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町田宗鳳(まちだ そうほう)
広島大学名誉教授、「ありがとう寺」住職 1950年京都市生まれ。 14 歳のおり、家出をして仏門に入る。以来 20 年間、京都の臨済宗大徳寺で修行。 34 歳のとき寺を離れ、渡米。のちハーバード大学で神学修士号およびペンシルベニア大学で哲学博士号を得る。プリンストン大学助教授、シンガポール国立大学准教授、東京外国語大学教授、広島大学大学院総合科学研究科教授を経て、現在は広島大学名誉教授、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授、都留文科大学特任教授、天台宗僧侶。研究分野は比較宗教学、比較文明論、生命倫理学。『人類は「宗教」に勝てるか』など日本語や英語の著書多数。年間を通じて「ありがとう禅」「ありがとう断食セミナー」「心のケア合宿」などを主宰。
山岳信仰と日本人の心の文化を書き著した名著「山の霊力」(講談社選書メチエ)を加筆・修正、新章(山への祈り)を追加、写真を全て刷新するなど大幅に改訂。
山の風景は美しい。アルプスやヒマラヤのように純白の雪をかぶって、神々しく天を突く山の姿は、おのずと人間に崇高な感情を抱かしめる。神に出会ったときの敬虔感情も、かくなるやと思わしめるものがある。
兎追いしかの山、 小鮒釣りしかの川、 夢は今もめぐりて、 忘れがたき故郷。 如何にいます、父母、 恙 なしや、友がき、 雨に風につけても、 思いいずる故郷。 こころざしをはたして、 いつの日にか帰らん、 山はあおき故郷、 水は清き故郷。(高野辰之作詞・岡野貞一作曲「故郷」) 今や、この文部省唱歌をいつでも歌えるというのは、中高年層にかぎられるようになったのだろうか。
それにしても日本人は実際の出身地とは無関係に、山と故郷のイメージを重ねあわせ、自分の深層心理に不思議な精神空間を構築し、そこにえも言われぬノスタルジアを覚えてきたのである。
そのように、どこか日本人には子が母を求めるように、山を懐かしむ心情がそなわっているようだ。そのように山に親しむ感情は、やはり民族的なものらしく、現代人だけではなく、万葉人にも共有されていたことがうかがえる。
ヨーロッパで山は魔女や怪物の棲み家ではなく、美しい自然環境であると山岳観が変わり、人々が率先して登山を試みるようになったのは、ようやく一九世紀になってからである。 このようにアルピニズムの先進国である欧米社会と比べても、日本人の山に抱いてきた親近感には歴史的な蓄積があるといえるが、そのような現象は、単に生活習慣的なものというよりは、日本人の体内の奥深くに埋め込まれた「根源的記憶」といったものに関係しているように思える。なぜ、そのように考えるのか、その理由をこれから次第に明らかにしていきたい。
東西の山岳観においては、ずいぶんへだたりがあるようであるが、原始社会においては、洋の東西にかかわらず、山は貴重な食糧庫であった。なぜなら山には人間がサバイバルしていくうえで必要とするものが、すべて備わっていたわけだから、砂漠やサバンナに暮らしていた民族は別として、人間の山に対する依存度は相当高かったにちがいない。
おまけに山は動く。雨の中では遠く霞んで見えた山も、雨上がりには手が届くほど近くに寄ってくる。いつの間に動いたのであろうか、恐ろしく速足である。イエスは 芥子 だね一粒ほどの信仰があれば、山をも動かすことができると言ったが、イエスの号令を待たずとも、山は悠久の昔から地上を勝手に走り回っていたのである。
〈原初の生命体〉である山は、まず産む力をかぎりなくもっていた。それは途方もない性欲をもち、立て続けに 孕み、そして次々と子を産み落としても疲れを知らない強じんな母体のようでもあった。そういう意味では、山のたおやかな膨らみは、妊婦の膨らみでもあった。
おまけに山が産み落とす新しい生命は、人間がサバイバルしていくために何ひとつ欠かすことのできないものであった。それは山の分身としての動物たちだけではない。現代でも春の訪れとともに、人々はこぞって山菜摘みに出かけるが、ましてや畑を耕して野菜を栽培する生活が定着する以前の人たちにとっては、山は文字どおり無尽蔵の食糧庫であった。
いや山菜以上にもっと大切な食糧を、山は産みだしてくれる。それは、秋になると必ず大地に落ちてくる木の実であった。ドングリ、シイの実、それに栗などは、カロリーが高いだけでなく、乾燥させたり、粉にしてしまえば、いくらでも保存がきく。とくに深い雪に覆われた厳しい冬を越さなくてはならない人々にとっては、木の実の存在は天の恵みそのものであっただろう。
焼畑は今でもインドネシアやフィリピンの住民たちが広範囲にわたって実践している農法であり、それが近隣諸国に深刻な煙害を引き起こすことになっても一向に中止される気配がないのは、農地をもたない貧しい住民にとっては、かけがえのない生産手段だからである。シンガポールやクアラルンプールの上空にさしかかると、飛行機の窓から白くどんよりした霞が見えることがあるが、それはインドネシアの島々から流れ込んだ焼畑の煙と思ってもらってよい。
