550
福岡で仕事として治療的里親をやってる人の本。ちゃんとした家庭に生まれてる子でさえ思春期というのは大変な時期なのに、実の親に傷つけられている子達の思春期はさらに大変だと思うし、里親で生物的な親ではないからかなり大変な仕事だろうなと思った。その人がお金をもらってプロとして手に入れた育児のノウハウ的な本だから普通の家庭にも役に立つことが書いてあると思う。子供の問題=家庭とか夫婦の問題で家庭内の危機を子供が非行とか様々な形で表現するんだろうなと思った。よく日本のいじめ問題はいじめ被害者がああしろこうしろみたいなのが多いど、あれはいじめられている側ではなくて、いじめをしている方にメンタル的な問題とか周囲へのSOSがあるから、いじめをしている人のカウンセリングを積極的にやった方が良いと思う。
土井高徳
1954年、福岡県北九州市生まれ。里親。「土井ホーム」代表。学術博士。保護司。福岡県青少年課講師、産業医科大学治験審査委員。心に傷を抱えた子どもを養育する「土井ホーム」を運営。医師や臨床心理士など専門家と連携し、国内では唯一の「治療的里親」として処遇困難な子どものケアに取り組んでいる。2008年11月、ソロプチミスト日本財団から社会ボランティア賞を受賞
子どもが、言葉にできないつらさや寂しさを体で表現するのはよくあることです。私が関わったある兄弟は、兄は偽てんかん、弟は非行という形でそれを表しました。 彼らの両親には離婚の話が出ていたのですが、子どもが目の前でバターンと倒れたら、争っている夫婦も協力せざるをえません。学校や警察から呼び出しが来たら、会話をしなければなりません。兄弟は自分たちの家庭が崩壊の危機に陥ったとき、それぞれの方法で何とか守ろうとしたのではないか。そんなふうに、私は感じたわけです。 子どもの問題に、夫婦や親の問題が隠れていることはよくあります。親がそれに気づくと、子どもへの対応が全然違ってきます。子どもに原因を求めるのではなく、親が自分自身を振り返り、家族のありようを考えることで、家族再生のきっかけになることはたくさんあると思います。 子どもを変えようと考えないで、親がちょっとした工夫や努力をしてみてください。親の態度に少し変化が出てくると、子どもの態度にも変化が生まれてきます。子育ては親自身の「己育て」でもあるのです。
親にほめられたって、もう、うれしくはないだろう、と思われがちな思春期。ほめても、とってつけたようで照れるというのも正直なところ。でも「ほめる=認める」は、気持ちが揺れる思春期だからこそ必要です。 思春期になると、幼いころのようにわが子をほめられない。そういう親御さんも多いと思います。何かにつけて反抗的な態度をとりはじめ、親の言うことをきかなくなる時期。確かにほめるのは難しいかもしれません。
思春期になるまでの子どもは、「心にオムツをしている」ようなもの。親があれこれと手をかけながら、成長をサポートしてあげる必要があります。しかし、思春期以降は心のオムツをはずす時期。わかりやすく言えば親離れ、子離れの時期に入るということです。 心身ともに変化が表れる思春期の子どもは、とてつもない混乱と、不安の真っただ中にいます。意味もなくイライラするのは当然。親に何かと反抗したくなる、それが普通です。なぜなら子どもにとって家族とは、安心して迷惑をかけられる唯一の関係。家庭は子どもが安心して、自分のままでいられる居場所でなくてはなりません。
私は 37 年以上にわたり里親として子育てをしてきました。里親というのは親の役割をプロとして実践している人たちです。 英国では里親に国家資格を与え、もっとも困難な子どもを扱う里親には病院勤務医と変わらぬ報酬を用意しています。こうした子育てのプロは「専門里親」「治療的里親」と呼ばれます。
わが家にやってくるのは、行き場のない子どもや心に深い傷を負っている思春期の子どもたちです。子どもは本来、成長するエネルギーを持っていますが、思春期は心身の変化が非常に大きく、子ども自身もその変化をコントロールできません。そういう子どもたちを預かっていると、さまざまな問題や摩擦が起きてきます。
親子関係は鏡のようなものです。子どもを通して、親自身が映し出されている部分がたくさんあります。里親は親代わりの存在ですが、生物的な親ではないので、子どもとの関係を客観的に見ることができます。それで「子どもにメッセージを伝えるには工夫がいるな」と考えるようになりました。
