末延芳晴の作品一覧
「末延芳晴」の「慶應義塾文学科教授 永井荷風」「原節子、号泣す」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「末延芳晴」の「慶應義塾文学科教授 永井荷風」「原節子、号泣す」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
作者は音楽や芸術を経て文芸を評論する人で、映画評論専門ではない。
映画評論家の本流に横槍を入れる類いの本、っぽい。
だって、「娘は父親との性的結合を望んでいたか」という明け透けな章を立てるくらいだし。
が、シロートの横槍とは全然感じず、確かになーと首肯した。
あの壺と、あの顔を見せられたら(「晩春」)、考え込みたくなるのは仕方ないわけだが、作者の主張をざっくりいうと、小津はむしろ深読みにストップをかけるために、壺を映した。
というのも、もともと脚本に号泣とか書かなかったのに、原節子が号泣したから、演出プランを変えざるを得なかった、非ナマモノの壺を映して、老いた笠智衆と重ねたのだ、という読み解き。
確かに確かに。
ちょうど本書を読む少し前に「父ありき」を見て、笠智衆の顔は時間そのものだとユリイカしたところだったので、頷いた。
とはいえ本書に先行する佐藤忠男、高橋治、蓮實重彦、吉田喜重らの読みが誤っているかといえばそんなことなく、本流評論に棹差す傍流があって然るべきと思ったくらい。
本流未読だし。
本書、前半で溜めて、後半で分析して、という構成や、矢鱈と「ワイルド」と言いたがる作者の癖や、「●●的」を多様する癖もまた、面白い。
蓮實とは逆ベクトルで理屈っぽい文体だな、と。
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涙が表す「幸福の限界」とは!?
小津映画、世界的普遍性の謎を読み解く。
代表作『東京物語』が、英国映画協会発行の映画雑誌「Sight & Sound」による二〇一三年アンケートで世界の映画監督が選出したナンバー1映画になるなど、小津安二郎は今なお注目を集めている映画監督である。その小津作品の中でも頂点と評されるのが紀子三部作、『晩春』『麦秋』『東京物語』だ。各作品のフィナーレに近い場面で、ヒロインを演じた女優原節子は全身を震わせて泣き崩れる。
小津が、不滅の名を残し得たのは、この三本の映画のフィナーレで原に号泣させたからだといっても過言ではない。「泣く」という行為を切り口に、幸福の限界、幸福の共同体の喪失、という小津映画の主題と思想的本質に迫る画期的評論。
目次
はじめに
第一章 ほとんどの小津映画で女優たちは泣いた
第二章 小津映画固有の構造と主題
第三章 思想としての小津映画
第四章 原節子は映画のなかでいかに泣いたか
第五章 原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い
第六章 『晩春』[ I ]――原節子、初めての号泣
第七章 『晩春』[ II ]――娘は父親との性的結合を望んでいたか
第八章 『麦秋』――失われた幸福なる家族共同体
第九章 『東京物語』――失われた自然的時間共同体
第十章 喪服を着て涙も見せずスクリーンから消えていった原節子
おわりに
関連年表
[著者情報]
末延芳晴(すえのぶ よしはる)
一九四二年東京都生まれ。文芸評論家。東京大学文学部中国文学科卒業。同大学院修士課程中退。一九七三年欧州を経て渡米。九八年まで米国で現代音楽、美術等の批評活動を行い、帰国後文芸評論に領域を広げる。『正岡子規、従軍す』(平凡社)で第二四回和辻哲郎文化賞受賞。『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)他著作多数。
Posted by ブクログ
モダニストとしての永井荷風から晩年の江戸下町文化を愛する反モダニストとしての永井荷風の生まれ育ちにも焦点を当て、また荷風門下と言える慶應義塾関係の文学者を要領よく紹介してくれる興味深い評論です。ただ、この著者の末延さんという方は針小棒大というか、僅かな言葉やささやかな事実から、妄想を逞しくして無理矢理自分の望む方向に勝手に人々の心を忖度してそれで自己満足しているところがあります。第一、多くの女性を書き、そして女性と交わることが多いとしても稀代の好色文学者、という荷風に対するレッテルにも、違和感があります。またロシア女性を口説いて振られたときに、日露戦争時だったために、ちょっと「国家と個人とはどうしても一致せぬものです」と荷風が書いたからと言って、そこから末延さんは男と女の性的対関係性において国家と個人は矛盾・対立し、、、(中略)、、明治の絶対主義的国家体制下にあってきわめて危険で反逆性をはらんだ思想と言わざるを得ないのであって、荷風はそのような国家と個人の両立し得ない関係性を「性」において見抜いた、など、何をこの人は言っているのだろうと思わず吹き出してしまったほどです。さらに末延さんは何か勘違いをされているのか思い込みがあるのか、荷風の門下生と言える佐藤春夫や堀口大学が、大東亜戦時中に反戦的でなかっただけでなく愛国的翼賛詩歌を詠ったことが、極悪のようにおっしゃっています。そしてそのことを持って荷風と彼らでは文学者としての精神、志の高さと強さが根本的に違うとまで言い切ることに驚きを感じぜずにはいられません。その上堀口大学が戦争詩を書いたのは立場上仕方なくやむを得なかったとまで勝手に忖度するのです。アメリカだってフランスだって中国だってどこの国であれ、自分の国が外国と戦っていれば心ある国を愛する詩人や文学者は間違いなく愛国的詩を書いているのです。自然なことです。それを日本人がやると悪いことにでもなるのでしょうか。さらに付け加えると堀口大学が戦後25年近くも経ってから書いた「新春 人間に」と言う詩を戦争詩を書いた反省から心を入れ替えて書いた詩だと言って絶賛しています。自分の思想に都合の良い解釈としか思われません。そういう思想性を持った色眼鏡で評論されているのが非常に残念な本です。文学者はそれほど偉いものではないでしょう。荷風も末延さんのおっしゃる反国家、性による国家の解体とかそのような強化な思想を持っていたわけではないでしょう。ただそれが好きか嫌いか、そういう事ではないでしょうか。まあそれでは本として成り立たなくなるのかも知れませんが。