山は食糧庫としての役割を果たすだけではなかった。なにしろ山には無限の森林資源があるのである。山から切りだした木材は、家を建てるにせよ、舟を造るにせよ、絶対に必要な貴重な資材だった。さらに加工された木材は宗教儀礼で大事な役割を果たす楽器にもなったし、剥がれた皮が衣料になることもあった。アイヌも、オヒョウやハルニレの樹皮を剥ぎ、それを温泉に浸けてから繊維をとり、アトゥシという見事な着物を作る。
おそらく古代人は、森林を山という大きな動物の毛皮のように受け取っていたのではないか。羊の毛のように刈り取っても刈り取っても、生えでてくる森林。こんな素晴らしい贈り物を与えてくれる山の産みの力に、人々はおのずと敬服せざるを得なかったであろう。古代の人々にとって、山は限りなき産みの力をそなえもつ素晴らしい動物だったのである。現代人は週末になると郊外にある大型スーパーマーケットに出かけて、食料品から家具まで一括購入できる、その便利さを重宝がるが、古代人にとっては、山がその役割を果たしたと考えてよい。山は、人間が必要とするありとあらゆるモノを産み続ける〈原初の生命体〉にほかならなかった。
しかし、いながらにして世界の霊山の神秘に触れさせてくれる白川の作品に、最大の敬意を表した上で発言するのだが、飛行機に乗り、神の 磐座 を眺め下ろすというのは、山岳信仰の観点からは、一種の冒瀆的行為のような気がしてならない。
それとは対照的に詩人宮沢賢治が、山の 頂 に小さな太陽が浮かんだ「日輪と山」という不思議な水彩画を残している。山の端 に太陽が昇り、そして沈むのを麓から眺めた、あの構図こそ古代日本人が山に抱いてきた宗教感情を如実に表現しているような気がする。太陽は山の懐から現れ、山の懐に隠れてゆく。山と太陽は同じ〈いのち〉を分かち合っているのだ。 種山 ヶ原や岩手山は賢治の〈物質的想像力〉の供給源となっていたと思われるが、彼の四次元的世界では山と太陽が親子のように結ばれていたのだろう。
ここで大切なことに気づかねばならない。それは古代社会に生きる人々が、現代人のわれわれと根本的に異なっていたのは、天動説を信じて疑わなかったことである。地球が丸いという知識を持たなかった人々の眼に映っていたのは、山の向こう側に浮き沈みする太陽ではなく、山そのものから生まれ出で、ふたたびそこに回帰していく太陽であった。つまり彼らにとって、山は人間生活に役立つモノを産み落とすだけでなく、真っ赤な炎の玉を吐きだし、呑み込むことのできる不思議な動物だったのである。
山は人間の母でもある。モノも太陽も飽くことなく産み続ける〈原初の生命体〉が、人間の命をもこの地上に産み落とさなかったはずはない。古代日本人が信じた創造主は、天にいます父なる神でなく、地にいます母なる山だったのである。その証拠に、日本の民俗信仰における山の神と 産 の 神 は、同義語といってもよいほどの近さに置かれている。
妊婦が寄りかかる 藁 の枕は、山の神が座る場所でもあったし、出産直後に炊きだされる産立て飯は、山の神の労をねぎらうためであった。食い初め式で、赤子の祝い膳に必ず添えられる小石は、山の神の 依り 代 であると同時に、赤子の頭が石のように固くなってほしいという祈りが込められていた。幼児の死亡率がきわめて高かった時代に生きた里人にとって、山の神は出産から育児まで母子を見守ってくれる心強い味方だったわけである。
またクマが山の神と信じられていた地方では、クマの内臓の一部を乾燥させて、妊婦の腹帯の中に含ませたりした。そうすることによって、山の神が安産をもたらしてくれるという信仰があったからである。
ところで、母なる山は限りなき産みの力をもつが、それと同時に、命を容赦なく奪い取る悪魔的な側面も備えている。このことは登山に親しむ者なら、すぐに理解できるだろう。神々しくも美しい山の魅力に取り憑かれて、人々は今日も山に入っていく。山の魔性に狂おしく魅せられずして、山を愛するということは、あり得ない。登山家は、いくつになっても恋愛感情を涸らすことのない、永遠の青年なのだ。
あれだけ惜しみなくモノを与え続けてくれた山が、その一方では、人間の存在を容赦なく破壊しつくす。山の魔性は圧倒的な破壊力となって人間の前に立ちはだかり、それゆえにこそ人々は山に対して冒しがたい威厳を感じ、畏怖の念を抱くようになったのである。別な言い方をすれば、人々が山の恐ろしさというものを身に沁みて感じ続けているかぎり、つねに山は崇高なものとして仰がれることができたのである。
また、たとえどんなに穏やかな姿をしている山であっても、もしそこに日没後、ただ一人残されるようなことがあれば、人はとたんに、山がそれまで決して見せることのなかった不気味な魔性に包まれて、思わず震え上がるであろう。
漆黒の闇の中、どこから来るともわからない不気味な物音に起こされると、動物の眼か、はたまた妖怪の眼か、ギラギラと鈍く光って、こちらを睨んでいる。いかに腹のすわった人間でも、思わず鳥肌のたつ思いをするのが、夜の山である。私はむしろ、そのような山が秘める得体のしれない不気味さにこそ、山の本質があるのではないかと考えている。
神学者ルドルフ・オットーは『聖なるもの』という本の中で、人がヌミノーゼ(聖なるもの)に抱く感情には、圧倒的な神に対して、思わず身震いをともなう畏怖(tremendum)と、うっとりと引きつけられるような魅惑(fascinans)の相異なる要素が混在していると指摘した。 このようなアンビバレントな感情は、まさに人間が産みの力と破壊の力の双方を備えている山に対して抱くものと同質であり、日本という風土の中で最初に芽生えた宗教感情が、山と切っても切れない関係にあったことが、ここでも納得されてくるのである。