子どもと向き合うとき、私がいつも心がけていることが3つあります。 ひとつは、声を荒らげないこと。親が声を荒らげると、だいたいの場合子どもも声を荒らげます。
子どもを産むと、人は生物的な親になります。出生届を出せば、社会的な親になる。でも、親の大事な役割は、子どもの成長に必要なものを、適切に援助することです。そういう親を「心理的な親」と呼びますが、生物的な親だから、即、心理的な親になれるかというと、そうではありません。 親がイライラした感情を子どもにそのままぶつけてしまうことは、結構あるのではないでしょうか。または怒りにまかせて「あなたなんか、もう知らない」「どこかへ行ってしまいなさい」などと言ってしまう。子どもが「自分は守られている」という安心感を失うことは、広い意味での虐待だと思います。
ここで紹介した叱り方を「心理的虐待」といいます。「虐待」といわれると驚くかもしれませんが、子どもの心を委縮させ、伸びやかな心身の成長を阻害する「無自覚な叱り方」と「虐待」との違いは、さほどありません。
目は口ほどにものを言う、といいます。人間同士の第一印象は、五感の働きで、たった0・6秒で決まってしまいます。しかもそのうち、視覚による判断が 80% も占めています。視線や表情が大切な 所以 もここにあります。 太古から、人々は目には多くの事実が表れているということを経験的に知っていました。「目は外に出ている脳」だともいわれます。瞳は外部から確認できる唯一の脳神経と直結した臓器だからです。脳から飛び出した部分が、実は目だといわれています。 人は相対する人の心そのものを目で読みます。就職の面接だけでなく、子どもも親の感情を目で読みます。昔から「瞳を見ればすべてがわかる」「目は心の窓」ともいわれてきました。人それぞれに、目には独特の表情と、固有な色と、模様があり「冷たい目」「純粋で優しい目」「邪悪な目」「冴えない目」「疲れ目」「人をひきつける目」「眼力がある」などと言い表してきました。
子どもにとって「注目」は心の成長促進剤。子どもにかぎらず、誰もがいつでも注目を欲しているものです。子どもは周囲の注目が不足すると悪いことをして「叱られる」というネガティブな方法で注目を集めようとします。 普段からよい行動を探し、十分な好意的注目を与えることによって、子どもの「望ましくない行動」が減るという、良い効果も生みます。 私たち日本人は、ほめることも、ほめられることも苦手です。照れずに、嫌みを交えずに、誰かと不用意に比較せずに、「いい子」といった言葉でごまかさずにほめるには、少しばかりのスキルと、それを使いこなす練習が必要でしょう。
朝起床できるかどうかはその子どもの自己コントロールの力を測る物差しであり、睡眠の質が十分確保されているかどうかで過去の外傷体験の有無を推測することができます。こうした点を配慮しながら起床を促すのですが、ここで紹介したような淡々と声をかける方法が効果的です。ぜひ実行してください。
馬や鹿の子どもは生まれて1~2時間も経てば自ら立ち上がって歩きはじめます。北極のシロクマは生まれて2年経つと親元から離れて自立します。身体的、社会的に自立の早い動物と比較すると、ヒトの子育てはやっかいです。 ヒトの子どもは妊娠中はもとより、生まれてからも親の手を大いにわずらわせます。授乳、オムツの交換など 24 時間かいがいしく世話をしてもなかなか寝てくれず、ぐずったり夜泣きをして、マタニティーブルー(周産期の母親のうつ)の原因になりかねません。虐待の原因のひとつに、このようなヒトの子どもの「育てにくさ」が挙げられています。
子どもが「親離れ」を始めたこの時期こそ、親自身も「子離れ」を開始しましょう。ご夫婦や友人との共通の趣味や習い事、ボランティア活動などを心から楽しみましょう。親の 溂 とした姿こそ、子どもには何より元気の素ですヨ。
ます。言葉と実際の行動との間に大きな 乖離 があり矛盾があると、子どもは混乱を起こします。思春期を迎えると、子どもが親の本音と建前の 間隙、矛盾を批判し攻撃してきます。こうしたことも思春期特有の子どもの傾向といえましょう。
