本小説は、村田新八という維新前後のキャラクターの中では比較的地味な人物を主人公に話が進みます。
では、何故、作者・赤瀬川さんは彼を選んだのか?
その理由として、あとがきでは本書の執筆動機として・・・
・村田新八が外遊から帰ってきた際のシチュエーション(西郷、大久保が袂を分かった直後である)への興味
・勝海舟をして「大久保につぐ傑物」と言わしめた村田が情誼だけで西郷に殉じたわけではない⇒どういった考えで行動したかへの興味
・史料が少ない主人公について書く方が小説への意欲が湧く
上記3点を挙げています。
また、こうした動機を踏まえ、執筆する上で、話の視点を村田に限定する(つまり、ストーリーは村田の目を通して進行していく)という制約がなされています。
物語は、明治7年、欧米歴訪から帰った村田が横浜港に着くところから始まり、自分がいない間に、西郷隆盛が参議を辞めて鹿児島に帰ったことを知り、その原因を西郷従道(隆盛の弟)や大久保利通等に求めるものの分からず、西郷本人に真意を確かめるため、そして、西郷と大久保の仲を修復するために自らも鹿児島へ・・・という具合で進みます。
村田の視点で進むとは言うものの、そうした過程で彼が考えているのは、やはり西郷の真意は何なのか?何が二人を引き離してしまったのか?ということであり、そういう意味では西郷も主役と言えます。
村田が持った上記疑問への回答は実際に作品を読んでもらうとして、私が本書から受けた村田や西郷への評価は下記のようなもの。
結論から言うと、新八は、洋行で得た「自主独立の精神」や芸術面への造詣、その他諸々を後輩達に伝えきることなく、西郷に従い死んでしまったわけですから、日本にとっては期待外れに終わってしまっていると言わざるを得ません(少なくとも、本小説を読む限りでは)
大久保は政府の中で、村田が活躍することを期待していたわけだし、西郷も「新八どんは政府に必要なお人だから、戻られた方がよか」といったニュアンスのセリフを言っています。
しかし彼は、西郷と大久保の関係修復も、私学校にて「自主独立」の啓蒙をすることも、出来なかった。
こういう面から、村田は、個人としての理解力や才能は秀でているにせよ、大勢の人間のトップに立つ指導者としての資質には限界がある人物だと感じました。
一方の西郷は、「政府の要人と会うだけでなく、大院君にも拝謁し、世界とアジア情勢について虚心坦懐に話し、鎖国を止めさせる。そうした話し合いを持たずに、士族連中の内治への不満のはけ口として征韓を行うべきでない」という考えを持っていたにも拘らず、征韓論の親玉に祭り上げられてしまうような言動をしてしまうあたり、軽率。また政治家としてはあまりにも純粋過ぎたのであろう・・と。
政治の表舞台(東京)から自ら西郷が消えたことは、旧長州系にとっては政治主導権を握る上で格好の機会になったわけだし、鹿児島に戻ってから悠々自適の生活に慣れ、世間から忘れられたいと望み、またそれが可能かも・・と考えてしまう辺りにも、甘さが感じられます。
ただ、何と言っても圧倒的な人間的魅力がある。
村田も、なんだかんだ言いながらも、西郷という人物を諦めきれず、結局は、殉じる格好になった。
そんな西郷や、藩という意識から抜け出しきれなかった薩摩の人々、そうした考えとは距離を持ち、自主独立を標榜しながらも、やはり薩摩の人間であった村田の心情が良く描かれている作品だと思います。
不満点は、村田が薩摩に帰って以降は、大久保の西郷に対する考えがあまり書かれていないこと。
村田の視点に立つとはいえ、やはり、西郷-大久保という図式がある以上、(政府ではなく)大久保自身の西郷への考えの変化ももう少し読んでみたかった。