ところで、吉野裕子が『蛇』の中で、専門家から聞いた蛇の生態を詳しく報告しているが、元気のいい蛇は、うずたかくトグロを巻くそうである。たしかにトグロというのは防衛にも攻撃にも最適の蛇の基本的姿勢といってよさそうであるから、生命力のある蛇が、しっかりとしたトグロを巻くというのは、なんとなくわかるような気がする 11。
そして狩りや採集を通じて蛇の百態を熟知していたであろう古代の人々が、円錐形の姿のよい山を、トグロを巻いたオロチに結びつけたとしても、少しも不思議ではない。日本にはコニーデ型、あるいは 神奈備 型とも呼ばれる山が、大は富士山から、小は神社の境内にある盛り砂まで多数存在することを思えば、山岳信仰の初期の形態が本質的には蛇体信仰であったことも、おのずから理解されてくるのである。
全国的にハヤマと呼ばれる標高が比較的低い山が存在するが、それらの山々もたいていは円錐形であり、そこにいわゆるハヤマ信仰が伝わっている。ハヤマはふつう羽山、端山、葉山などとつづられるが、吉野裕子によれば、それらは本来、蛇山(ハヤマ)のはずであったとしている 14。
前章で山には子宮があると書いたが、じつは頭もある。しかもそれはオロチの 頭 であった。後世の神道では、山頂周辺の岩石が露出している部分を、 磐座、 磯城、 磐境 という名で呼び、神の降臨する場としているが、大陸から天孫降臨説がやってくる以前の日本では、ゴツゴツとした山の頂は、オロチの頭にほかならなかった。
ところで山の祭りには奇祭が多く、とくに火が登場するものが多いが、じつはそのことも大いにオロチと関係している。なぜなら神話の世界では、火こそオロチの血にほかならないと考えられていたからである。 たとえば、火の神カグツチもツチという語句から、蛇体神であったことを匂わせるが、イザナギは妻イザナミを死に追いやったカグツチに怒り、彼をめった切りにした。そのとき、カグツチの体からほとばしり出た血が、まわりの草や木、石の中にしみ込んで、火になったとされている。
毎年二月六日に営まれる熊野新宮の 御 燈 祭 では、 神 倉 山 の中腹に突き出るゴトビキという巨岩の前で「火起こしの神事」が営まれ、大 松明 に点火されるが、あれはまさに石の中に火があるという神話に起源をもつものであろう。ゴトビキのヒキは、ガマのことだとされているが、私にはオロチの頭に相当するように思えてならない。
火祭りの火がオロチの血だとすれば、今も全国各地に広く分布する火祭りを最初に始めたのも、恐らく焼畑耕作民であろう。彼らこそが火がもつ産みの力を自分たちの体験を通じて、最も直接的かつ具体的に理解していたわけだから、火祭りは彼らの手によって始められたと考えるのが妥当である。
火祭りには、さまざまな形式があるものの、一般的に共通しているのはドンド焼きや松明で火をたくことと、その火で餅を焼き、参加者がこぞって食べることである。その神聖な火にあたるとか、あるいは焼き餅を食べるとかすれば、その年は風邪を引かなかったり、子供を授からなかった女性が妊娠したり、いろいろとありがたいご利益があると信じられている。〈いのち〉の火には、生命力がみなぎっているわけである。 また火には悪霊を 祓う浄化力があると信じられてきたので、農耕とは無関係に、正月に行われる火祭りもある。その土地に集結した悪しき物どもを年頭に焼きつくしておき、自分たちの身に災いが降りかからぬように祈るわけである。
もう一つは、セクシャリティーの問題である。男が裸体をさらすような祭りでは、ほとんどの場合、女性の直接参加は許されていない。場合によっては、祭りの最中に男性は女性の体に触れることさえ忌み嫌う。祭りに参加する男たちは、数日前から妻と床を同じくせず、肉食を避け、精進潔斎のための物忌みに入る。 限りなき産みの力をもつ山の主オロチは、メスの帝王なのである。その壮大なるメスを祝福し、喜ばせ、さらなる産みの力を引きずりだすためには、男たちはみずからのオスの部分を最大に発揮して、山の神に接近していかなくてはならない。威勢のいいかけ声も、興奮でピンク色に上気した肉体も、まさにメスとしての山の神を 寿ぐための最良の贈り物なのである。
この話はまだ続くのだが、ここでも注目すべきことは、子供の出産という一大事を迎えるとき、女性が自分だけの秘密の聖空間に閉じこもらなくてはならないことである。最近でこそ夫が妻の出産に立ち会うことは、家族の絆を強めるとして医師からも推奨されるようになってきたが、古代社会では、そのような行為は恐ろしいタブーであった。
出産以外にも、「鶴の恩返し」の物語にあるように、布を織るなどの生産活動をするときも、女性は〈見るなの座敷〉に閉じこもって、本来の姿に戻る。この世でいちばん重要な創造的仕事を成しとげるためには、心理学でいうペルソナ(仮面)をぬぎ捨てなくてはならないのだ。建て前の世界では肝心なことができないのは、男も女も同じらしい。