「ピンクの象のことを考えない」という話をご存じですか? 大抵の人は、ピンクの象のことを考えないように集中することで、ますますピンクの象のことを考えてしまうものです。つまり、負の思考のスパイラルに陥って、「やめよう、離れよう」と思えば思うほど、業火に引き寄せられる「虫」になっているのです。
子どもの問題の相談に応じたら、実は子どもではなく夫婦の問題であった。あるいはご自身の問題が背後にあったということが少なくありません。「子育て」は取りも直さず「己育て」、「自分育て」でもあるのです。
わが家にやってくる子どもたちは、いずれも 烈しい虐待を受けています。その結果、心身に深刻な影響がみられます。その影響の現れ方を見ていると、子どもがどのような環境で育ち、家庭内の関係がどのようなものであったのかを推測できます。 ある子どもは夜眠れないと訴えてきました。父親が母親の髪の毛をつかんでふりまわし、壁にたたきつけて血しぶきが飛び散る場面を思い出し、眠れなくなったと言うのです。過去の出来事であるにもかかわらず、それが今まさに起こっているように感じてしまうというフラッシュバックによる睡眠障害です。 親子虐待の家庭は、不思議と夫婦間のDV家庭でもあります。家庭内で対立や葛藤が起きると、話し合いで解決し和解するのではなく、暴力で対処しようとするのです。
非行など問題行動が続くと周囲は 疲弊 してきます。とくに、肉親にとって身内の非行など子どもの問題行動は精神的にこたえるものです、しかし一定の年齢に達すると、多くの非行少年は犯罪や非行から「卒業」してしまいます。その卒業までの時間に内面の成熟を根気よく待つ「 時 熟」が周囲の大人には求められます。
わが家に里子にやってくる子どもの中には、身長や体重が平均より3~4年遅れという子がいます。原因は、親から十分に栄養を与えられなかったこと。「愛情 剥奪 症候群」と呼ばれる症状です。
たとえ虐待する親であっても、子どもは悲しいほど親を求め、切ないほど慕うものです。過酷であればあるほど、愛される自分、惜しみなく愛を与えてくれる親というファンタジー(幻想)の中で、子どもたちは生きざるをえません。子どもが語るそんな幻想物語を私は黙って聞き、過酷な現実に向き合えるよう内面の成長を待ちます。
反抗する思春期のお子さんも同じです。どんなに反抗しようとも、心の中ではあなたのことを求め、慕っています。子育てに行き詰まったとき、お子さんにも愛らしい幼少期があったことを思い出すために、アルバムやDVDを書棚から出して眺めてみてください。あなたはきっとお子さんが3歳までに一生分の親孝行をしてくれていたことに気づくでしょう。フッと笑みがこぼれたら、その気持ちで接してみてください。あなたが変わればお子さんも変わる。新しい展開がきっと待ち受けていますよ。
困った子ども」というのは実は、子どもたち自身が困っていてSOSを出しているのです。その困っている気持ちを引き出して親や教師が接し方を変えれば、多くの子どもは落ち着きます。
親は子どもにとってどのような存在であるべきでしょうか。ひと言で言えば、親は子どもの安心を保障する存在だと私は考えています。子どもはいずれ親の元から巣立っていきます。しかし、振り返れば親がそこにいた。それでいいのではないでしょうか。「親の心子知らず」と言います。子どもが成長して親になってわかることもたくさんあります。私たち大人は、子どもがわかってもわからなくても、無償の愛と変わらぬ態度を持ち続けたいものです。
母を亡くして 10 年たちます。母との思い出は、甘酸っぱい、不思議な感情とともによみがえってきます。小学生のときは母が辞書代わりでした。私はいつも針仕事をしている母のそばで宿題をしていて、わからないことを尋ねると、いくらでも答えてくれました。母は読書家で、手紙もよく書いていました。今の私が本好きで、文章を書くのが好きなのは、母の影響です。
中学生になってクラスメイトといさかいを起こしたことがありました。いきり立って母に話すと、母は「ふんふん」と聞いて、私の興奮が冷めてきたころに「そうやって、相手を攻撃すること自体が、結局はあなたを傷つけることになるのよ」と静かに、しかし 凜 として言って聞かせてくれました。
うちに来る子どもたちはみな、波乱万丈な生活を送ってきました。わが家に来て、変わらぬ毎日の中で、親代わりである私たち夫婦がきちんと応答する。そういう環境で、子どもは回復していきます。恒常性と継続性のある関わりは、子どもの心身の発達には欠かせません。