びとの結びつきが切断され、バラバラになり、アトム化する傾向」(p.129)が出てくる、という状況となった。外国人労働者に対しての末端の坑夫による暴力、という問題があったが、これは構造的なもので、「ドイツ人鉱夫が炭鉱で係員から味わされる屈辱をうめあわせ、自分たちの社会的地位の向上を確認するためにふるう暴力であった可能性」(p.355)についても興味深く、特にナチスに扇動されて、という訳でもない、というところがポイントだと思う。
ナチスが現れて、まずどんな社会層に支持されたのか、ということについては、「中間層説」と、「国民政党説」の2つがある(p.72)らしい。そして、政権を取った後も生活の状況は好転しないのにもかかわらず、ナチスが支持を得られたのは、「ヒトラーは、党利党略を超越した存在、国民全体のことを考える存在として、演出され、また民衆にそうイメージされた」(p.142)という「神話が機能しはじめていた」(同)らしい。そして、非政治的なアプローチで支持を拡大していった手法の一つに「歓喜力行団」というのがあるらしく、『ドイツ通信』によれば、「『ファシストの大衆支配の特徴は、人びとをバラバラな個に分析するアトム化と、それとは逆の強制的な組織化、大衆化にある。』その目的は、『人びとが自発的に結びつかないようにすること、ほんとうの結びつきがうまれないようにする』ため」(p.181)、つまり「ナチズムの恐ろしさは、人びとの社会的結合の根本に食いこみ、それを解体してゆく点にあるとみているわけである。歓喜力行団は、余暇という領域でそれをおこなう組織ということになる。」(pp.181-2)というのが分かりやすかった。また、「ナチズムは、青少年をとくに重視した政治体制」(p.194)で、「ヒトラー・ユーゲントは、もう子どもでもなければ、まだ大人でもないといった不安定な存在に、あるまとまった形と意味をあたえるもの」(同)で、その結果として、「ナチズムにひかれる子どもと、それを危惧する親との対立、家庭内のもめごととしてまずあらわれてきた」(同)というのもリアルだった。つながりを分断し、子どもを取り込む、しかも制服とかアイコン的なものも利用して、という感じが、すべて計算されたものだとすれば、本当に絵に描いたようなディストピアの形成過程だなと思った。
また、供述がどのくらい信ぴょう性を持つのかを分析し、住民はなぜ嘘をつくのか、あるいは記憶がどう改ざんされているのかという考察が面白かった。例えば「ナチスは外からやってきた」と主張するケルレ村の人物がいるが、「ナチズムの過去から村を免責する弁明論」(p.82)であり、「内と外をつかいわけ、悪いことはよそからくるという、ケルレ村の社会的論理そのもの」(同)という指摘は興味深い。同じように、上で述べた鉱夫の暴力問題についても、「自分は仕返しの対象ではなかった、自分は外国人に悪いことはしていないということを言外に示す必要があった。いってみればアリバイの役目があるのだろう。ところが報復のエピソードは、ドイツ人が仕返しを気にしていたこと、つまり捕虜や外国人労働者の虐待に十分気づいていたということも、物語ってしまうことになる」(p.356)というのも、納得だった。
さらに、ナチスが最初から反共産党や反ユダヤ人を高らかに掲げていたのではなかった、という事実も興味深かった。「ナチスの宣伝が主要な攻撃対象としていたのは、これまでは共産党とユダヤ人であると考えられてきたが、そうではなく、社会民主党とされる。(略)驚くべきことに、一九三〇年から三三年のナチ党のプラカード宣伝では、共産党とユダヤ人はほんの脇役しかはたしていない。(略)反ユダヤ主義は、票を獲得するためにではなく、党内をまとめるために、統合のイデオロギーとして用いられていた、というのが最近の研究」(p.87)だそうだ。別な言い方をすれば、「反ユダヤ主義をふくめたナチスの人種主義は、たんに民族の外にたいしてだけでなく、民族の内部にも発動されるもの」(p.239)で、「ナチスの人種主義が、従来の権威や秩序そのものを、ゆるがすダイナミズムをもっていた」(同)とも言えると思う。
この本は95年に出たものを24年に文庫化したもの、ということらしいが、著者が24年のあとがきで書いている通り、「ナチスの時代は、外国人労働者や、ユダヤ人、移民や難民とどうむきあっていたのか。そうした観点からも、読むことができる」(p.378)というのは、この歴史を他人事ではない観点から見つめるという意味でも、その通りだと思った。でも一番印象に残っているのは、著者が、「今回、文庫化するために、あらためてはじめから読みなおしてみました。執筆からもう三〇年ちかくたっているのに、ケルレ村やホーホラルマルクの登場人物は、当時のままで、若者や女性たちは、若いままでした。とても懐かしくなりました。」(p.371)という部分は、本当にその通りだろうなと思い、確かに今読んでも、それらの人物の体験が目に浮かんでくる感じがして、本の古さは全く感じない、新鮮な感じだった。(24/09)