ただし巨木信仰には、山の神オロチヘの畏怖の念だけでなく、古代社会における性器崇拝の要素も含まれていると思われる。とくに曳建ては、境内の四隅に巨大な御柱を参加者全員が縄を引っ張り、垂直に立ち上げる勇壮な神事であるが、その様子から連想するのは、勃起する巨大な男根である。 現に曳建てでは、男たちが我先に御柱の上に跨がり、それが垂直に立ち上げられるときも、振り落とされないように必死にしがみつく。男たちは、オロチがもつ果てしない生殖力をわが身に注ぎ込み、絶倫の精力を手に入れようとしているかのようである。 つまり脱皮を繰り返しながら、しぶとく生き続けるオロチの執念深さと、勃起し続ける男根の生命力への強い畏敬の念が、巨木信仰にこめられているのである。伸縮自在の蛇の形状が、男根のイメージに結びつけられることになったとしても、少しも不思議ではない。
性器崇拝は、ほとんどすべての原始宗教に必ずといっていいほど見いだすことのできる要素であるが、ここで指摘しておきたいのは、人々は性器そのものを拝んでいたのではないことである。彼らが大切に思ったのは、性器を媒体として人間界に突出してくる〈いのち〉の無限性であり、それを神のごとく尊いものとして、拝んでいたのである。
伊勢神宮にある〈生命の樹〉とは、正殿の下に祀られている「 心 御 柱」のことであるが、それを眼にすることができるのは、神宮の神官でもごく限られた人だけだろう。それは直径約三〇センチ、長さ約一・八メートルのヒノキの棒で、ご神体の鏡の真下に位置しているとされている。一説によれば、かつて「心御柱」は現存のものより、はるかに大きかったそうであるが、内宮では完全に地中に埋められ、 外宮 では半分以上が地上に突きでている。この「心御柱」は 神嘗祭でも遷宮祭でも中心的役割を果たし、遷宮のたびに新しいものと取り換えられる。
私も子どものおりに、京都の鴨川べりで遊ぶのを常としたが、夏の間に土手の草むらで遭遇する蛇の多さには、圧倒されるものがあった。今でこそ、日本中の河川敷はコンクリートで固められてしまい、蛇を目にすることは、めっきり減ってしまった。蛇はともかく、ホタルもメダカも日本の川からすっかり姿を消してしまったことは、まことに残念な話である。また子どもの頃、夜になると天井裏を這いずり回る蛇の音を聞いた人も少なくないと思われるが、そのようにごく最近まで日本人はさまざまな種類の蛇と生活空間を共有していたのである。
ところで、交尾するオロチヘの畏敬の念が表現されているのは、シメ縄だけではない。今では人気スポーツの一つとなっている綱引きが、それである。日本全国の祭りの中で、伝統的な綱引きが継承されているところは多いが、そのごく一部を紹介してみよう。
ところが母性には、子供を産み育てるのとまったく反対に、子供を喰い殺そうとする恐ろしい性格が秘められているのである。ちかごろの日本では、自分の子供でも殺してしまう母親が増えてきたが、ふつうわが子に対して攻撃的な態度をとることはまれである。
母親の真の恐ろしさは、たいてい溺愛や過保護という形で現れてくる。とくに母系性病理社会とも呼ばれる日本では、そのような過干渉の母性の犠牲となって、精神的に骨抜きにされた人格が形成されやすい。
現代の日本で、太古にあった神社の原型を見たければ、沖縄地方に多数存在する 御嶽 を訪れるとよい。一般的に、御嶽にはきわめて簡素な鳥居と拝殿だけがあり、その奥にある最も神聖な空間である 奥津城 は、しばしば白砂が敷き詰められ、石垣で囲まれている。それは神社の神垣に相当すると思われるが、岩や樹木以外には何もないその空間は、目に見えない何ものかに充たされているがごとくに、不思議な神聖感が漂っているものだ。
人々は、海原のはるか遠くにある永遠の国ニライカナイから、そこにやってくる海の神、水の神、火の神、土の神などに真摯な祈りを捧げる。その祈りができるのは、ツカサと呼ばれるセジ(霊格)の高い巫女を中心にした村の女性たちだけである。そのような儀式を見ると、 邪馬台国 の 卑弥呼 も、ツカサ的な役割をもっていた女性ではなかったかと思えてくる。ともかく御嶽に見られるように、鳥居、拝殿、神垣の三点セットが、初期の神社の形態であろう。
日本人はご来光 を拝むのがやたらと好きだが、あれも太陽を崇めた弥生人の血が騒ぐからかもしれない。ご来光を迎える場所として最も人気のあるスポットの一つが、伊勢の 二見 ヵ 浦 である。昔の人はその海辺に身を浸し、 禊 をした上で、 夫婦 岩 の間から昇る太陽を拝んだのである。今も 二 見 興 玉 神社に参拝した人たちが、輪ジメ縄という円形のシメ縄を奉納する行為には、太陽神をことほぐ意味が含まれている。
さて日本を代表する神奈備山となれば、純白の冠をかぶった富士山(三七七六メートル)をおいてないだろう。この山は高さだけではなく、日本一秀麗な姿をもつ山でもあり、葛飾北斎から梅原龍三郎まで、富士山は日本絵画史の中で最も頻度の高い画題のひとつとなってきた。それだけではない。街角から急速に姿を消しつつある銭湯のタイル画のモチーフとしても、富士山はたいへんな人気を博してきた。風呂好きの日本人が湯に浸かりながら眺める風景としては、富士山がいちばん心に沁みてくるのかもしれない。
日本列島最古の集落跡とされる静岡県 大鹿 窪 の 窪 A遺跡は、旧石器時代直後の縄文草創期に属するが、そこに暮らしていた縄文人も富士山を特別な思いで眺めていたことが判明している。なぜなら環状に並んだ竪穴住居跡が、富士山の見える北東方向にのみ、存在しないからだ。代わりに、そこには大小の石を同心円状に三重に並べた祭祀跡が発見されている。あきらかに富士の高嶺を遥拝しながら、何らかの祭儀を行っていたのである。
私は以前から、山には人間性を根本から変容せしめるエロスがあるという持論をもっている。エロスとはギリシア神話に登場する神の名であるが、エロス神は地上的な美から神的な美へとみずからの変貌を遂げながら、人間の魂をさらなる高みへと導いていくことができるとされている。山にも、それと同様の働きがあるように思われるのだ。
誰でも経験した人は、よく知っていると思うが、夜の山ほど無気味な世界はない。それはいわば渾沌未分の世界であり、底なき闇に包まれている。近くに民家でもあれば別だが、深山幽谷の静寂をたたえた闇となれば、よほど腹の据わった人間でなければ、耐えられるものではない。
ましてや一昔前まで、日本の山には狼が生息していたわけだから、真夜中にギラギラと眼光を光らせている動物たちに遭遇するたびに、身の危険を感じたであろうことは想像にかたくない。そういえば私の知人にも、一二年籠山行をやってのけた天台僧がいるが、夜の山中で一番恐ろしいのは、自殺者の死体と野犬の群れに遭遇することだと言っていた。 しかも回峰行者は修験者と異なって、単独行である。回峰というのは、山を登る行為ではあるが、じつは生の根源にある死の闇とでもいおうか、カオスの世界に、我が身ひとつで迫っていくことを意味した。これほど孤独な行為があるだろうか。
さて女人禁制の問題であるが、現代でもそれが頑に守られている場所として有名なのは、相撲の土俵である。時代遅れの掟を撤廃すべきだという意見と、伝統を守るべきだという意見に、まだ結論が出ていない。
歴史学者の脇田晴子は、「そもそも平安時代までの日本に女人禁制という文化はなく、一般化したのは江戸時代中期。ちょうど被差別民が排除されていった時代と同じで、病になるのを恐れ、死や出産、生理を不浄のものとする、科学が未発達な時代の思想だ」と説いている。 女人禁制が是か非か、男と女がそんな喧嘩腰にならなくても、日本人の個人性(individuality)がもう少し成熟すれば、おのずと結論は出てくるというのが、私の意見である。
それは白山には毒蛇が多く、人が咬まれることを恐れた泰澄が、一〇〇〇匹の蛇を捕まえて、山頂近くの池に封じ込め、雪で蓋をした。夏が来て雪が溶けそうになると、池の上にある「 御 宝庫」が崩れ落ちて池の蓋となるようにしたという話である。豪雪地帯の北陸にある白山に毒蛇が多いという事実は信憑性がなく、これは何度も繰り返される洪水を鎮めるために、泰澄が祈願したという意味ではなかろうか。
天を突くような険しい山を仰ぎ見て、そこに何かしら崇高なものを覚えるのは、もちろん日本人にかぎったことではなく、人類に共通した感覚であるといってよい。たとえばエベレスト(八八四八メートル)は、サンスクリット語でサガルマータというが、「大空の女神」を意味する。筆者自身もベースキャンプまで登ったことのある美しい山アンナプルナ(八〇九一メートル)は、「豊穣の女神」である。ネパール人にとっても、山のヌシは女神だったのだ。
そのすぐ隣に聳え立っているマチャプチャレ(六九九三メートル)は、さしずめヒマラヤの高千穂峰といった霊山であるため、ネパール政府が登山許可を与えていない。人間の足が踏み入れていない山は、気のせいか、よけいに崇高に見えるが、古代日本でも大半の山々が未踏峰だったわけだから、人間の眼には今よりもはるかに威厳に満ちた存在に映っていただろう。
登山家は処女峰があれば、「そこに山があるから」と言ってヒラリー卿のように初登頂することに情熱を燃やすが、山岳周辺の宗教文化を愛おしむ者にとっては、未踏峰の山が一つや二つ地球上に残っていてほしいような気がする。地球上のすべての空間を人間の足が踏み締めなければならないという理由は、どこにもないはずだ。
韓国にも慶州の 南山(四六八メートル)のように、新羅時代から信仰の対象となってきた霊山がある。私は日本が木の文化なら、韓国は石の文化だと以前から考えているのだが、南山にもあまたの石仏や石塔がひしめいている。韓国のシャーマンである 巫 堂 も、南山を聖地として崇めている人が多い。
その代わり、産業技術においては目覚ましい貢献を残している。つまり日本人は、抽象的な理論よりも、具体的なモノ作りにおいて、 俄然 強みを発揮するのである。一言でいえば、日本人は徹頭徹尾、具象の民なのだ。
山に暮らす 木地師 が見事に美しく、しかもきわめて実用的な木工品を作りだしたように、近代産業社会においても、日本人はモノ作りにおいて、その才能を最も美しく開花させることができた。戦後経済の奇跡的復興も、日本人がその特技を活かしたからこそ可能になったといえる。
日本人は思惟を深めようとするときも、まずモノを作りはじめ、その思惟した結果を表現しようとするときも、またモノを作りはじめる。それはロダンの考える人のように頭をかかえこんで思惟する〈アタマの哲学〉ではなく、手先を動かしながら思惟する〈手の哲学〉なのである。
このように日本人を具象の民に育てあげたのが、山という具体的な神の姿にほかならない。この国における山の存在を正確に把握することが、日本人やその文化を正しく理解する契機となることを、ここで改めて強調しておきたい。それにしても、同じ地球上に生きる人間同士であっても、どのような神を信じるかによって、その集団が生みだすことになる文化や社会の形式が、かくまで決定的に影響を受けることに驚かざるを得ない。
いってみれば、つねに山に向かいあって生きてきた日本人は、この世に存在するありとあらゆるものを、物理現象としてではなく、生命現象として理解しているといえよう。それを生物学的コスモロジーと呼んでみたい。 すべての生命は一刻も静止することなく、誕生、生育、成熟、衰弱、死滅というサイクルを繰り返すが、その変化自体が、大きな〈いのち〉の流れに包含されている。そのような生物学的コスモロジーが基盤にある社会では、存在するものが有機物か無機物かということとは無関係に、すべてが生き物としてとらえられる。それは一種のアニミズムともいえるが、現代人の心理構造では、必ずしも宗教性をともなっているとはかぎらない。
日本文化は受け身の文化であるといわれたりするのも、社会現象ですら、自然現象的な感覚で受け止められ、それを意志の力によって能動的に変えていこうとする心理傾向が弱いからではなかろうか。日本人の自我が、とかく集団に埋没してしまい易いのも、生命体として受け止められている個の輪郭が極めて曖昧であり、個と集団の間に明確な距離を置きにくいことに一因があるのかもしれない。 組織運営においても、一人の人間の強固な意志力で他者を力まかせに押さえ付けていくというよりも、全体の和を乱さないことを重視し、じわじわと組織に意見が浸透していく時間を持とうとするのは、生物学的コスモロジーをもつ社会ならではといえる。
反対に西欧世界では「はじめに光あれ」(「創世記」)と父なる神が命じることによって、天空から光が差してくるという物理現象から宇宙創造が始まったことになっている。全智全能の絶対神という父性原理が、最初に絶大な力を行使し、そこから物事が動きはじめたわけである。 そのような物理学的コスモロジーをもつ世界では、個体の力と力が激しくぶつかり合ったり、バランスをとりあったりして、世界秩序が維持されていく。リーダーシップの所在も明確である。力の強いものが、力の弱いものを凌駕し、自分の世界を広げていく。 そのようなモノの動きには、一定の法則性があり、原理原則を設定しやすい。近代科学が物理学的コスモロジーをもつ西欧世界で最初に誕生…
われわれが山に入っていくのは、「山のエロス」と交合し、本来、身体にそなわっている〈野性〉を回復したいという潜在的な願望があるからである。〈野性〉を取り戻した身体の細胞は、外界に向かっていよいよ開かれていき、新鮮な空気の匂い、走り抜ける風のざわめき、澄み切った水の色が体内に染み込んでくる。物言わぬはずの木々ですら、何か語りかけてくるように感じられるのだ。山歩きが楽しいのは、われわれの身体そのものが朗らかになっているからだ。
われわれの大半は、文明生活の快適さを享受するうちに、すっかり身体感覚を閉ざしてしまっている。空調の効いた部屋でほんとうの寒暖を体験することも、肉体労働によって汗をかくこともしなくなった都会人は、自然への感受性どころか、すぐ隣に坐っている人間への感覚すらもたない。奇妙な人物が自分の心をふいに横切ることのないように、感情の遮断機を下ろしてしまっているとでも言おうか。人間がひしめき合っている都会の中では、自己防衛のためにおいそれと身体感覚を開くわけにはいかないのだ。
そのような宗教的な意味合いをもった山に、スポーツとしての登山を始めた人たちが登場した。一九〇五年に創立された日本山岳会がその草分けであるが、面白いことにそのメンバーの多くが、日本を代表するようなインテリであった。 ちょうどヨーロッパのアルピニストたちが、中世の迷妄に包まれた山々を踏破したように、日本における近代登山の先駆者たちも、合理精神の持ち主であり、霊山にまつわる迷信俗信に躊躇することなく、次々と日本の山々を登りつめていったわけである。
そこには功罪、相半ばするものがある。アルピニストたちが、一切の宗教色抜きに個人の意志力と体力を試すために淡々と山を登ってみせてくれたおかげで、山はもはや一部の宗教家たちの霊場であることを止めて、健康な者なら誰でも参加できる行楽地と化したのである。山の民主化である。 その一方で、神も仏も魑魅魍魎も等しく 蠢いていて、平地に暮らす人間の生活を意味づけてきた山は、一切の神秘性を失い、自然の一情景として人間から対象化されることになった。山がコスモロジカルな意味をもつ神話的空間であることを止めたおかげで、近代日本人はそれまで自分たちの生活をさまざまに規制してきた蒙昧な迷信から解き放たれることになった。山が、非神話化されたのである。
山が民主化されたり、非神話化されたりするのは、文明の流れであって、それに抗える者はいない。私は迷信の復活を叫んでいるのではない。過去の宗教色いっぱいの山岳文化のほうが、現代のスポーツ化した登山文化よりもベターであったとも思わない。無理のない登山が健康維持に役立つことは、誰もが痛感するところである。 近代登山をきっかけとして、山にかぶせられていた神秘のベールがあっけなく取り払われ、べつに山に入っても、天狗に攫われるわけでも、山姥に取って食われる心配もいらなくなった。ましてや山の神の怒りを怖れて、さまざまなタブーを守るために…
まさか山の美をこよなく愛して近代登山をはじめたアルピニストが山の破壊に手を貸したとは言わないまでも、山を対象化させた彼らにまったく罪がないことはない。何者の手によっても破壊されることのない〈原初の生命体〉であったはずの山が、いったんモノとして対象化されてしまうと、ダイナマイトやブルドーザーで、いとも簡単に破壊されるようになった。人間は、山に挑戦し、山を屈服させるだけの土木技術を手に入れたのである。…
そのために、日本中の山々で太古の時代から生き延びていた原生林が、どんどんと切り倒されることになってしまった。本書で取り上げた霊山の中にも、無惨に山肌を抉り取られたり、醜悪な建物に覆われたりしたところも少なからずある。かつては、あれほどまでに謹厳な態度で山に向かった日本人が、どうしてかくも無思慮かつ無慈悲な行為をなし得るようになったのか、首をかしげざるを得ない。
同じ山を何度も繰り返し登るのは退屈極まりないと思うのは、人間の不遜である。同じ山を何度も登ることによって、異なる風景の発見があり、異なる自己との遭遇もあるはずだ。 本章で触れた山岳写真家の大山行男氏は、富士山麓一帯の森に三百六十五日入って飽きることがないそうだ。なぜなら、山の気配は季節、天候、時刻によってダイナミックに変化するからだと言う。同じ山を飽きることなく繰り返し登ってこそ、そういう発見が可能となるのではなかろうか。 私は瞑想を専門とする人間だが、瞑想においては「反復」がキーワードとなる。同じマントラ、同じ呼吸法を一定時間、反復することによって、意識はどんどん深化していく。スポーツでも、ハイになり、フローになり、最終的にゾーンに入っていくためには、同じ行為を集中的に反復しなくてはならない。そんなことは、スポーツに没頭したことがある人間には、体感的に理解できると思う。
このような感覚は深い瞑想に入ったときにも経験することがあるが、山は人間の意識を変容させるだけの不思議な力を備えている。山が光れば、うちなる心の山も光る。ということは、山の破壊が人間性の破壊へと帰結していく可能性だってあるわけだ。
広大無辺の宇宙そのものが永遠の〈いのち〉であるとすれば、宇宙の一角で蠢いている小さな地球にも、永遠の〈いのち〉が刻々と脈打っているのであり、それをもっとも直接的に表現しているのが、山なのだ。つまり山は、極めて限られた感覚機能しか持ち合わせない人間が、永遠の〈いのち〉を感じることができる神聖空間なのだ。
山には山の心があり、意思がある。山が突如として噴火したり、崩落したりするのは、地質学的な自然現象であるとしか考えることができなくなった私たち現代人の唯物的感性が問題なのだ。日本列島には、幾多の活火山が存在するが、どこの火山がいつ爆発するか、現代の先端的火山学の見地からも、正確には予測不可能である。それは、個々の山には個性があり、独自の意思があるからだ。同じ気象状況にあっても、土砂崩れを起こす山と起こさない山が同じ地域に存在している。それも、それぞれの山にそれなりの意思があるからだ。
祈りは、できれば一つに限定したほうがいいかもしれない。同時に二つ以上の願望を持ってしまうと、祈りのフォーカスがぶれてしまうからだ。神棚や仏壇の前に静かに佇み、経典を読み上げることなどには、まったく無関心な人間であっても、風光明媚な山を黙々と登ることならできるのではなかろうか。それを祈りとするのである。
病身の家族の健康回復を祈る。わが子の幸せを祈る。事業の成功を祈る。何か一つの思いを強く抱いて、山に入るのだ。そうすれば、汗を掻きながら一歩一歩、山道を踏みしめていく行為が全身全霊の祈りとなる。 世界の宗教には、まさに無数の祈りの形態が存在する。祭壇の前に跪くだけが、祈りの形ではない。滝に打たれたり、食を絶ったりすることも祈りだし、時には歌うことも踊ることも真摯な祈りとなり得る。今ではエンターテインメントのように受け止められているハワイのフラダンスやスペインのフラメンコもまた、祈りの全人格的表現である。かつて部族の宗教儀礼だった時、踊り子たちは振り付けの間違いを犯したりすると、厳しく罰せられることもあったと聞く。神に捧げる祈りに、粗忽さが許されなかったのである。
その証拠に、ヒマラヤや富士山のようにプロやアマチュアの登山家がひしめく有名な山には、ゴミが散乱している。大自然に親しむつもりで山に入ったにも関わらず、まさに山に唾を吐くような行為である。そんな浅はかな行為に何ら羞恥心を覚えることのない人間にかぎって、下山後、自分は世界的高峰を制覇したと他者に自慢するのではなかろうか。それではエゴを膨らませるために山に登っただけであり、そこに一抹の敬虔感情を見いだすこともできない。
山は祈りの場であると同時に、大自然の威力を目の当たりにした人間がみずからの卑小さを自覚し、どこまでも謙虚であることを学ぶ精神修養の場でもある。もしも山に登れば登るほど、自身の体力と精神力の強靭さを誇り、他者に対して傲慢さを見せる人間がいるとしたら、それは山に対する最大の冒涜であり、登山家の称号にもっともふさわしくない人間と言わざるを得ない。
悲しいことに全国各地の山で目撃することだが、山中にゴミの不法投棄をするなどもってのほかだ。そういう不埒な行為をして平然としていられる人間が、一切の幸運から見放されるのは、火を見るよりも明らかではなかろうか。公衆道徳の観点から、そのように考えるのではなく、神聖空間である山の霊力を損ねることは天罰に値するからだ。山はそこにあるだけで十分な霊力を発しているが、人間の意識の持ち方次第で、その貴重な霊力が消滅することだって十分にあり得る。
一方的な決めつけとして発言するわけではないが、山の霊力に対して敬虔感情を欠いた時、遭難の危険性が増大するような気がしてならない。日本国内だけで、毎年二〇〇〇件以上の遭難事件が発生し、そのうち三〇〇名前後の人たちが死亡したり、行方不明になったりしている。やむを得ない状況で不幸にも遭難した人たちもいるに違いないが、入山前に山に対して、もう少し敬虔な気持ちを抱くことによって、回避し得る遭難が大半ではなかろうか。
むしろ人跡未踏の地をできるだけ多く地球上に残したほうが、人間の想像力が豊かになるだろう。夜空に浮かぶ月を素朴に見上げていた時代には、兎が餅つきをしているというようなファンタジーを人々は楽しむことができたが、アポロ計画で人間が月面着陸を達成し、そこがゴツゴツとした岩に覆われる潤いのない世界であることを目の当たりにして以来、いかなる想像力も駆り立てられなくなった。
どこにでも足を踏み入れ、すべてを見尽くそうとするのは、人間のエゴイスティックな貪りではなかろうか。「見るなのタブー」を犯したために大きな損失を被るというのは、世界の神話や民話に共通するモチーフである。それだけ普遍性のあるモチーフとなっているからには、そこに過去の人類が経験則から学んだ知恵が凝縮されているはずだ。見なくていいものは、どこまでも見なくていいのだ。先ごろ、世界遺産に指定された玄界灘の沖ノ島は、宗像大社の神領として厳しい上陸制限が布かれている。私は日本各地で古来、信仰対象となってきた霊山の山頂付近は、今からでも入山制限をしてもよいのではないかと考えている。現代における〈見るなのタブー〉の創設だが、そのことによって日本人の情緒が、かえって深まるような気がしてならない。
少し前に「山は無言だ」と書いたが、本当のことを言えば、山は無言どころか、大いにお喋りなのだ。「山鳴り」という言葉があるように、山はむやみと音を立てる。土砂崩れがある前兆として不気味な地鳴りがすることは、よく知られているし、雪崩が起きる直前なども必ず「ワッフ音」という静かな音を出すと言われている。
科学者、作曲家・大橋力著『ハイパーソニック・エフェクト』(岩波書店)よれば、森林には可聴域をはるかに超えた超高周波音が含まれており、それが皮膚から体内に入り、骨伝導により脳深部を活性化させ、心身の健康に貢献するという。森林浴で人が癒されるというのも、肺を新鮮な空気で満たすというだけではなく、そのような超高周波音を全身に吸収することが出来るからだ。
そんな科学的裏付けを持ち得なかった時代の人々も、山の声を大いに楽しんでいたことは言を俟たない。中国宋代の詩人・蘇東坡は山に入って、次のような詩を詠んでいる。 渓声便ち是れ広長舌 山色豈清浄身に非ざらんや 夜来八万四千の偈 他日如何が人に挙似せん 谷川のせせらぎの音は、まさに仏陀が説教しているようなものだ。 山肌の色も、清浄なる仏身そのものと言える。 夜通し聞こえて来る山の音は、仏陀が詠む無数の詩のようだ。 この感動をどのように人に伝えていいか、私は分からないでいる。
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい 私たちが山から学ぶべきは、このようなデクノボーであり続けることの喜びだ。山が祈りであり、山行もまた祈りであることを噛みしめながら、今日も真摯に山に向き合いたいものである。
山は、賽銭の要らない霊場である。
山には、〈いのち〉がある。その〈いのち〉は、天を突く巨岩、何世紀も生き抜いてきた老木、人間の手によって飼い馴らされていない動物の姿などをとって、私たちの眼に具体的に飛び込んでくる。いや、そんなものが何も見えないほどの白濁の霧に包まれたなら、それはそれで濃厚な〈いのち〉を感じさせてくれるだろう。現代人の最大の弱点は、生命感覚がすっかり鈍ってしまっているところにある。だから誰しも、ときどきは山に入って、〈いのち〉の充電をする必要があるのではなかろうか。
田園にいれば、私の不幸な聴覚も私を苦しめない。 ここでは一つ一つの木々が私に向かって、「お前は神聖だ、神聖だ」と語りかけるようだ。 森の中の歓喜、恍惚! 誰がこれらの崇高な出来事を表現できるだろうか。 と日記に書き留めたのは、誰だろうか。じつは、あのベートーベンである。
本書は、講談社選書メチエシリーズで一三年間も版を重ねてきた『山の霊力』に新たに加筆し、新生版として刊行されることになったものである。長い歳月の間に、私の山に対する考え方にも新視点が生まれ、それを第七章にまとめさせてもらった。高い山には登らなくとも、今も相変わらず山行は続けている。私にとって、山が限りなき学びの場であることには変わらない。
絶版となり、本来なら書店の棚から消えてしまっていた本書を再発掘して下さったのは、山と溪谷社の編集者・高倉眞氏である。自著ながら、その内容に心惹かれるものが多かった本書が高倉氏との稀有な出会いによって、新たな読者の手元に届くことになったのは無上の喜びである。